第7話「戦場」

 開戦から三ヵ月近くが経っていた。

 イザルとの国境近くの街――フランツ――。

 マース陸軍基地――。

 そこを目指す輸送機の中に、アルクラスの所属する第一六部隊がいた。

 イザルとの国境沿い数ヵ所では相変わらず激しい戦闘が続いている。しかしどこも膠着状態のまま、大きく領土が変化してはいない。新たに戦場が拡大することを想定して、お互いに国境沿いの偵察は重要事項の一つだ。第一六部隊もそんな偵察任務を任されていた。

 フランツの陸軍基地は元々サターンの陸軍基地だったが、前回の戦争の敗戦を期にマース軍の所有となっていた。そこがサターン国内にある他の軍事施設とは違うところだ。海軍基地、空軍基地は新たに建設されている。しかし元々あったサターンの軍事施設も、実質的な権力はマースが握っていると言っていい。軍事作戦も全てマースの指揮下だった。

 第一六部隊のような偵察任務も、マース軍の指揮の下、サターン軍が全て請け負っていた。偵察や後方支援だけでなく、前線にも当然出兵を求められる。もちろん名目は共同作戦として、である。事実上の権限の消失は、サターン国内、特に現場の兵士達の不満を生んだ。しかし、それに甘んじる風潮があるのも事実だった。戦況に於ける自国の優勢が伝えられると、その時流はさらに膨らむ。

 第一六部隊を乗せた輸送機の中には、隊員一〇名の他は機銃付き装甲車が一台、野営用の設備を収納した小さ目のコンテナが二つ――それだけだ。明らかに輸送機が大きすぎるのは、誰の目にも見て取れた。

 軍用の輸送機となると、決して快適なシートが備えられている訳ではない。輸送機の大半を占める、いわば倉庫部分に、兵士も輸送物資と共に詰め込まれる。轟音と激しい振動が、あらゆる五感を鈍らせた。その環境での会話は、当然、大声を必要とする。

 一人の声が響いた。

「その士官はなんだって殺されたんだ?」

 体に合わせたような声の大きさを持つ少尉――ヨシフ・スタコブだった。部隊一〇人の中では一番年上だが、隊長の少佐、次の中尉に次いで三番目の立場になる。四二才のイカツい顔の男だが、よく喋る男でもあった。

「しかも訓練の最終日だろ? イジメでもあったんじゃねえのか?」

 アルクラスが応えるより早く、スタコブが続ける。

「お前はどうだったんだアルクラス……その士官にイジメられたことはねえのか?」

 アルクラスは軽く溜め息をついてから応える。

「別に……真面目な訓練士官でしたよ」

「じゃあ何で――」

「ホモだったんじゃねえのか?」

 ニヤニヤとしながら口を挟んだ一等兵のハブ・ハウルが続ける。

「その士官がホモで、無理やりに――」

「おい――」

 更に口をはさんだのが同じ一等兵のウィズバスク・ガランだ。ガランは真剣な口調で続ける。

「同性愛者をバカにしてるのか? 俺も同性愛者だ。差別なら――」

「待てガラン――」

 隊長で少佐のアズル・ウォーフだった。一瞬気まずい雰囲気になりかけた場を、冷静でありながらも強い口調で制する。

「同性愛は社会的にも認められたものだ。ハウル……そういう差別意識を持っているようなら軍隊の規範として問題がある。上に報告する。いいな」

 ウォーフはハウルに強い視線を送った。バツが悪そうなハウルが押し黙る。考えて口を開くタイプではない。今までもこういうことが何度かあった。

 すかさずスタコブが間に入る。

「まあまあまあまあ――気にすんなよハウル。少佐だって本気じゃねえや」

「いや、ダメだ」

 ウォーフの口調は強い。そんなウォーフをガランは憧れにも似た目で見つめた。

 アルクラスの隣りに座る同期の二等兵――ロズル・ツーベルがアルクラスの耳元で囁く。

「凄い隊長だな……カッコいいぜ」

「ああ……」

 そう応えたアルクラスだったが、本当はそれほどウォーフを信頼してはいない。人を寄せ付けない雰囲気のせだろうか、それとも生理的に合わないのだろうか、その理由はまだアルクラス本人にも分からない。

 スタコブが苦笑いをしながらアルクラスに顔を戻して言った。

「まあ、それはそれとしてだ……で? 結局お前はその場にいてどうしたんだよ」

「反逆罪として処刑しました」

 平然と、アルクラスは応えた。その冷酷にも見える顔を、窓からの強い日の光が照らし出す。

 隊員達は一斉にアルクラスを見るが、アルクラスは視線を落としたまま誰の目も見ない……そして続ける。

「訓練士官の命令です」

 すると、ハウルの舌打ちが聞こえた。ハウルは続けて無意識に言葉を吐き出す。

「マジかよ……」

 ウォーフがハウルを見る。しかし次に口を開いたのはスタコブだった。

「結構なもんだ……」

 声のトーンがさっきまでとは違う。

「訓練で早速殺してきたとはな」

 アルクラスがその言葉に反応するかのように顔を上げた瞬間、全員の耳にウォーフの冷静な言葉が届く。

「その事件は――」

 今度は全員がウォーフを見た。

「三人が同時に撃ったと聞いてる。誰の弾が当たったかは分からん。くだらん詮索はするな」

 全員の視線がバラバラになり、アルクラスは再び視線を落とす。

 そして小さく呟いた。

「……俺が最初に撃ちました……」

 轟音の中、聞こえたのは両隣のスタコブとツーベルだけらしく、二人だけがアルクラスを見た。

 その直後、全員の体を、何かに包み込まれるような嫌な感覚が襲う。

 機体が降下した。

 しばらくして滑走路にタイヤが着いた瞬間、体全体に反動がぶつかる。再び嫌な感覚に包まれるが、やがて振動が消え、それまでの轟音が小さくなっていく。隊員たちの目の前の扉が、ゆっくりと開き始めた。バラバラに腰を上げる隊員達。

 アルクラスが何人かに続いてタラップに足を掛けた時だった。背後から近付いてきた中尉のスカイ・コンツァードが、突然顔を近付けて言う。

「大したもんだ。殺しは“経験”だ……どんどん殺しな」

 輸送機の中でもライフルを手放さないような男だった。無口だが、時々嫌な言い方をする。温和に見えるスタコブですら得意なタイプではないのだろう。作戦時以外で二人が話しているのをアルクラスは見たことが無かった。そのスタコブの声が背後から聞こえる。

「殺しを賞賛するような言い方はやめた方がいいですよ中尉」

 スタコブにとっては、コンツァードは年下であっても上官になる。一般の高等大学を卒業して入隊したスタコブには、どうしても年下の上官が多い。軍の高等大学を卒業していなければ、エリートコースは歩めない。

 コンツァードは立ち止まって振り返ると、細い目でスタコブを見て言った。

「殺しが嫌な奴は除隊すればいいのさ」

 そう言うと、コンツァードは足早に歩き、先に進んだ。取り残されたかのようなアルクラスにスタコブが声を掛ける。

「アイツは口が悪い……気にすんなよ。お前はまだ若い」

 スタコブにもコンツァードの言う言葉の意味は分かっていた。否定はしない。事実でもあるからだ。しかしスタコブにとっては、入隊したてのアルクラスのような若者に進んで教える気にもなれない事実だった。

 入隊してから一ヵ月近く――偵察任務にしか就いたことのないアルクラスは、まだ実戦を経験していない。

 午後に入り、強い太陽の光が、少しずつ傾き始めていた。



 偵察が主な任務の部隊の場合、基地に到着してからの休憩は通常五時間から六時間。その間に食事と睡眠をとる。しかしこの日は一時間で招集がかかった。

「第二八偵察部隊が敵と交戦状態に入った」

 隊長のウォーフがテント内のテーブルに広げた地図を指差して続ける。そこは今まで戦場ではなかった小さな国境沿いの村だ。

「これから支援に向かう。間に合えばだが――おそらく戦闘になるだろう」

 スタコブが口を開く。

「敵も動いてきたな……“穴”を攻めてきたか」

 コンツァードの口元に笑みが浮かぶのを、アルクラスは見逃さなかった。

 そしてハウルも口を開く。

「五人の新兵抱えて実戦かよ。キツ過ぎませんか少佐」

 ウォーフは即答する。

「命令だ。全員三〇分で出発の準備をしろ」

 スタコブが小さく息を吐いた。

 アルクラスを入れて新兵は五人。全員が同じ訓練施設の出だったが、それぞれお互いのことは殆ど知らない。正式に入隊し、第一六部隊に配属されてから少しずつ話をするようになった程度だ。しかし誰もが、他の仲間のことを知ることに貪欲ではなかった。そう育てられたせいもあるのだろう。あのアルクラスでさえ、プライベートな話を聞いたことはなかったし、聞かれたこともなかった。そして、それが自然なことだと感じていた。

 今回の作戦の移動は輸送ヘリだった。行き先に滑走路は無い。その輸送ヘリに荷物を積み込むアルクラス達五人の新兵に、背後から声を掛けたのはコンツァードだった。

「迫撃砲はいらねえのか?」

 すでにセミオートのライフルを肩に掛けている。

返答に困る五人に代わって、近くで指示を出していたガランが応えた。

「マースの地上部隊が先行してるそうなんですよ。戦車二台とトラックに迫撃砲積んで――」

「なんだと? さっきはそんな話なんか無かったじゃねえか」

「俺も聞いたばかりなんですよ中尉。少佐に聞いて下さい。たぶんまだテントに――」

 ガランの言葉の途中で、すでにコンツァードは背を向けて歩き出していた。その背中を見ながら溜め息をつくガラン。アルクラス達はまるで関わりを持ちたくないかのように、そんなガランの態度を見ながらも黙って作業を続けた。

 テントでは、ウォーフとスタコブが地図を見ながらミーティングを続けていた。

「別働隊ってどういうことだ。しかもマースの……」

 コンツァードはいきなり噛みついた。

 ウォーフは溜め息混じりに応える。

「俺も聞いたばかりだ」

「戦車付きの地上部隊が先行してるのに――俺達は何をしに行くんだ」

 するとスタコブが身を引きながら言った。

「きっとそれだけ大変なことに――」

「マース軍の命令だ」

 ウォーフが強い口調で続ける。

「情報伝達の問題は指揮系統の問題でもある。しかしマース軍が絡んでいる限り、俺たちにはどうすることも出来ない。言いたいことがあるなら直接司令部に掛け合え。――スタコブ少尉」

「はい」

 背筋を伸ばすスタコブ。

「新兵五人は少尉とガラン一等兵で頼みます」

「お任せ下さい少佐」

「出来るだけ無事に――」

 ウォーフのその言葉を、コンツァードが遮った。

「足手まといなら置いてけよ」

 その言葉を聞いたウォーフがコンツァードを睨みつける。

 それまでの経験からか、敬礼をしたスタコブがそそくさとテントを後にした。

 ウォーフは腰のホルスターからオートマチックの拳銃を取り出し、テーブルの上に広げたままの地図の上に置いた――固く低い音がする――銃口はコンツァードに向けられ、銃のグリップを指だけで触り、低い声で言った。

「分かるなコンツァード……俺もアイツらの命令で動くのは真っ平だ……腹が立つよ……しかし、今は我慢しろ……命令に従え……分かるな?」

 敬礼もせずに黙ってテントを出て行くコンツァードを見ながら、ウォーフは微かに震える手で銃をホルスターに収めた。



 上空の輸送ヘリの窓から目的のベースキャンプが見えると、隊員達は唖然とした。

 深い森の端――森の入口と言えるような開けた草地に設営されているそのベースキャンプには戦車が二台とトラックが数台。装甲車も何台か見えた。決して小さな部隊ではない。かなりの数のマース陸軍の兵士も見える。少なくとも、とても交戦中には見えない。

 輸送ヘリが着陸し、隊員達がコンテナを下ろす中、ウォーフは一人で設営テントに向かった。

 作業を続けながらも、ハウルが愚痴をこぼし始める。

「一体どうなってんだ? 大変なことになってるから俺達に応援要請があったんじゃねえのかよ。大体、この森の中で戦闘すんのに戦車と装甲車って何なんだ。入ったところで動けやしねえ」

 さすがのスタコブも釣られて愚痴をこぼす。

「どう考えたって人海戦術しかねえな。それなのに――」

 周りをのどかに行き来するマース兵を見て、スタコブが続ける。

「あいつらは何なんだ。兵隊だったら余ってるじゃねえか」

「戦争がどんなものか知らねえのさ」

 口を挟んだのは、コンテナの横で愛用のセミオートライフルのチェックをしていたコンツァードだった。

 するとハウルがそれに応える。

「お、珍しく意見が合いますねえ中尉」

 スタコブもそれに口調を合わせるように言った。

「マースが嫌いなのはみんな一緒ってことさ」

 コンツァードが鋭い目線をスタコブに送るが、スタコブ本人は気が付いていない。そしてコンツァードが言った。

「お前らもせいぜい、俺に撃たれないように気を付けな」

 全員が装備のチェックを開始した頃、設営テントから戻ってきたウォーフが声を掛けた。

「ここから五キロほど森に入った地点で、“敵と遭遇中”という無線を最後に第二八部隊との交信が途絶えた。これから我々は偵察及び救出に向かい、敵と交戦の場合にはこれを支援する」

「つまり?」

 先にそう口を開いたのは、やはりハウルだった。溜め息混じりのウォーフが応える。

「何だハウル」

「つまり少佐、どういうことですか? よく分かりませんが……ここにいるマースの先行部隊って――」

「我々からの連絡待ちだ」

「これだけの大部隊がいながら――」

「捨て駒さ」

 口を挟んだコンツァードが続ける。

「アイツらは最初から自分達の手を汚す気なんかねえよ。そういう連中さ……いいじゃねえか。死ななきゃいいんだろ? 黙って五キロ歩けば敵と御対面だ。後は引き金を引けばいい――」

「だが――」

 コンツァードの言葉を制したのはウォーフだった。

「すでに午後四時を回った……五キロ先に到達する前には暗くなるだろう。全員、細心の注意を払ってくれ」

 すると、それにスタコブが応える。

「なあに、夜の偵察任務は何度も経験してますよ少佐。新兵達だって数回やってます。陣形だけ決めてもらえれば……」

 コンツァードが舌打ちをする――その音はスタコブの耳にも届いた。

 ウォーフがスタコブに返す。

「そうだな……すまない少尉」

 ウォーフが明らかな不安を抱えているのは、アルクラス達五人の新兵にも分かった。隊長の態度としてどうなのかとアルクラスは一瞬思ったが、その不安が無理の無いものであることもまた分かっていた。

 ――状況が見えない――これは最も危険なパターンの一つだ。敵と交戦中だとしても、その戦況が分からなければ増援部隊の編成も難しい。そんな中で新兵を五人も抱えた寄せ集め部隊のような第一六部隊を動かすということに、隊員達が戦術的な不安を感じるのは当然と言えた。



 森に入って二時間――辺りはすっかり暗闇に包まれていた。

 しかも森の闇は深い。月明かりが行き場を求めて彷徨うかのようだ。

 隊員達の進行を妨げているのは闇だけではない。ベースキャンプの草地では分からなかったが、森に入るとすぐに隊員達の足に湿った草が絡まりだした。しだいに地面が柔らかくなっていく。木々の殆どは太く長い――その間を埋め尽くす小さな木々や草は目の高さだ。自然と隊員達の視界を遮る。その為、陣形を広く取る訳にはいかなかった。まして新兵が五人もいては“迷子”が出る可能性も捨て切れない。この状況一つ取っても、交戦状態になった場合の難しさと危険性は高いと言えるだろう。

 しかし、森は静かだった……。

 現場の状況に加え、先の見えない緊張感――兵士にとって通常ならばそれほど遠くは感じないであろう五キロという距離が、今の隊員達にとっては先の分からない長さに思えた。下手に大声を出すことも当然許されない。敵部隊が進行を続けているとしたら、いつ戦火を交えることになってもおかしくはなかったからだ。

 しかし偵察部隊となると、もちろんこういった隠密的な作戦行動は日常茶飯事ではあった。部隊が使用しているセミオートのライフルも軽く、操作時の余計な音も少ない消音設計になっている。銃声以外に関しては、通常のセミオートライフルと設計レベルで大きく違う部分も多い。しかしそのせいか弾丸の口径は小さく、相手に与えるダメージも小さい。軽量化の為か装弾数も決して多くはない。しかし分解・組み立て式の利点は大きく、非常用としても広く用いられ、海軍でも正式採用されたほどだった。

 コンツァードはそのライフルを常日頃からオモチャのようだと言って嫌っていた。元々特殊強襲部隊に所属していたコンツァードにとっては、重火器こそ慣れ親しんだ兵器だったのだ。それは部隊の性格だけでなく、気の荒い彼の性格にも合っていたのかもしれない。

 前の世界戦争で初めて従軍したコンツァードは、初めてそこに自分の居場所を見付けたような気がした。初めて敵兵を撃ち殺した時――明らかに銃口の先で、銃声の振動に呼応するように飛び散る人影……“命”を感じ、“命”が消える瞬間を味わう……そして、自分自身の“生”に歓喜した。体の中心を何かが一瞬で駆け抜ける……目の前の光景が輝いたように見えた――。

 やがて戦争が終わる――敗戦を迎えた時、コンツァードは物心が付いてから初めて涙を流した……。

 そして四年――コンツァードが偵察部隊に配属されたのは、マースによるサターン軍の再編成計画の結果だった。マースに対して過剰な恨みがあるのはコンツァードだけではなかったが、部隊の中では飛び抜けている。

 そしてコンツァードは実戦を待ち望んだ。

 目の前の草木に遮られた闇の中に“敵”がいる――。

 殺されるのを待っている……。

 殺される為にやってくる……。

 辺りには、揺れる月の木漏れ日に共鳴するように弱い風が吹いていた。漂う影がいくつもの虚像を造り出し、全員の意識を惑わす。隊員達の緊張感は限界を超えようとしていた。その張り詰めた静寂の中、誰も口を開こうとはしない。

 そしてあまりにも唐突なその“音”が、ゆっくりと、少しずつ、湿った地面を伝った……。

 緊張感が限界に到達する時、多くはその五感を鈍らせる――。

 体に入り込んでくる音は静かで、風の音に紛れながら近付く――。

 そしてウォーフの一言が、震え始めた緊迫感を切り裂いた――。

「敵襲!」

 大きく辺りを照らした閃光が、スタコブとその後ろのアルクラスの横をかすめる――。

 ――瞬間、追いかけた視線の先で、横にいた新兵の一人が体を躍らせた――。

 一斉に響き渡る、辺りを包む銃声――。

「スピーダーだ!」

 誰かの叫び声が聞こえた。

「森の中でか! プロペラが――!」

 アルクラスの目の前のスタコブの声が銃声で消える――。

 そのスピードで部隊の後方に回り込んだスピーダーのライトが迂回を始めると同時に二台目のスピーダーが突入してくる――。

 アルクラスはスタコブの片手で地面に叩き付けられた。

「よく狙え! 早いぞ!」

 スピーダーの低く、そして甲高い音が辺りを包む――。

 小型のジェット推進と小型のプロペラを利用して低空の高速移動を実現させた一人乗り用の強襲兵器――スピードは速い。小型とはいえプロペラがある為、森林での稼動は無理だと思われていた。しかもイザルではなくネプチューンの開発した兵器だ。秘密主義を貫いてきたネプチューンが、いくら軍事同盟を結んでいるとはいえ最新の兵器をイザルに売り渡すとも思えない。隊員達にとって、あまりにも予想外な“敵”だった。

 スピーダーから繰り返し放たれる銃声――。

 前方からも閃光が届く――。

 応酬の銃声は絶え間無く響き続き……。

 アルクラスの目の前を何度も白い光跡が行き交い、世界を明るく染めた……。



 八カ国同盟は大陸の南側に集中している地方の国々だ。その内、アンタレス、カストル、カペラ、イザルの四カ国が南に向いた海岸線を持っている。その海を越えて南に一〇〇キロ――島国のスピカがあった。

 スピカは前の世界戦争以前からのマースの同盟国だ。敗戦を理由とした半植民地的な同盟国のサターンとは違い、歴史的にもマースとの繋がりは深い。サターンのような反政府的な活動もほとんど無く、気候と同様に国民気質も穏やかな豊かな国である。島国であることから漁業、温暖な気候ゆえの農産物、それを活用した観光産業に優れていた。

 決して大国ではないが自国の軍隊形成にも力を入れ、年に二回、マースとの合同軍事訓練がスピカ国内で行われる。マースに対して決して恥ずかしくない軍隊組織を誇っていた。そして更には、自国の軍事施設の他にマースの空軍基地が一年前に完成したばかりだった。マースにとっては八カ国同盟への空爆作戦の拠点として重要なポイントになる。しかしスピカ政府としては、防衛としての軍事作戦は進めても、決して先制攻撃をするようなことは無かった。実質的な中立国――他国にはそういう見方をする所もある。しかし軍事的な面だけでなく、政治的、経済的にもスピカがマースの同盟国であることに変わりはない。

 八カ国同盟側にすれば、自国の目と鼻の先に存在するスピカはやはり脅威だった。海岸線からマースの大陸までの距離の遠さを考えると、スピカの存在は正に戦争の優劣を左右する島国だ。前回の世界戦争では現在の八カ国同盟の国々はスピカやマースと敵対関係にはなかった。しかし戦後の世界情勢を考えた時、当時からスピカは危険な位置にあったと言える。なぜなら後に八カ国同盟となる国々にとっては、スピカはあくまでマースの属国に過ぎなかったからだ。

 当時、いやそれ以前から、国と国の間には微妙な距離があった。有事の度にその距離が変化し、国民の心情を翻弄させる。しかし国家が見ているのは人民よりも自国の“位置”だった。有事を経由してその後がどうなるのか……それは、どの国でも同じなのかもしれない。

 スピカの北の海岸沿い――スピカ海軍の基地がある。

 そこに集結するマースとサターンの連合軍――中心となるマース海軍と、揚陸部隊としてのマース陸軍とサターン陸軍。マースが主導する、カストルの海岸への揚陸作戦の連合軍だ。

 スピカ国内のマース空軍基地からの爆撃機による空爆もそれなりに効果は上げていたが、ネプチューンを後ろ盾にした八ヶ国同盟の激しい抵抗の中、決定打に欠けていたのが実態だった。その膠着状態を打破する為、マースはついに揚陸作戦を決行する。海岸線ギリギリまで揚陸艇を運ぶ揚陸艦はマース海軍で占められていたが、実際に揚陸艇に乗り込む兵士数はマース陸軍が千人余り、サターン陸軍が二千人余り――事態の大きな進展を賭けた大作戦だった。

 サターン陸軍、第五三揚陸部隊――その部隊に、開戦直後に少尉から中尉に昇格したばかりのロザリス・シオンがいた。

揚陸部隊の編成によって、四カ国同盟への支援部隊に配属されていたロザリスに転属命令が下り、すでに海上にいた揚陸部隊に合流した時は作戦の前日だった。

 同じように数名の兵士達と空から輸送ヘリで揚陸艦に到着したのは夜。作戦の決行は明日の朝――早朝。まだ薄暗い時間だ。到着早々にミーティングに参加したロザリスは思った。

 作戦が無謀すぎる……。

事実、その内容は単純明快だった。大量の揚陸艇で大量の兵士を砂浜に送り込むだけだ。同行する戦艦からの艦砲射撃があるだけで空からの支援は無い。その分の兵士の大量導入に思われたが、実際に動かされる兵士にしてみれば、それは兵士の命が大量に奪われることを意味していた。

 空爆に力を注ぎ過ぎたか……マースは何かを焦っているのか……。

 それは海岸線の地形や起伏を見ても明らかだ。さほど大きくない砂浜が広がっている所に部隊を分散して突入させる。上陸してからの隆起の激しさから言っても、敵が隠れて砂浜を攻撃するのは容易だ。揚陸艇の前部にある扉が開いた途端に狙い撃ちされてしまうことも簡単に想像が出来る。

 揚陸艦の広い居住区の一つに多くの部隊が密集し、夜明けを待っている。ほとんどの者が不安を抱えたまま何も喋らず、またある者は何かを抑え込むように喋り続けていた。

 ロザリスの隣りにしゃがみ込んでいる若者が話し掛ける。

「中尉は不安じゃないんですか? この作戦」

 若者の名前はバスコノフ・スヴァル――一三才。

「不安か……」

 ロザリスは遠くを見るような目で続ける。

「それは作戦の成功に対しての不安か? それとも自分が生き残れるかどうかの不安か?」

 決してキツくはない、柔らかい口調でロザリスは言った。するとバスコノフは、少し困惑したように答える。

「そうですね……やはり軍人ですから、作戦の成功が一番だと……」

 少しだけ間を空けて、何かを考えたロザリスが言った。

「君は? どこの部隊からだ? 皆、どうやら寄せ集めが多いようだ……」

「いえ……この作戦が初めてです。――志願しました。一週間前に訓練が終わったばかりで――」

 こんな新兵を……こんな作戦に……。

 バスコノフはあくまで笑顔で続ける。

「まだ義務教育校も卒業してなくて……家も貧乏だし……仕事も見付かる訳ないし……軍には感謝してます。ホントに……」

 家族の為に兵士になったばかりの実戦を知らない若者を……一瞬で命を落とすかもしれないような戦場に送り込む……それが戦争か……。

「君とは同じ部隊だ――」

 遠くを見つめるような目のまま、ロザリスは続けた。

「同じ揚陸艇に乗り込むことになるだろう……」

「はい」

「俺の後ろに着いてろ……無駄に死ぬな……怖がるなら“死”を怖がれ……“死”を恐れない人間は生き残れない……」

「…………」

「俺は……怖くない…………」

「…………」

「だから……俺の後ろにいろ……いいな……」

 ロザリスは、墓守をしていたアルクラスを思い出していた。戦争が始まった今、アルクラスがどこでどうしているのか……今のロザリスには知る術もない。

 作戦決行の朝までは、まだ長かった…………。



 登り始めた太陽が空を照らし始め、海の地平線がオレンジ色に染まる。その色が維持される時間は短い。

 兵士達はその空の色を眺める時間すら許されないまま、艦内で揚陸艇に乗り込む。揚陸艇といっても簡素な物だ。鉄板で造られた箱に小型船舶用のエンジンを着けただけの、正に揚陸の為だけの船。武器と呼べる物は何一つ装備されていない。兵士達はその揚陸艇の箱の中に立ったまま、砂浜に運ばれることになる。

 その揚陸艇を運ぶ揚陸艦が目標地点に近付き、時間が迫った。揚陸艇の収納庫内で、兵士達は目の前の扉が開くのを待ち、その時間を恐れた。庫内は暗く、誰も一様に口を開かない。

 揚陸艦の揺れが、少しずつ静かになる。それに兵士達が少しずつ気付き始めた。同時に緊張感が広がっていく。

 やがて金属の擦れるような嫌な音と共に、扉の隙間から強い日差しが差し込む――。

 朝陽はなぜか強い――空全体が青く包まれた直後の朝陽は、その強さをまるで誇示するかのようだ。痛いくらいに目に眩しい。そして目の前の巨大な扉が開く間、辺りの空気を包み込んでいた緊張感は兵士達の意識を占拠する。全員が、ただその光に脅威を感じ、やがて受け入れ初めていた。

 先頭の揚陸艇がゆっくりと動き出す――。

 各揚陸艦から、ほぼ同時に揚陸艇が次々と広がり始めた。まるで、抑圧された何かが溢れ出すようだ。

 もう止められない……引き返すことは出来ない……。

 誰もがそれは分かっていた。だからこそ揚陸艇にしがみつき、揚陸艦には振り向きもしない……。

 第五三揚陸部隊――ロザリスとバスコノフの乗る揚陸艇も海に浮かぶ。下から押し上げてくるような感覚が全員の体の中心を同時に突き上げ、大きな水飛沫が視界を覆う。続く繰り返す揺れが意識を遠のかせていく。少しずつ、小さくゆっくりとなっていくその揺れに、やがて感情が戻ってきた。

「最後まで……俺から離れるな……」

 ロザリスが小さな声で背後のバスコノフに言った。

 緊張か恐怖か、バスコノフは黙っている。ロザリスは、それでいいと思った。余計なことを喋る人間は生き残れないような気がしていた。余計な戦術など、今は必要がない。ただ目の前の敵に向かって突き進めばいい。

 そしてロザリスは、アルクラスにもそうであってほしいと思った。なぜか分からないが、波に揺られながら、不思議とそんな感情が芽生える。アルクラスがバスコノフのように志願兵として戦争に参加しているのなら、彼がどう変わったのか、彼がどう変わっていくのか、ロザリス自身にも何か責任があるような気がしていた。欺瞞かもしれないが、なぜかロザリスはそんな感情に包まれる。

 揚陸艇の波が、広がりながら少しずつ砂浜に近付いていく――。

 突然、ロザリス達の斜め後ろで巨大な水飛沫の音がした。兵士達が振り返ると、それは太い水の柱を数メートル造り上げ、すぐに海面に消える。爆発音は不思議と聞こえなかった。それが何であるのか、理解するのに少し時間を要する。今度は斜め前方――さっきよりは少し距離はあるが、その場の――おそらくは他の揚陸艇の兵士達を含めて全員が、やっと理解する。

 身構えた――。

 全身の筋肉が強張る――。

 相手は――。

 頭上からやってくる――。

 揚陸艇の上――。

 逃げられない――。

 次は爆発音にも似た水飛沫がすぐ横で弾ける――突然のことに驚くよりも早く、海水がロザリス達を頭上から襲った。想像以上の海水の量だ。

 バスコノフは、自分の足が震えているのに気が付いた。止めようとしても、その震えは益々恐怖心を増長させていく。目の前のロザリスは微動だにしていないように見えた。ロザリスの背中は堂々として落ち着いているようにすら見える。少なくともバスコノフには、そう見えた。

 嫌な音がした――見ると、横を進んでいた揚陸艇が煙を上げて飛び散った――少しずつ速度を落とし、その姿を海中に潜らせる……。直撃を逃れた兵士の体が、海面に漂い始めた……もはやそれは、波の力だけで動いている……。

 誰かの叫ぶ声が聞こえた――。

「次は機銃の弾幕が来るぞ!」

 だからといって、ここから逃げることも出来ない……。

 揚陸艇は容赦なく砂浜へと近付く――。

 至る所で上がる水飛沫――不思議なことに、時としてそれは爆発音に代わる――その音に混ざって、鋭く空気を切るようないくつもの音が頭をかすめ、海面で鈍い音を出し、揚陸艇の鉄板で甲高い音を立てた。その音は、繰り返し、何度も何度も兵士達の耳の奥に突き刺さる――。

 もはや、ただ祈るだけ……。

 誰に祈るのか……何に祈るのか……それは、兵士の数だけ違った……。

 少なくとも、バスコノフの思考は、完全に停止していた。

 そしてその状況を、巨大で低い音が切り裂く――。

「艦砲射撃だ!」

 誰かの叫び声が耳に届き、バスコノフは我に返った。

 海水を伝う地響きのような振動が、体を痺れさせる。もの凄い砲弾の数だった。やがて海岸線に炎と土煙を幾つも上げ、兵士達の士気に火を点けた。歓声の上がっている揚陸艇まである。

 バスコノフの口元にも笑みが浮かぶ。しかしその目は、相変わらず恐怖に覆い尽くされていた。

 ロザリスが顔を左に向けた。バスコノフからは左目だけが見える。その目を見ていた時、ロザリスの目だけが動いた。身を低く落としていたバスコノフを見下ろす目――そしてバスコノフは、その目に、それまでとは違う更なる恐怖を感じた――。

 これが……軍人……――バスコノフは目線をずらすことすら出来ない。

 動けなかった――頭上を通り過ぎる機銃の弾丸すら、今のバスコノフの意識には残らない――。

 砂浜を目前にして、揚陸艇の動きが止まる――同時に目の前の扉が開く――待ち構えていたかのように飛び込んでくる銃弾の雨――海水に足を濡らすことすら出来ずに崩れ落ちる兵士達――それを掻き分けて、その場を生き延びた者だけが海へ――。

 ロザリスもその中にいた……バスコノフもその背中を追い掛ける――ただ震えるだけの足を踏み出していた――その瞬間、頭を過ぎる……いける――バスコノフは膝下まで浸かる海に飛び込み、走った――目指すのはロザリスの背中だけ――周りは何も見えていない――背中のバックパックと手に張り付いたライフルの重さが、足に絡みつく海水と共にバスコノフの逸る気持ちを邪魔していた。

 弾丸が空気を貫く音が体に纏わりつき、巨大な水柱がバスコノフを頭から濡らす――視界の焦点が定まらない――体の動き、振動、鼓膜を破ろうとするかのような爆音――全てが意識を鈍らせる――。

 中尉は――。

 もはや野獣の群れと化した兵士達が、次々と砂浜に広がり始める。

 砂浜に腹這いになってなってライフルの狙いを定める者――走りながら引き金を引く者――艦砲射撃の造った即席の砂丘に身を隠す者――。

 ロザリスは砂に体を打ち付けるようにして砂丘に飛び込んでいた――続くバスコノフ――。

 ロザリスは視線の先の、敵兵の位置を確認しながら言った。

「よく来たな――大したもんだ」

 バスコノフは息を切らして返事も出来ない。それを見てロザリスが続ける。

「ムダ弾は使ってないだろうな」

 視線を敵に戻したロザリスはあくまで冷静だった。

「次に俺が合図したら、あそこの――」

 ロザリスは前方の砂丘を指差しながら続ける。

「砂丘まで行くぞ。あそこなら敵にも近い――手榴弾も届きそうだ」

 ――敵の銃声の間隔を計る――。

「いいか――」

 腰を浮かすロザリス――。

「いけ!」

 ロザリスが先頭に立って飛び出した――バスコノフはただ闇雲に走る――。

 そして次の目的地に到着する直前――やっと気付く……。

 血の匂いがした……首を少し回しただけで、辺りが屍で埋め尽くされているのを知る……。

 砂に体を押し付けながら思った。

 ……ここは、どこだ…………?

 一瞬、周りの音が意識から遠のく……しかし、再び爆音がバスコノフの意識を引き戻した。眩暈に似た感覚が、余韻のように頭を包む……。

 ロザリスは手榴弾のピンを口で抜くと、大きく右手を振りかぶる――そして待ち構えた爆発音が響くと、ロザリスはまた腰を浮かす――。

「行くぞ!」

 砂を蹴るロザリス――。

 バスコノフに、何かを考えている余裕などは無かった…………。



 早朝のベースキャンプに、霧が立ち込めていた。目視で森の中が見えない程だ。

 その霧を、上空を行き交うヘリコプターの風が揺らす。

 アルクラスはライフルを肩に立てかけたまま、朝露に濡れた草の上に座り込んでいた。すこし距離を置きながら、他の隊員達も一様に座り込んでいる。首を項垂れ、まるで誰もが一人でいたいかのような、そんな光景だった。

 しかしそんなことは気にせず、隊員達の周りをマース軍の兵士達が闊歩する。ここのベースキャンプを新たな軍事拠点にする為の準備に余念が無い。今日中にかなりの量の物資が運ばれてくることだろう。一時的に撤退をしたとは言え、目の前の森が新たな戦場の拠点となることは明白だ。敵もこの森の向こうに軍事拠点を作り上げて、こちらの出方を待っていると思われる。

 敵――イザルとネプチューンの連合軍は第二八偵察部隊を壊滅させた。今まで対イザルの戦闘にネプチューン軍が加わっていたことはない。地理的にもネプチューンとイザルの間には四カ国同盟かマース側についたジェミニが存在する。空路・陸路共に、強行突破には多大な犠牲が想定される。それ程の割の合わないことをするとも思えない。

 第一六部隊も、ほぼ壊滅と言っていい。新兵の二等兵が三名、ハヴ・ハウル一等兵が戦死――隊員一〇名の内の四名が犠牲となり、独立した部隊としての新たな作戦行動は不可能と言ってもいい。しかも、生き残った六名も軽症ではあったが傷を負っていた。精神的なダメージも大きい。

 座り込み、茫然自失のアルクラスにスタコブが近付く。隣りに座ると、言った。

「どうだ? 新人……怖かったか?」

「…………」

「あれが実戦だ――と言いたいが、最初にしてはハード過ぎたな……俺はいつも思うよ――」

 手にしていたライフルを傍らに置いて、スタコブが続ける。

「怖いのは敵の攻撃じゃない……仲間の死だ……生き残った人間にとってはな……」

 少し間が空いてから、アルクラスがゆっくりと口を開いた。

「…………どうして……ネプチューンが……」

「開戦前に兵器だけをイザルが輸入していた可能性もある。ただ、兵士の一部は間違いなくネプチューンの軍服だった……戦争以前からこっそりと駐留していたか、もしくは中立国経由で八カ国同盟側に入り込んだか……大陸の西の――」

「リゲルか……ビーナス――」

「だとすると……かなり戦況は変わるな。勢力図を塗り替えなきゃならん」

「ビーナスはマース寄りだと思ってました……」

「みんなそうさ。だから司令部も今回の展開は予想していなかった……だが、もしかしたら……」

 急に小声になって、スタコブは続けた。

「マースの連中は何かを掴んでた……だからその“偵察”に、俺達を使ったのさ。最終的にマースの強襲部隊が事を収めるなら俺達が先陣を切る必要なんかなかった……ヘリ部隊まで使いやがって……あいつら特殊部隊だぜ」

 軍の高等大学を出ている訳ではないのでエリート組ではないスタコブだが、前の世界戦争以前から軍人をしているベテランだ。当然マース軍と闘った経験を持っている。その為か、知識だけでなく、マースそのものに対して何か屈折したものがあるのも事実だった。

 国の都合と言えばそれまでだが、かつて敵だった相手と協力するのは、心理的にも決して簡単なことではない。仲間を殺し、国民を殺し、自分の家族を殺した“敵”……しかも現在の同盟の主導権を握っているのは、かつてのその“敵”だった。

「なあ、アルクラスよ……」

 急に柔らかい口調になったスタコブが続ける。

「せっかく生き残ったんだ……お前の身の上話でも聞かせろよ」

 初めての実戦の後の新兵に、スタコブはいつもそうしていた。最初の戦闘を潜り抜けた者にしか聞かない。初めての実戦で命を落とす若者が多いのを、スタコブは経験で知っていたからだ。

「義務教育校を卒業する直前に志願したんだろ? どうしてまた……」

 するとアルクラスは、促されるままに口を開いていく。

「本当は……海軍高等大学に入りたかったんです……父さんが海軍にいたから――」

「じゃあ前の戦争の時も……」

「戦死しました……マースに――魚雷を撃ち込まれたって、聞いてます」

「そうだったのか……」

 さり気なく、スタコブは近くのマース軍兵士に目をやる。

 アルクラスが続けた。

「母さんと弟の三人じゃ食べていけなくて……入隊すると恩給が……」

「大事にしな……お袋さんと弟の為になんとしても生き残れ……」

「――…………」

「俺は、家族を全員亡くしたよ……親も、かみさんも子供達も……マースの空爆でな……だから、俺には軍隊しか居場所がないのさ。言い訳かもしれんがな……」

 アルクラスはそこまで聞くと、両膝を抱え、そこに顔を埋めた……。

 いつの間にか霧が晴れ、朝の日差しが強く降りそそぐ――。

 上空から、重厚な独特のプロペラ音が空気を揺らす。サターン陸軍の輸送ヘリだ。

 隊員達は、返り血を浴びた軍服のまま、立ち上がる。

 しかしアルクラスだけは、顔を上げられないままに僅かに体を震わせ、膝を抱え続けていた…………。



 数時間前――。

 怖かった…………。

 ただ恐怖だけが全身に纏わりつき、体中の神経を凍らせる……。

 湧き上がる血液が全身を走り回り、アルクラスの目の前の森を明るく照らした。しかし敵の姿は見えない。しかも闇からやってくる光跡は、確実に仲間の兵士の体を貫いた。

 アルクラスは倒れた兵士に近付く――左腕の位置がおかしい……その手を握り持ち上げたが、兵士の体は動かない。持ち上げたのは腕だけ……アルクラスはまだ温かいその手を離し、兵士の顔を見た。胸の辺りが大きく上下してはいるが、その目は焦点が定まっていない……月明かりに照らされ、全身の至る所が黒く光っている、しかもそれは、明らかに流れていた……。

 無意識の内に、アルクラスの目に涙が溢れていた。全身を何かが込み上げる。

 周りで爆発音と爆風が行き交う中、兵士の胸の動きが止まる……。

 その姿が閃光で映し出された……アルクラスの全身が凍りつく……頭の中までもが固まってしまったかのようだ。まるで目の前に自分の姿を見るかのような、そんな不思議な感覚……。

 墓守をしていた頃、どんなに埋葬に立ち会っても、人の死を身近に感じたことはなかった。死んだ人間であって、死んでいく人間ではなかったからだ。しかも目の前の兵士は殺された人間……ここにいなければ、まだ生きていられたかもしれない――。

 部隊に今回の指令が下らなければ……この部隊に配属されていなければ……志願兵になる決断をしなければ……まだ……。

 アルクラスは引き金を引いた――狙いなど定めてはいない――どこを狙うべきかなど分からない――ただ……怖かった……。

 上空からプロペラの音が聞こえても、アルクラスは撃ち続けた。

 作戦の終了まで六時間以上――ある意味、第一六部隊が全滅しなかったのは奇跡的とも言える。

 マース陸軍特殊部隊の指揮で撤退を始め、霧に包まれたベースキャンプに戻った時には空が白くなり始めていた。隊員達は皆、疲れ切っていた。誰も一言も喋ろうとはしない。体に着いた返り血の匂いさえ感じなかった。

 上空ではマース陸軍の攻撃ヘリが飛び交い、地上のマース軍兵士達は後処理に忙しく行き来する。

 生き残ったウォーフが無言でテントに向かうと、隊員達は一人ずつ草の上に腰を下ろし始めた。

 やがてフランツ陸軍基地への帰還用の輸送ヘリの中――。

 しばらくは誰も口を開こうとはしなかったが、その静寂を破り、ガランが口を開く。覇気の無い声だ。

「……ウォーフ少佐……一つだけいいですか?」

 ウォーフは大きく溜め息をついて、ゆっくり応える。

「どうした?」

 スタコブも顔を上げてウォーフを見た。コンツァードは静かなまま、いつものようにライフルを抱えている。

 ガランが続けた。

「ネプチューンの部隊がいたのはどういう訳ですか? イザル以外の八カ国同盟の軍隊なら分かりますが――」

「分からん……上にもそう報告した」

 それに応えようのないガランを無視するかのように、次に口を開いたのはコンツァードだった。

「ふざけるなよ少佐。イザルとネプチューンの連合軍だってことはちゃんと伝えたんだろうな?」

「俺は確認していない」

「間違いねえだろうが! アンタだってあそこにいたじゃねえか!」

「確認していないと言ってるんだ」

「なあに――」

 口を開いたのはスタコブだ。

「マースの連中には俺達の報告なんて形だけのものですよ。最後は自分達の部隊で締めたんだ。あいつらが一番分かってますよ」

「俺達は、捨て駒だったってことですか……」

 ガランが呟くようにそう言って、続ける。

「もしかしたら最初から分かって……」

「あいつら……」

 コンツァードの呟くような声が、小さく響いた。

 片隅で、アルクラスは沈黙を守っていた。そのままでいたかった。思い出したくない光景が、頭の中で膨らみ続ける……。

 もう一人、口を開けずに震えているのはツーベルだ。アルクラスや戦死した新兵達と同じように、初めての実戦だった。ベースキャンプに戻ってから、ずっと体の震えが止まらない。体の中で何か異常なことが起きている――気が狂いそうになるのを抑えている何かの存在を、まだツーベルは知らない……。

 機内スピーカーから掠れた音声が響いた。振動と騒音の中でも聞こえやすいように大音量の声が耳の奥に突然に突き刺さる。

『――……ウォーフ少佐――……お願いします――』

 ウォーフは一番近くの送信用のボタンを押し、マイクに向かった。

「ウォーフだ。どうした?」

『――帰還先のフランツ陸軍基地が――攻撃を受けています――』

 全員が反応した――ウォーフに視線が集中する。

『爆撃機の攻撃を受けているとの報告が入りました――現在クロード空軍基地から迎撃部隊が向かっています――』

「基地までは後何分だ?」

『――二〇分程度です――』

 ウォーフは少しだけ間を空けた。

「このまま行け――」

 全員が、再びウォーフを見る――。

『――このまま――ですか――?』

 コクピットからの甲高い声が続く。

『――しかし敵も護衛の戦闘機部隊を従えて――』

「命令だ――安心しろ。時間的に考えればクロードからの迎撃部隊の方が俺達より先に着く――パイロットのお前さんだって素人じゃないだろ? 到着の三分前までに決断してやるよ――戦況が最悪なら、その時点で俺達を降ろして離脱しろ――」

『――しかし少佐――これは攻撃ヘリでは――』

「言った通りだ。まっすぐ行け――」

『――……了解しました……――』

 ウォーフは隊員達を見た。

「このヘリの機銃は左右に二つずつ――攻撃能力は充分だ」

「つまりアレか少佐――」

 一人、まるで動揺の見られないコンツァードが続ける。

「当然あいつらは、いつものように爆撃の後に旋回して戻ろうとする――ケツから攻撃するってことかよ」

 するとガランが口を挟んだ。

「しかし少佐、いくら何でもそんな都合よくは……」

「お前達は――」

 ウォーフが毅然と続ける。

「負け戦のまま帰りたいのか? 言ったはずだ。迎撃部隊の方が俺達より先に着く――」

 ガランが応えた。

「でしたら少佐、空軍の迎撃部隊に任せるべきです」

「マースの迎撃部隊にか?」

 ウォーフのその言葉に、一瞬その場が凍りついた――。

 しかしガランは続ける。

「俺達が到着する頃には終わってるかもしれない……」

「もしくは――」

 そう言ったスタコブが、呟くように続ける。

「……間に合っても――無駄死にをするか……」

 すると、コンツァードが立ち上がって声を張り上げた。

「終わってたらラッキーじゃねえか。無駄死にしたくねえんだろ? ――全員立ちな。機銃のチェックだ。少佐の命令だぞ」

 そして、全員が立ち上がる――――。



 機上の小さな窓からでも、遠くの黒い煙が見えた。上空の風が強いのだろうか。真っ黒な煙がかなり広範囲に広がっている。

 しかしまだ機影は見えない。見えたとしても敵か見方か――。

『――少佐――見えてきました――』

「こっちも目視で確認したところだ。機影は見えるか? こっちの窓からは確認出来ない」

『――……見えました――戦闘機同士のドッグファイトのように見え――』

「分かった。突っ込め――護衛の戦闘機部隊なんて大した数じゃない」

『――本当によろしいんですか?――』

「戦闘機って言ったって同じプロペラ機じゃないか。後はパイロットの腕さ」

 間を置いて、スピーカーから返事が聞こえた。

『――……了解しました……――』

 コンツァードが口を開く。

「爆撃機の一機くらい墜とそうと思ったのになあ。残念だぜ」

 ウォーフがそれに呼応するかのように言った。

「輸送ヘリでドッグファイトといこうか……」

 そして叫ぶ。

「全員機銃につけ! フィオスとツーベルは弾の補充だ! いいな! 間隔を空けるな!」

 黒い煙が近付いてきた――かなり広い範囲に漂っている。

 その周囲、そして上空にドッグファイトが繰り広げられていた。敵と味方――どちらの機体が多いのかは判別出来ない。それだけ入り乱れていた。

 スタコブが呟く。

「凄い数だ……かなりの大部隊だぞ……爆撃機の護衛にしちゃあ――」

「墜としがいがあるぜ」

 コンツァードはそう言って、機銃用の扉を手でスライドさせた。風が大きく入り込む――床に固定してある機銃の足を押すと、銃口が大きく機外に口を出した。そして他の三人もそれに続く。

 左機銃座にウォーフとコンツァード――弾薬の補充にツーベル――。

 右機銃座にスタコブとガラン――弾薬の補充にアルクラス――。

 そして、スピーカーが鳴った――。

『来ます! 左前方から一機――!』

 その直後――コンツァードが引き金を引いた――。

 爆発のような音が連続して響く――続く薬莢の落ちる音――硬い床の上で高い音を立て続ける――。

 輸送ヘリと言っても大型の輸送ヘリともなると固定型の重機関銃だ。口径もかなり大きい。両腕でかなりしっかりとホールドしなければ、簡単に銃口が踊ってしまうほどだ。それだけに破壊力も強い。

 ウォーフもコンツァードに続いた。二つの重機関銃の爆音が機内を包む――。そして思考回路に覆い被さってくるようなその音が――突然止まる。

「行ったぞ! 右後方!」

 まるで水を得た魚のようなコンツァードの叫び――同時にスタコブとガランの機銃が火を噴く――。

『もう一機! 左前方!』

 左銃座の機銃の音とほぼ同時に、機内にも火花が散った――。

 一瞬の爆音の隙間にウォーフが叫ぶ――。

「無事か!」

 今度は機体に当たる軽い弾丸の音と共に火花が散る――。

『――囲まれました!』

「弾幕を張れ!」

 ウォーフの言葉と同時に、四つの機銃が同時に叫ぶ――。

 床が巨大な薬莢で埋まっていく――。

 その中で、ツーベルの泣き叫ぶ声は誰にも聞こえない……。

 そしてアルクラスの意識は、どこか別の所にあった…………。



 カストル沿岸部に、世界的にも有名な所がある。

 パウダー状の白い砂浜。そこから続く、広いエメラルドグリーンの浅瀬。そこには様々な珊瑚礁が群生し、海の生態系の一端を担っていた。

 すでに太陽が高く登り、沿岸一帯を広く照らしている。

 そして、その白く続く砂浜に、真っ赤な波が打ち寄せる……。

 簡単に浄化されることはない。

 広い浅瀬に、防波堤の如く広く積み重なる兵士の死体……それは浅瀬から砂浜まで続き、真っ白だったはずの砂の粒さえ赤く染めた……。

 沖には揚陸艦と戦艦が並び、陸地との間を小型の輸送ヘリが忙しく行き来する。

 バスコノフにとっては、そのプロペラの音が聞こえないくらいにその場が静かに感じられた。目の前に広がる軍服のままの兵士達……誰も動く者はいない。時が止まってしまったかのような、そんな錯覚すら覚える。しかし時折、動かないはずの兵士達が波のように迫ってくるような、そんな感覚に襲われた。足元をすくわれるような、自分の体が引っ張られるような不思議な感覚だ。そしてそれは、気持ちの悪いものだった。その光景を前に立ち竦み、逃げ出したい気持ちが、動けない意識とせめぎ合う。

 腕のない者……足のない者……首のない者……体のない者……少し前の戦乱がバスコノフの脳裏を過ぎり、自分がその場にいることへの不条理を感じさせた。

 死んだ者と、生き延びた者の違いは何だ――?

 俺は生き延びたのか? ――バスコノフは自分に問う。

 本当に生き延びたのか? 内臓を剥き出しにして倒れているのは、本当は自分ではないのか――?

 目の前の光景は、現実か――?

 初めての戦場……それがどんなものか……分かっているつもりだった。

 前の戦争ではまだ子供だった……空爆も経験した……人の死も見た……しかも、バスコノフが見付けた時には、まだ妹は生きていた……。

 爆風で壁と共に吹き飛ばされ、バスコノフが瓦礫の下敷きになった妹を見つけた時――バスコノフが手にしたその大きな壁の一部には、何か独特な感触があった。

 柔らかい物に刺さった何かを抜き取るような……。

 バスコノフは手にした物を最後まで持ち上げるのをためらった。頭の中を、嫌なものが過ぎっていく――恐怖心と好奇心が入り混じる……。

 頭の中には、何も言葉は浮かんでこなかった。ただ、手から伝わるその感触だけが意識を刺激していた。そしてその感触は、まるで時が止まったかのような感覚をバスコノフに与えた。やがて、自分の意思とは無関係なのだろうか、バスコノフの両手が持ち上がる――。

 栗色の髪の毛が見えた時、手に持った物が完全に抜けたことを、両腕の感覚が伝えた。それまでバスコノフの全身が感じていた、ゆっくりとした振動が消える……。

 目を見開き、空を見上げたまま、何度も大きく息を吸い込む幼い妹……その目には、バスコノフの姿は映されていない……。

 首から下がどうなっているのか、バスコノフには分からなかった。そこには確かにある――しかし普通ではない。妹の呼吸に呼応するように動く物――関係なく動く物――その全てが、バスコノフには動物的に見えた。真っ赤に濡れ、それが何であるのか判別は出来ない。たぶん妹の一部なのであろうということだけは理解出来た。

 しかしそれが、人の死――人間が死んでいく様であるということを理解するのには、もう少し時間が必要だった…………。



 沿岸近くの小さな町までを掌握したマース・サターン両軍は、その田舎町に、拠点となるベースキャンプ――即席の基地を築いた。

 廃墟と化したビルの並ぶ小さな通り――所々に戦闘の跡が見られるその通りのビルの一つに基地の中心が置かれ、全ての情報がそこに集められた。そのビルの小さな一室――割れた窓の他は何も無い。扉すらも無かった。よほど長く使われていなかったのだろう。辺りには剥き出しのコンクリートの壁ばかり……戦闘で崩れたのか、元々壊れていたのか、その判別が難しいほどに殺伐としていた。最初から廃墟だったのだ……そしてこの町にはそんな建物が目立つ。

 当然、陥落は簡単だった。もちろん上空からも続く敵部隊の反撃は厳しいものがあったが、この町まで到達した時点で結果は見えていた。常に部隊が駐留している町でもない。

 この国も、サターンと同じなのかもしれない……。

 戦争が引き起こされる要因は色々ある。世界情勢、国家間の軋轢、景気の下降、国内の情勢不安……しかしどれも、マイナス要因であることに変わりはなかった。例えどんな要因が理由であったとしても、戦闘以外の犠牲者がいることも事実だ。それは戦争にはいつも付きまとう……。

 そしてこの田舎町にも、サターンの多くの町と同じように――数え切れないほどの犠牲者がいたに違いない。

 このビルも、久しぶりの住人を迎えて空気を躍らせる。元々は会社のオフィスのような所だったのだろうか。窓は殆どが割れ落ちているが、その上には埃が積もり、下には壊れた机や椅子が散乱している。倒れた本棚、空のままの本棚――中身を持ち出す時間はたっぷりとあったようだ。

 ロザリスの呼ばれた部屋は、実に殺風景だった。崩れた壁が埃と共に積もっている他は何も無い。一部、天井の落ちている所もある。ガラスの無い窓から細かな塵のような物が吐き出されていた。そこから塵を遮るようにして、強い日差しが入り込む。

「特命、と思ってほしい」

 作戦終了後に上陸した今作戦のサターン側の司令官――ファード・エスが、目の前のロザリスに言った。険しい表情のまま続ける。

「厳密な言い方をすれば、少し御幣があるかもしれないが……これは正規の任務ではない」

 ロザリスは余計なことは言わず、目の前にいる陸軍最高司令官の次の言葉を待った。黙って鋭い眼を見つめる。顔の皺に包まれたその眼は、鋭いが、刺さるような強さではない。しかしロザリスにとっては始めての強さだ。初めて会ったその眼は、六五才になるファード・エスの器の大きさを表しているかのようだった。

「諜報任務だ……当然だが口外は許されない……任務に関しての書類も存在しない……従って、いざという時の軍の協力も得られないと思って欲しい……」

「はい」

 ファード・エスは両手を後ろで組んだままロザリスに背を向け、ガラスの無い窓から外を眺めて続ける。

「少々気は咎めたが……君のことは色々と調べさせてもらった……君が戦争前に参加していた“裏の仕事”のことだ……」

「――…………」

「それを責めている訳ではない。私から見れば、一つの愛国心の形だと思っているよ。どこの国にも、大なり小なりはあるものだ。そこで……どうかなシオン中尉……その愛国心を別の形で表現してみる気はないかね」

「任務の内容を御聞かせ願えませんか?」

 ロザリスはそう言いながら、何かスッキリとしないものを感じていた。目の前にいる陸軍のトップ――今回の開戦時に司令官に任命されていたと聞いていた。前回の戦争時には副司令官をしていた人物だ。軍人としての経歴、統率者としての人望、指揮官としての度量……どれを取っても軍人としては間違いはないと思っていた。

 しかし、目の前のその男を本当に信用してもいいのか……? 自分のことをどこまで調べたのか……ロザリスには掴みきれない部分が多過ぎた。

 そして、その司令官であるファード・エスが、ゆっくりと間を空けてから応える。

「ビーナスに、潜入してもらいたい――」

「ビーナス――? しかしビーナスは――」

「分かっている……あそこは国際連合の中心となる有力な大国の一つではあるが、今回の戦争に関しては中立を守っている……はずだった……」

「……どういう、ことでしょうか……?」

「不穏な動きがあるらしい……ネプチューンと八カ国同盟の連合軍に与しているのではないかと……そういう情報がある」

「……マースからの情報ですか?」

 するとファード・エスは少しだけ間を空けて、短く答えた。

「……そうだ」

「では、この特命もマースからのものでしょうか……司令官」

「もちろんだ。だが、君の考えていることが分からない訳ではない……私にもそういう部分はあるつもりだ。しかし現在の両国の状況も君は分かっているはずだ。だからこの戦争に参加したのではないのかね?」

 いつでも除隊は出来た。戦争が始まる前、開戦してからでも除隊の権利は認められている。強制招集されるわけではない。軍人を養うことすら出来ない軍隊ならば、見切りをつけて別の道を歩めばいい。しかしロザリスは軍人であり続けた。前回の戦争の頃とは違う。今回のような戦争が起きれば、マースとサターンの力関係や立場の違いがどうなるのか分かっていたはずだ。

 戦争が始まってから、ロザリスはずっとそれを考えてきた。なぜ自分は軍人でいるのか……なぜ自分は反政府活動をしてきたのか……自分が求めていたものが足元から崩れるような、そんな感覚だ。しかも、誰かが答えを出してくれることではない。そんな上辺だけのものをロザリスは欲しているわけでなかった。何を必要としているのか……いくら戦争で人を殺しても、益々その幻のような“何か”は遠退いていく。ロザリスにはそれが不思議だった。反政府活動の中で、テロ行為として人を殺している方が、なぜか世界は輝いていた……。

 今は空虚だ……戦争行為としての殺人には、ワイクスの時のような輝きが無い……。今回の上陸作戦でも、ロザリス自身、何人の敵兵を殺したか分からない。しかし全てが無意味に思えた。まるで実感が無い。殺された側の敵兵にとっては意味のあるその死も、ロザリスの手の中で塵になっていくようだ。自分が殺される時、相手の手の中で、自分もその程度なのだろうかとも考える。それとも、輝いて死ねるだろうか……。

 問い掛けに対して何も応えられずにいるロザリスに、ファード・エスが続ける。

「君の経歴を調べて、この任務に適任であると判断したのは私だ……しかし危険な任務だ。従って、これを断っても君の軍隊での経歴に傷は付かない。私だけが知っていることだ」

 当然とも言えた。そうでなければ、階級的にもただの中尉に過ぎないロザリスが、直接陸軍の最高司令官に呼ばれるはずがない。そのファード・エスが続ける。

「私の立場は知っていると思うが……マースの……国の連中にとっては、私もただの小間使いにすぎんよ。その程度の立場だ。どうするかねシオン中尉……私は、君が適任だと思っているが……」

 そこに実感は存在するだろうか……ロザリスは考えた。答えの出ない問いだ。分かっていた。しかし追い求めることで、またあの輝きを体感出来るかもしれない……そう思うと、意識の奥底で何かの鼓動が小さく響き始めるのをロザリスは感じた。

「――御引き受けします」

 ロザリスは、応えていた。

 ファード・エスは振り返り、そのロザリスの目を見つめ、言った。

「……いいだろう……任務の詳細を説明する。君にはまず、四カ国同盟の一番西にあるアルフェラツから、そこと国境を接するリゲルに潜入してもらいたい。おそらくリゲルも、ビーナスに付随する形で行動を共にすると思われる。少なくとも我々上層部はそう見ている」

 アルフェラツとビーナスに挟まれたような位置関係にあるリゲルは、国際連合の一員としてビーナスと同じく中立の立場を取っていた。文化圏としてはほぼビーナスと同じだ。古くから交流も深い。少なくともお互いに敵視政策というものが必要のない間柄だった。

「まずはリゲルの内偵を進めて欲しい。その上で、総本山であるビーナスの内偵をしてもらうことになるだろう。武器の携帯に関してだが、君も分かっている通り、四カ国同盟のアルフェラツから中立国のリゲルに武器の持ち込みは出来ない。従って現地調達をしてもらうことになる。我々としては君の手助けを出来ない為に、ここは君の手腕にかかっているのだが……やれるかな?」

「お任せ下さい」

 そう応えたロザリスの口調に、迷いは感じられない。

 ファード・エスが続ける。

「我々との連絡用に、すでに諜報員を一人潜り込ませてある。ただし民間の人間だ。君のように内偵活動が出来る訳ではない。ただの情報要員だと思ってくれ。まずは彼と接触して現在の状況を把握することだ。君が到着するまでに、彼には我々から伝えておく」

 我々――とは、誰のことだ……ロザリスのその思いを確認するのは難しい。全てが、マース政府の指示の元に動いている気がしてならなかった。しかし軍人である今、それに逆らう術が無いのも事実だった。

 ロザリスは思う――ファード・エスの本心とは何だろうか? マースの属国のような今の現状を素直に受け入れているとも思えない。軍事作戦は全てマースの指揮下だ。ある意味、国の運営そのものもそうだと言える。軍隊の存在価値すら失われようとしている現状の中で、その軍隊の上層部の心中とは如何なるものなのか、ロザリスにとっては想像の域を出ない。

 戦争に負けるということは、その屈辱を受け入れることなのだろうか……しかもその屈辱は、受け入れ続けなければならない……そしてそれは、永遠に続くかのように感じられた……。

 我が国は、尊厳を失う必要があるのか……もしくは尊厳を持つことが許されないのか……それを変化させることが出来るのは、外交ではない。少なくともロザリスにとっては、それは戦争に匹敵するほどの革命だと思っている。理想を見ているわけではない。奇麗事で何かが変わるとは思っていなかった。

 マースは武力で捻じ伏せない限り、絶対に屈しない――ロザリスはそう思っていた。しかし今のサターンには、それを行う気概も勇気もない。だからこそ、それを変えようと反政府活動に没頭してきた。サターンの有様が今のままでいいとはとても思えなかった。

 しかしロザリスには分からない。開戦と同時に……いやそれ以前に何かが変わってしまったかのような気がしていた。今の現状を受け入れるのが正しいとでもいうのか――? 何かが違う――この空虚感は何だ――生きることの実感を得ようとすることは、こんなにも掴み所が無いものなのか……。



 カストル沿岸からスピカに帰還する揚陸艦に同行し、スピカのマース海軍基地から一度マース大陸へ――直接サターンへ帰国するのは、空路・海路共に八カ国同盟側の奇襲攻撃の可能性があるので避けなければならない。報告要員の一員としてマース軍司令部に報告業務を行った後、特命要員としての手続きを経て、マース空軍基地からサターンに帰還するサターン空軍の輸送機に便乗――サターン国内のローベルト空軍基地にロザリスが到着したのは、カストルで特命を受けてから一〇日以上経ってのことだった。

 ロザリスは早朝の空軍基地で朝食を済ませると、そのまま国家戦略府が統括する防衛省の陸軍大臣を訪ねた。外務、財務、法務、厚生等、国の殆どの機関を束ねている国家戦略府の中に於いて、一番の影響力を持つのが防衛省だ。同じ国家戦略府の警察省よりも、その力は強い。国内の治安管理が、防衛省、警察省、そして内閣府所属の治安統制課という三勢力によって執り行われているというバランスの悪さも要因の一つと言える。マースが戦後に造り上げたシステムだが、元々受け入れに対して難色を示していたサターン政府の運営で、いつしかマースの求める理想とはかけ離れてしまった現実もあった。当初、警察省と治安統制課が行っていた治安維持だが、反政府勢力のテロ行為が活発化してきたことでマース軍が介入――結果、マース軍の指示で防衛省も動かざるを得なくなる。全てが空回りを繰り返していた。

 ロザリスは陸軍大臣の指示で、特命要員専門の担当官と会う。噂には聞いたことがあったが、特命要員というのはロザリスが思っている以上にいるものなのだろう。担当官の仕事は実に淡々としていた。潜入の為の偽造パスポート――この場合、国が用意しているので正確には偽造にはならない。そう考えると不思議なものだ――とロザリスは思った。

 金銭、服、靴――潜入活動に必要な物が全て揃えられているのを見てロザリスは思う。

 さすが国家機関だ。反政府組織とは違う……。

 そして担当官に一つだけされた質問に、ロザリスは平然と答えた。

「偽名はいりません」

 潜入先では、誰も自分のことなど知らない……偽造するのは現在と過去の経歴だけ……軍人であるということがバレなければ、それでいい。そして思っていた通り、担当官は任務の内容を知らなかった。命令通りに必要な物を揃えただけなのだろう。カストルで聞いたように、本当に一部の人間しか知らないのだろうか……確かに、ここに来るまで携行してきた指令書には、ロザリスが特命要員であるということしか書かれていなかった。そしてその指令書の役目は、この防衛省までで終わりとなる。防衛省を一歩出たら、新しい身分証明書を持った、新しいロザリス・シオンとして生きなければならない。

 その防衛相を出た時、強い日差しを浴びながらロザリスは不思議な感覚に囚われる。

 ――ガス・シャビルも……こんな気持ちで国の仕事をしてたのか……。

 ロザリスは、サターンと同じくマース勢力のジェミニに入国した。

 サターンと違い、ネプチューンと国境を接しているジェミニは、すでにネプチューンとの戦乱の最中にあった。サターンのようにマースの半植民地と化している国ではないが、ジェミニは元々マース寄りの政策を取っている国だった。当然今回の戦争でも、軍事的なマースの支援は相当なものだ。

 しかし対するネプチューンの国力も大きい。社会主義をベースとした、世界でも有数の軍事大国だ。したがって、ジェミニと同じくネプチューンと国境を接したジェミニの隣国ウラナスと同様に、ジェミニ自体もかなりの防衛力を必要としていた。ジェミニとウラナスは同じ文化圏の国同士ということもあり、共同戦線を敷いて何とかネプチューンの攻撃を凌いでいるのが現状だった。

 そんな戦乱の状況のせいか、ジェミニの人の出入りは簡単ではない。例えサターンの身分証明書を持っていても、入国審査にはかなりの時間を要した。ロザリスはこの先、四カ国同盟の全ての国を経由してリゲルに潜入しなければならない。正直、先が思いやられた。しかし、戦時中の民間人の移動がどれほど大変なものか、身に染みて理解出来たのも事実だった。

 ジェミニから四カ国同盟のミザルに入る――移動は全て列車だ。国境の駅で必ず入国審査を受けなければならない。ジェミニの時と同様に、そのチェックは厳しい。長い待ち時間に、ロザリスは新聞や駅のテレビで戦況を仕入れた。軍人の身分であれば同盟各国の司令部や基地で情報を得ることは簡単だが、民間人の立場ではそうもいかない。しかもロザリスの場合は機密任務の為、同盟国内であっても身分を隠さなければならなかった。報道機関の流す情報は、実にもどかしいものだ――少なくともロザリスにはそう思えた。戦場の兵士と民間人の間の壁を、初めて感じたような気がした。移動に時間がかかればかかるほど、ロザリスはそのことに苛立ちを募らせていく……あのまま戦場にいた方が良かったのだろうか――長い時間、列車に揺られて暇を持て余す日々が続くと、そんなことを考えることもあった。

 ミザルからアルクシャー、アルゲニブ、アルフェラツと進み、もうすぐリゲルとの国境の駅ともなると、さすがにロザリスの頭から余計な迷いは消えた。反政府活動をしていた時の、あの頃の感覚に近いものがある。独特の緊張感だ。少なくともそれは、戦場で味わえるものとは違った。

 自分の求めているものはこれなのか……しかしロザリスには、まだその答えは分からない。

 リゲルの国境の駅では、五時間の足止めをされることになった。やはり同盟国間の移動とは違い、当然ではあるが、中立国の審査はよほど慎重なようだ。

 その待ち時間にも気掛かりなことはあった。カストルで指令を受けてから、すでに一ヵ月近く――ビーナスとリゲルが動きを見せ、仮に参戦を表明するようなことになれば、もはや入国どころではない。ロザリスはその不安を抱えながらここまで来たとも言える。しかし入国後にそうなれば、状況はもっと最悪な事態を招く。それなのに、ロザリスはどこかでそれを求めている自分を感じていた。

 自分なら立ち回れる――その自信が、ロザリスにはあった。反政府組織の活動を通して、裏の世界のノウハウは心得ているつもりだ。その為に自分が選ばれたのだろう、とも思っていた。もちろんその感情は、あの感覚に近いものを感じているからかもしれない。そしてその静かな感情を、ロザリスは抑え続けた。

 しかし、先に潜入しているという情報要員はどうだろう……自分と同じように立ち回れるのだろうか――ロザリスはそう思いながら、内偵活動の出来ない情報だけの要員の難しさを感じた。足手まといにだけはなって欲しくなかった。自分が選ばれた意味が無くなってしまう――そうも考える。ビーナスとリゲルが参戦の表明などをしなければ済むことなのだが、それはロザリスの望む形ではなかった。

 ――もしかしたら俺は……死に急いでいるのか…………。

 リゲルに入国して最初にすること――それは情報要員の男と接触することだ。現状の情報の他に、衣食住に関しても最初はその男任せになる。どこまで信用出来る男なのかは、会ってみるまで分からない。名前も知らない。ロザリスの情報は伝わっているはずだ。その男からの接触を待つしかない。

 五時間の入国審査が終わると、すでに夕方近かった。予約をしていたホテルに向かおうと駅を出たところで、ロザリスは驚かされる。

 駅前の小さな広場にいたのは、間違いない――ウラサス・バーク――。

 広場の真ん中で足を止めるロザリス。ベンチに座ってタバコを吸っていたウラサスもロザリスに気が付き、口元に笑みを浮かべた。立ち上がると咥えタバコのままロザリスに近付き、言った。

「久しぶりだな。かなりの長旅だったみてえじゃねえか。どうせ入国審査に手間取って昼飯も食ってねえんだろ?」

 驚いて言葉も出せないのか、黙っているロザリスにウラサスが続ける。

「いい店紹介してやるから、来いよ」

 黙ったままのロザリスは、ウラサスの後ろに着いて歩くしかなかった。

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