第12話 当たり前のこと

 家族会議以降、千花はますます憂鬱だ。家では母の夏美とふたりきり、母の苛立ちがビシビシ伝わってきて気が休まらない。

 数日後、千花は、藍の家を訪ねた。シングルの彼女は、両親亡きあと一人暮らし。母よりさばさばしていて話しやすい相手だ。

「よく来てくれたね、うれしいわ」

 紅茶とクッキーでもてなす藍。

 暖かい笑顔に千花は落ち着きを取り戻した。

 母のことで、と千花は切り出す。家族会議での夏美の様子、父の本音、自分の気持ちなど、率直に話した。

 母の頑なな態度は、千花には受け入れがたいものだ。

 もちろん味方はしたい、東京へ行きたい思いも、母が寂しがると断念した。

 父の思いも尊重したい。

「ママはパパを愛してるの、と聞いたけど。返事しなかったんです」

 母にとって父は家族の一員に過ぎないのだろう。

「自分の権利を振り回してるだけに見えるんです。そんな母を見ているの、つらくて」


「うーん」

 難しいよね、と藍は言った。

「結婚制度に乗っかってる人たちは保護されるからね。日本では結婚の理由は『当たり前のことだから』て答えが圧倒的」

「当たり前」

「そうなのよ。世間から見たら私は当たり前じゃない、普通から外れた人間ってことかな」

「そんな」

 千花は、腐女子としての自分を、藍の話と重ね合わせてしまった。BLの世界に夢中なんて、普通じゃないよね、そう思いながら離れる気になれないのだ。

 そのことを藍に告げると、

「いいじゃない、何が好きでも。性別でどうこうって差別だよ、男同士が真剣に愛し合ってる姿に千花ちゃんは惹かれるんでしょう、男女の恋愛と同じだと思う。

 千花ちゃんのパパも、残りの人生を愛する人と生きたいって思うの、自然なことだよね」

「はい」

 こんな風に言ってもらえて、気が楽になる。やっと呼吸ができる感じだ。

「私の母は、もう少しでシングルマザーになるところだったの」

 藍が意外なことを口にした。

「付き合ってた男性が既婚者だった。それを相手は隠していて、気づいたときは妊娠五か月。中絶は難しい」

 藍の母は産む決意を固めた、周囲の非難を覚悟の上で。

「そんな母に、ある男性がプロポーズしたの」

 更に意外なことを、藍は言った。


「他の男の子供を身ごもっていると彼は知って、それでもいいと」

 同情はいらない、という藍の母に、彼は謝罪したという。

 ずっと前から好きでした、告白する勇気がなくて今まできました。愛しています、僕を、赤ちゃんの父親にしてください。

「なんか、おとぎ話みたいよね」

 藍は、くすくす笑った。

「その男性が私の父なの」

 血縁はないのだが、

「本当の父だと思ってる、生物学上の父親には興味ない」

 心から自分を愛し、かわいがってくれた。だからこそ実の父親だと信じられた、今も父を愛している。

 藍の告白は、千花の胸に深く刺さった。

「父がいなければ、私は私生児として生まれていたはず。周囲から何て言われたかな」

 のびのびと育ってこられたのも、普通の家の子、と周囲に認められていたためだ。

「普通って、とても大事なのよね」

 藍は苦笑する。

「この話は、夏美や佳代子には話してないの。千花ちゃんにだけ、特別に」


 表向きは、いたって普通の家庭。藍は父と母の子として戸籍を作られ、誰が見ても不審な点はない。

「千花ちゃんのパパや彼氏さんたちと同じだよね。不倫の一言で片づけられる。

 私の母だと、不倫して、妻子もちの男の子供を身ごもった、ふしだらな女。

 生まれた子は差別されて当然。そういう世の中なのよ、特に田舎は」

「パパの話からは、本当に彼を愛してるって伝わってくるんです。でもママは、権利を守ることしか考えてないみたいで」

 つらいです、と千花は素直に口にした。

「ママはずるい。自分は東京の大学に行ったくせに、私には地元の短大を押し付けて。おばあちゃんの意見だからって、それはないですよね」

 千花は不満を爆発させた。

「なんか決めつけが激しいんですよね、おばあちゃんは。ママも逆らえないみたいで」

「そうねえ」

 藍もふと感じたことがある。夏美は、何かに怯えている。何かに遠慮しているような。

「うちの両親は、何処へでも行きなさい、何でも好きなことをしなさいって言ってくれたわ」

 その割に、藍は県内の大学に進み、自宅から通学し、卒業後は町役場に就職、現在に至る。

「好きにしろ、と言われると反発しようがなくてねえ。どっちもさっさと逝ってしまったから、そばにいられてよかったけど」



 宙からの電話の後、樹はあれこれ考えて滅入ってしまった。

「ただいま」

 やがて、吉田風太ふうたが帰ってきた。学内演奏会が近いので、毎日、音大で猛練習している。

 樹は普通の大学に進んだ。

 自分はとっくに諦めたプロへの道。風太には実現させてほしい。

「風太」

 甘えるように、風太に抱きついた。

「どうした」

 ちょっと戸惑いながらも、やさしく抱きとめてくれる。整った顔に笑みが浮かぶ。

 樹は高校時代、吹奏楽部でクラリネットを担当していた。高校二年の県大会で二人は出会った。いろいろあって、今は同棲する仲。

 これからもずっと風太のそばにいたい。

 だが、いつか親に打ち明けなければならない時が来るのだ。

 宙の両親のことを話すと、風太は、

「卒業したら、ちゃんと親に話そう」

 きっぱりとそう言った。

「そうだよね。ありがとう」

 樹はほっとした。

 これから何が起こるか分からない。

 でも、風太とならきっと乗り越えられる、何があっても。




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