第10話 家族会議
「そんなことして、何になるのよ」
夏美は、電話の向こうの宙に不機嫌そうに答えた。
「これは夫婦の問題です。子供は口出ししないで」
「子供じゃないよ。千花だってもう十八、春からは新成人だよ」
来年四月から十八歳は成人となる。もちろん夏美も知ってはいるが、まだ高校生の千花まで巻き込みたくない。
「少なくとも、みんなの考えがはっきりするだろ」
「あの人に会うのはイヤ。この家には二度と入れません」
「かあさん。子供っぽいこと言うなよ」
宙は呆れ声だ。
「例の男性はさ、もうこっちに来てるって」
「ええっ!?」
夏美は耳を疑った。仁はその男を呼び寄せ、この小さな町で暮らすつもりなのか。信じえられない暴挙だ。
「じいちゃんの家で仲良くやってるみたいよ」
宙の言葉に、さらに打ちのめされる。
「ねえ、かあさん。一度だけ、とうさんと会って、僕らと一緒に話をしてよ。このままじゃ無責任だよ、僕たちに対しても」
無責任、それは仁の方だ。私はちゃんと親の義務を果たしてきた、夫以外の男性に目を向けたこともない。あっちは宙が生まれる前から、男と不倫を。
そんなことを子供たちの前で暴露しても、と以前なら躊躇したはずだが、宙も千花も既にそのことを知っている。
十二月中旬、日曜の午後。
「それじゃ、始めるよ」
ノートパソコンの画面で、宙が口を開いた。仕事などがあるのでリモート参加だ。ダイニングテーブルを挟んで仁と夏美が座り、千花はうつむいたまま夏美の隣に腰かけていた。
「まず、とうさんから現状を説明してください」
俺は被告か。裁かれる側なのは確かだ、と仁は思う。正直に話すしかない。
仁は晴れ晴れとした顔だ。
そんな仁が、夏美には癪にさわる。念願の同棲を始めて、満ち足りているのだと思うと、ますます怒りが収まらない。
「私は由宇を愛している。残りの人生は彼と生きたいんだ。だから、申し訳ないけど離婚したい」
子供たちの前でよくも、と夏美は、
「離婚はしません。好きなだけ別居すればいいわ」
話しているうちに、新たな怒りがこみあげる。
「どういう了見なの、もう一緒に暮らしてる? しかも、お義父さんの家で。信じられない。噂になったらどうするの、うちの実家や親類まで恥をかくのよ」
「そうならないように気を付けるよ。遠縁の男が行き場がなくてウチを頼ってきたことにしてくれと、父に言って承諾してもらってる」
「用意周到ね、感心するわ」
皮肉たっぷりに夏美が言う。
「別居の理由は、私がお義父さんの介護を拒否したから。いいわよ、鬼嫁になってあげる」
でも離婚はしない、と夏美は繰り返す。
「家も車も給料も渡すし、年金も半分もっていっていい。それでもダメなのか」
「実家に住んでお義父さんの車を乗り回すんでしょ。遺産だって相当なものじゃない? 前途洋々ってとこよね」
祖父の死後の話まで持ち出され、さすがに千花は悲しくなった。
「ママはずるい」
「は? どこが」
「私だって東京の大学に行きたかったのに、地元の短大に強引に決められちゃった」
自分だけ東京に行っておいて何よ、と口を尖らす千花。
「あれは、おばあちゃんが」
母の洋子の意向だった。千花は地元に置きなさい、東京なんてとんでもない、と。
夏美の東京行きも母は反対したが、一人暮らしを経験するのも大事だ、と兄が助け船を出してくれて、東京に進学できた。
「夏美が東京に行っている間、どんなに心配したことか。せめて千花だけは地元に置いてちょうだい」
母に懇願されて負けてしまった。夏美も親になってみて、娘を都会に出すのが怖くなっていたのも事実だ。仁と出会う前に夏美は、手ひどい失恋を味わっていた。
「人のせいにしないでよ!」
千花の声は厳しかった。
「私の友達に親が離婚した子、いるよ。養育費をもらえなくて、すごく大変だったって」
「僕の同級生にも、そういうう奴がいる。ひどい父親が多いんだなって頭にきたよ」
宙が口をはさむと、千花は仁に目を向け、
「でもパパは、ここまで面倒をみてくれた。短大の学費も大丈夫だよね?」
「ああ、任せとけ」
笑顔で応える仁。
「よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる千花。宙も、
「僕の方も、あと一年、よろしく」
「わかってる」
嬉しそうな仁に、夏美はイライラが募るばかりだ。
なによ、二人とも、あっちの味方なの?
夏美が子供の頃。イギリスの皇太子が結婚した。花嫁は輝くばかりに若く美しかったが、なんと皇太子には結婚前から年上の愛人がいたのだ。
破局、そして離婚決定。
私もいつかは、あんなすてきな花嫁に。
華麗なロイヤルウェディングに夢をふくらませた夏美だったが、皇太子の仕打ちはあまりに酷い。
母はカンカンに怒っていた。
「離婚なんて許されない!」
「我慢できなかったんじゃないの」
夏美の言葉に、母はヒステリックに喚いた。
「そんなことしたら、何もかもめちゃくちゃになってしまうわ!」
剣幕の激しさに少女だった夏美はおののき、離婚はしてはいけないもの、と胸の奥深く刻んだ。
「ママは、パパを愛してるの?」
千花の声が、ナイフのように突き刺さる。
愛? そんなもの。
仁への愛なんて、とっくの昔に消え去った。いや、初めからあったのかどうかも今となっては怪しい。
「私も本当は、パパに戻ってきてほしい。今まで通りママとお兄ちゃんと私。四人家族でいたい」
千花は、ふうっとため息をついた。
「でも、パパの気持ちは違うんだよね。ママより大事な人と出会ってしまったんだよね」
「相手は男なのよ!」
冷たい声で夏美が口を挟むと、
「わかってる。でもパパとその人が幸せなら」
「BLの読みすぎね」
夏美は、バカにしたように言った。
「あんなの絵空事よ。既婚者と関係しておいて、何よ。妻としての権利を主張して何が悪いの。絶対に離婚はしません」
ママ、なんだか怖い。
千花は、おびえたように夏美を見た。
「そんなきれいごと言えるのはね。当事者じゃないからよ。
千花は平気なの、自分の彼氏が同性とそんなことになっても」
千花は少し黙ったが、
「本気だったら、仕方ないと思う」
「仕方ないじゃ済まないのよ」
夏美の怒りはエスカレートするばかりだ。
「だから、とうさんは財産は全て渡すと言ってるだろ」
宙の言葉も夏美の耳には届かないようだ。
「そういう問題じゃない!」
「じゃあ、どういう問題? 愛してない人を、どうしてそんなに縛ろうとするのかな」
千花の言葉に、夏美は返答できなかった。パパを愛しているのか、との質問に母は答えなかった。愛はない、と娘は確信したのだ。
わかってる、私は世間体が大事なのよ。
離婚なんかしたら、まず母に顔向けできない。
表向きだけでも幸せな一家でいたい。
別居のうわさも、やがて広がるだろうが、それでもいい、離婚するよりはマシだ。何年でも何十年でも別居を続けよう。
離婚したんだって、何があったのかしら、なんて笑いものにされたくない。それだけは絶対にイヤ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます