第3話「襲撃」

 サターンの首都であるホルストの中心部でも、早朝まで雪が降り続いた。雪を降らせた薄暗い雲も昼前には消え、眩しいくらいの陽の光が官庁街であるグスタブ通りを照らし出す。

 深夜にかなり冷え込んだせいか、足首まで積もった雪は朝までは軽かった。しかしやがて、気温の上昇と共に上から溶け始め、重く硬くなる。それは足音や車の音までも変えた。まだ完全に溶け切っていないそれは、アスファルトより静かだ。人通りや車通りの多い官庁街では、特にその変化は明確になる。

 ——雪道とは関係のないヘリコプターのプロペラの音が空に広がり始め、辺りがいつもより静かなせいか、人々は空を見上げた。

 しかし、積もった雪を通して伝わってくる大きな振動に視線を落とした直後、けたたましい音が辺りを包んだ。

 大きなガラス張りの一階フロアに突入した二台のトラックから、十数人の武装した若者達が広がっていく。突然のことに慌てふためいた職員と警備員が右往左往する中、若者達の放つ銃声が辺りに響いた。

 やっと腰の拳銃を手に取った警備員が応戦しようとするが時遅く、もはや誰が撃ったのか分からないサブマシンガンの銃声と共に床に倒れ込む——。

 若者達は狙いを定めてなど、いなかった。政党関係者、職員、もしかしたら偶然その場に居合わせただけかもしれない一般人——全てが標的だった。上からそういう指示があった訳ではない。しかし一度引き金を引き始めた若者達は、無意識の内に理性を失っていた。もはや、後のことなど考えてはいない……。

 今までの小さな“活動”とは違う興奮——そしてそれを支える“大儀”。その大儀が形になっていく爽快感——彼らにとっては、正に自分達こそが“正義”だった。その正義の名の元に“間違い”などある筈がない。そんな、まるで一神教の教えのような統一感が若者達を支配していた。

 ヘリコプターから——屋上にも当然雪が積もっている為——ロープを伝って屋上に降り立った部隊は六名——。階下の銃撃から逃れようと屋上を目指す職員を挟み撃ちにする為の部隊だ。屋上からビル内部——ビル内部から屋上への出入り口は一ヶ所だけ。足跡一つ無い屋上の雪景色——その先にはドアが一つ……。

 そのドアを開けた職員の男は、何が起きているのかを把握するよりも早く、その場に崩れた。

 惨劇が始まる——。

 悲鳴の響く中、ドアから雪崩れ込むサブマシンガンを持った若者達——。

 そこにある屋上から三階に降りる階段は狭い——。

 パニックと無数の銃声——。

 上の血飛沫が銃弾よりも早く階段を下り、やがて、静かになった……。

 続く遠くの悲鳴……——。




 ロザリスは地下にいた。ビルからだいぶ離れた配電用施設から進入し、地下通路を通ってビルの真下へ——ビル地下の配電室に繋がる通路から配電室へ——その配電室のドアを開けて一階フロアに到着した時には、だいぶ出遅れたことを感じた。明確な遅れがあった訳ではない。時間通りだ。しかし計画はだいぶ進んでいるように見えた。無意識の内に各部隊がそう動いたのか、その時のロザリスにはそれを考える余裕は無い。ただ、自分の部隊を戦闘の中に紛れ込ませるだけで精一杯だった。

 時間と共に、トラックで突入した二部隊は二階へ、屋上からの一部隊は三階を掌握しつつあった。警察及び治安部隊、そして治安統制課の到着に対応するのがロザリスの部隊の役目だ。

 遠くにサイレンの音が聞こえ始めた。ロザリスの他は隊員は六人——全員が配置に着く。さすがにロザリスは身構えた。外は続々と物々しい光景に変化する。予想通り、警察車両の他に治安部隊の戦車や装甲車が並ぶが、一番早く——というより、ロザリス達が配置に着いた時にすでにあったのは、治安統制課の特殊装甲車両だ。

 この国には、治安を取り締まる組織が多過ぎる——ロザリスは改めてそう感じた。戦争に負けるというのはこういうことか……これだって税金の無駄使いだ——そんな憤りを覚えながらも、ロザリスがもっと気になったのは治安統制課の動きの早さだった。

 早過ぎる……スパイでもいたのか——しかしロザリスにはそれも納得がいかない。情報が流れたなら、なぜ突入を許した——?

 通常、警察や治安部隊が駆けつけるのは分かるが、最初から治安統制課がいることなどは到底考えられない。これほどの大規模な“活動”の場合、対応の中心にいるのは治安部隊であって、治安統制課ではない。しかし事前に情報を掴んでいたなら別だ。何らかの情報が漏れてしまったことはロザリスにも想像がついた。しかし、現段階ではどうすることも出来ない。

 そしてさり気なく配置に着いている部隊員を眺めた時、ロザリスはあることに気が付いた。視線の先の何ヶ所かに女性が倒れている。体の数箇所から血を流し、明らかに死体だ。職員だろうとは思われるが、決して銃を持った警備員ではない。

 丸腰のこんな女性まで……——ロザリスは、自分の中に以前からあった葛藤が突然浮かび上がってくるのを感じた。

 多くの情報が交差する中、やがてロザリスは治安統制課の問題に意識を集中させる。しかしそれもまた、今の時点で解決の出来る問題ではなかった。

 そしてもう一人——ビルを取り囲む治安部隊、警察、そして治安統制課の数の多さに頭を悩ます男がいた。

 ウラサス・バーク——。

 彼の本来の計画はこうだった。トラックの突入直前に、隠れていた治安統制課がトラックの部隊を逮捕。続けて地下からの部隊と空からの部隊をそれぞれ逮捕。そしてそれを全て、自分のカメラを持って治安統制課に続き、命の危険を顧みずに激写——の筈だったのだが、突入が始まり、ヘリコプターが到着し、治安統制課の装甲車が慌てもせずにビルを取り囲み、当然遅れてきた結果になる警察と治安部隊が更にその周りを取り囲み……周辺は結果、騒然となる。

「これじゃあ警察も治安部隊も……面白くねえだろうなあ……」

 隣のビルとの間に塀がある。それほど背の高い物ではない。ウラサスが腰を落として身を隠すのには丁度いいとも言える。その角の部分に小さくなっているウラサスが、チラチラと頭を覗かせながら声に出して小さく言った。

「どうなってんだろうなあ、これって……」

 塀を挟んですぐ横には治安統制課の装甲車。背後のビルにはスナイパーの姿も見えるので、ウラサスが見付かるのは時間の問題だと思われる。このままでは、せっかくのスクープは水の泡だ。

「ガスの野郎……ちゃんと情報を流したのか?」

 ……流したから、治安統制課が突入前から隠れてたのか……なら、なぜだ? なぜ黙って見てる……。

「俺が苦労して集めた情報は役に立ったと言えるのか?」

 愚痴をこぼしても仕方のないことはウラサスにも分かっていた。問題はこれからの展開だ。少なくとも、このままここにいてもスクープは無い。すでに周りにだいぶ集まって来ているであろう他のマスコミ連中と同じになる。

 ビルに侵入するか……——もはやウラサスには、それしかスクープへの道は残されていなかった。一つだけだが、確かに進入経路はある。ビルの裏側——裏のビルと隣接している為、その隙間は一メートル程度。警察も治安部隊も、もちろん治安統制課の突入部隊も、まだ突入の意思が無いことの表れだろうか、そこには誰も配置されてはいなかった。もっとも、過激派組織の誰かがそこから脱出を計ることも不可能だ。隙間から出た途端に見付かってしまう。裏のビルに逃げようにも、そこの面はただの壁で窓が無い。しかも高さは三階まで。しかしウラサスにはそこしか残されていない。今、身を隠すのに使っている塀沿いに行けば隙間の近くまでは行ける。しかし問題はそこではなかった。侵入出来るか否かより、単身で乗り込まなければならないことの方が問題だ。当初の予定では治安統制課の部隊と共に乗り込む為にまだ身の安全を保障できると考えていたが、この場合は身の安全などどこにも無い。しかし我が身を危険に曝さないと、スクープなどどこにも無い。

 ウラサスは腰の後ろに手を回し、ベルトに差し込んであるリボルバーの存在を触って確かめた。いざとなれば——そう思いながらも、やはり怖いものだ。仕事柄、ましてフリーのジャーナリストとなると危険な経験も何度かはあった。実際に愛用のリボルバーを撃ったことも一度や二度ではない。幸い、まだ人間に当てたことはなかった。もちろんウラサスもそれだけは避けたい。しかし今回は、最悪それも覚悟しなければならないようだ。ビル内の部隊の人数も少なくはない。現在の中の状況が判らないだけに、やはり覚悟は必要だろう。

 両親は幼い頃に他界しているが、養護施設で共に育った妹がいる。しかしもう三年以上も会っていなかった。十九才になっている筈だ。

 唯一の身内か……俺に何かあったら悲しんでくれるかな……今さらか——ウラサスは真剣に思った。

 しかしこうも思う——ガスを殴るまでは死ねるか——。

 塀沿いに、ウラサスはゆっくりと動き始めた。




 配電室前のドア——警察や治安部隊がロザリス達と同じように配電通路から侵入してくることを想定して、当然ドアの前にも見張りが一人配置されていた。脱出経路の一つにも予定されていた為、ドアが開かないように固定してしまう訳にもいかない。

 ロザリスはドアの前の若い見張りに目をやった。周り——特にロザリス達のいる正面玄関側に意識を配りながらも、しっかりとドアに銃口を向けている。指示通りだ。何か動きがあれば彼が伝えてくれるだろう。

 そう言えば、少し前から階上からの銃声が聞こえない。先行部隊が無事にビルを掌握したのだろうか——? それともロザリス達の知らない間に鎮圧されたか——それにしては外に動きが無い。あれだけの部隊が集結しているのであれば、突入から鎮圧までは容易な筈だ——ロザリスはかなり前からそんなことを考えていた。“作戦”は失敗だったのか——こうも思うが、同時にどうやってこの状態を打破するのかということも問題だった。

 しかしやはり思う——なぜ外の敵は静かなのか……。

 とりあえず階上の部隊が鎮圧されたのではないということは、ほどなくしてやってきた伝達要員からの報せで判った。味方部隊の被害は、屋上からの部隊に負傷者が一人——しかしターゲットになっていた政治家の殺害は総て成功——。

「人質は?」

 ロザリスが尋ねると、伝達要員の若い男は口篭った。

「……全員が……抵抗を……」

 そんな筈はない——即座にそう思ったが、ロザリスは口に出せない。ロザリスのすぐ隣にいた別の隊員が口を開いた。ロザリスの部隊の若者だ。

「人質無しって……外の連中に突入しろって言ってるようなものじゃないか」

 その隊員はすぐ近くに横たわっている死体——女性の髪を掴むと、その頭を持ち上げてから伝達要員に向けて叫んだ。

「こんなことをしてるから——!」

「やめろ」

 ロザリスが制して、続ける。

「外の敵が突入してきたら俺達は全滅だ。こうなったら人質がいるように思わせて時間を稼ぐしかない——上の部隊長達の考えは?」

 伝達要員が答える。

「……同じです」

「分かった。行け」

 そして、事態は膠着した————。



 銃声が聞こえなくなってしばらくの時間が経過し、時は夕方の五時を回っていた。犠牲になったビルの職員たちも、本来であれば仕事の終わる時間だ。

 ついてなかったな……依然近くに転がったままのいくつもの死体を見ながら、ロザリスは思っていた。その場の空気に慣れてしまうと、例えそれがどんなに異常な状況であっても、意識はしだいに冷静になり、思考が再び構築されていく。

 冬のこの時期ともなると、さすがに日も短い。辺りはすっかりと暗闇に包まれ、春がまだ遠いことを感じさせた。

 この時期で良かった……寒さで死体がすぐには腐らない——そう思いながらも、ロザリスはその寒さが心配要因の一つであることも認識していた。

 昨夜のように雪が降る時はまだ暖かい。雨から雪に変わった時は特にそうだ。しかし今夜は雪も降りそうにない。確実に今よりもっと冷えるだろう。ロザリス達の目の前に広がるガラス張りの面は殆どが割れたまま。トラックの突入と銃撃で、その意味を成さない。時間的にも、確実に気温が下がってきていることをロザリスも感じていた。近くにいる隊員達も同じだろう。このまま膠着状態が続けば、立て篭もっている側が不利なのは明らかだ。

 あれから伝達要員からは何も無い。事態に変化の無い証拠でもある。他の部隊長達と計画を練り直す必要がありそうだ——ロザリスは腰を浮かした。しばらく同じ姿勢でいたせいか、腰と膝が固まっているのを感じる。寒さのせいもあるだろうが、緊張もその度合いを増していた。

 上に行くことを他の隊員たちに告げ、一歩だけ左足を前に出した時——ロザリスの視線の先にあった配電室のドアが、しばらく聞いていなかった轟音と閃光に包まれた——。

 瞬時に空気が変わり——全身を何かが突き抜ける——ドアの前にいた見張り役の隊員が、閃光と共に壁に体を押し付けられる様子が、ロザリスにはまるでスローモーションのように見えた。

 辺りを一瞬で包む緊張と煙——次の瞬間そこから出てきた物は、小さな光の点滅と乾いた音を伴った銃弾だった——ロザリスの目の前で隊員達が倒れ込む——。

 その銃弾の来る向こう——配電室の奥——ガス・シャビルがいた——。

「——忘れるなよ。ロザリス・シオンには当てるな。あいつは俺が逮捕する」

 そのガスの言葉に、治安統制課の隊員の一人がサブマシンガンを構えながら呟く。

「——保安課の調査員ごときが——」

 全員が配電室を出たところで、愛用のオートマチックを左手に握ったガスが続く。治安統制課の隊員が防弾チョッキにヘルメットという治安部隊にも負けない重装備であることを考えると、一人だけスーツにネクタイのガスは明らかにその場に不釣合いだ。

 銃撃が続く中、じわじわと前進を続ける隊員達の横に付くようにしながら、まるで今にも隊員達の前に踊り出そうな勢いでガスは進むと、あっさりとロザリスの背後から左のコメカミにオートマチックの銃口を押し当てた——。

 そしてそれと同時に、辺りの銃声が止まる——。

 一瞬、時が止まったかのような錯覚の中、ロザリスも動けないまま——右手には弾倉——マガジンの着いていないサブマシンガン。左手には交換用のマガジン。

「タイミングが悪かったなロザリス」

 誰の声だ——?

「ゆっくりと両手の物を下ろしな」

 …………——?

「撃ち合いってのは弾数を考えてやるもんだぜ」

 …………ハイク——?

「——よく言うぜ」

 その声は、近くのサブマシンガンを構えたままの治安統制課の隊員だった。

「俺達の後ろにずっといやがったくせに……そんなガキの為に手の込んだ作戦なんか練りやがって」

「グチグチと言ってないで上に行きな。他の部隊が降りて来るぞ。ここはもう俺一人で充分だ」

 サブマシンガンから手を離したロザリスの左腕を背中に捻じ上げると、ガスはそのままロザリスを押し倒す——その直前、ロザリスは横目でガスの顔を見て、考えるよりも早く言葉を発していた。

「——ハイク——!」

「残念だったな」

 ガスのその言葉と同時に、ロザリスの視界に床が広がった。

 落ち着き払ったようなガスが、左手のオートマチックを床に置いて続ける。

「俺はヴァン・ハイクじゃない。一年近くお前の内定を続けていた保安調査員のガス・シャビルだ」

 ロザリスには、簡単に理解することが出来なかった。

 言葉を返せずにいるロザリスに、ガスは続ける。

「他の奴らがいなくなったから言うが……お前をここから逃がす」

 …………?

「その後で俺が指示を出せば、外の連中が踏み込んで来る算段だ。お前に今死なれる訳にはいかなくてな」

 ガスはロザリスの体を調べ、オートマチックの拳銃を一丁見付ける。

「いいだろう。これだったら逃げてる間に人混みに紛れても隠せる。いざという時には護身用に使えるしな。暗くなったのに、外の連中が照明も点けない理由を話してやろうか。俺の指示があいつらの上から下ってるのさ。俺の御威光もバカに出来ないぜ。俺のことは覚えておいた方がいいな。今後の為にも……お前の為だロザリス」

 ガスは床に置いてあったオートマチックを再び手に取り、ロザリスを立たせた。周りを見ると、さっきまでロザリスの仲間だった若い男達が横たわっている。

「こいつらのことなんか忘れろ」

 捩じ上げた左腕の肩越しに、ガスはロザリスの拳銃を見せて続けた。

「お前はこれから、もっと大きな仕事をするんだ。あんな小さな組織でこんなガキ供と遊んでたって——歴史に名前は残せない……」

 ロザリスは黙ったまま、ゆっくりと右手で左肩の上の拳銃を掴んだ。

「配電通路——あそこから入って来たんだろ。通路にも、その先の出口にも、今は誰もいない……」

 遠くから銃声が聞こえ始めた。二階にいた部隊との交戦が始まったのだろう。それをまるで気にしないかのように、ガスが続けた。

「総て俺の御威光さ……あそこから逃げろ……行け——俺がお前をトップに押し上げてやる」

「……なぜだ————」

 ロザリスはやっと口を開いた。そして続ける。

「……なぜ、俺なんだ……アンタが何をする気なのかも知らない……」

 耳に聞こえてくる銃声は、まだ鳴り続けている。

 その中で、ガスが応えた。

「ここで討論をする気はないな。悪いが時間が無い。外の連中が——」

「ユートピア思想なのか?」

 ロザリスは左肩の上に置いたままの、右手で握った拳銃をやっと下ろした。同時に、ガスに微かに緊張が生まれる。

「さて……お前はどうなんだロザリス。お前だって悩んでたんじゃないのか? テロ組織に参加してたって、この国の行く末を案じて何かを模索してたんじゃないのか?」

「アンタが……いったい、何をしようというんだ……」

 ガスは再びロザリスのコメカミにオートマチックの銃口を当て、左手で握り直した。そして続ける。

「“革命”だよ——この国に“革命”を起こしたいのさ……」

 銃の撃鉄を起こす音が小さく響いた——。

 しかしそれはガスではない——ロザリスだった——。

 ガスはその音に一瞬だけ意識を止めるが、続ける。

「その為にはお前が必要なのさロザリス……お前と……お前の“親父さん”の存在がな——」

 そして二度目の撃鉄の音——。

 それは、意外にもガスの耳元——。

「“カリスマ”と言ったらどうだ? アンタが欲しいのはそれだろ? シャビルのおっさん」

 それは、ガスの背後でリボルバーの拳銃を構えたウラサス・バークの声だった。

「しっかりと聞かせてもらったぜ。アンタほどの男が、俺みたいな素人が近付くのにも気付かないで熱く語ってるようじゃ、意外とアンタの“御威光”も大したことねえな」

「お前か……」

 ガスは振り返りもせずに続ける。

「あの金で黙って手を引いてれば良かったものを……」

「俺もそう思うよ……どうりで大金なわけだ——そうすれば命懸けでここに侵入する必要も無かったし……アンタのくだらねえ革命論も聞かずに済んだのにな!」

 ウラサスはガスの頭の後ろに銃口を押し付けた。

「その銃の撃鉄の音——」

 そう呟くように言ったガスの声は、その場に似つかわしくない程に落ち着いていた。

「——リボルバーか……現場に薬莢が残らないから、お前のような仕事には最適だな」

「お前は薬莢の残るオートマチックでいいのか?」

「俺はどうせ……どこにも居なかったことに出来る……」

「やっぱり、嫌な野郎だぜ」

 ガスは未だに振り返らない。

 まだ、遠くからの銃声が聞こえていた。

 そんな中、ガスが言葉を繋げる。

「それより、どうする? あの銃声を追ってスクープを物にするか……それとも、この場で俺に撃たれるか……」

「今のアンタの状況でそれが言えるのか?」

「お前は——少なくともその銃で人を撃ったことはない……」

「なぜそう言える?」

「俺が何も調べずにお前に接触したと思うのか?」

「まったく腹の立つ野郎だ……おい! そっちの——」

 ウラサスが声を上げた。

「——ロザリス・シオンだな。お前はどうすんだよ。この狂ったオヤジに利用されてもいいのか?」

 ロザリスは何も応えない……黙っていた。

 遠くの銃声だけが、三人の耳に届く——。

 誰にも、それぞれの顔すら見えない——。

 そして、小さな音だった——ゆっくりとした撃鉄の音——。

 そのガスの指の動きに、ロザリスとウラサスが身構えた直後だった。

 外からの装甲車の強い光が、突然三人を包む——。

 同時に聞こえてくる、空気を震わせるプロペラ音——。

 三人が同時に動き出す——。

 共に後退りをしながら、しだいにズレ始める三人の位置と距離——。

「話が違うじゃねえか——アンタの御威光はどこいったんだよ!」

 ウラサスが叫ぶ。

「アイツら————」

 ガスが小さく呟いた。

 急激に迫ってくる装甲車のヘッドライト——。

「ヘリの音までしたぞ! 上から挟み撃ちに合うじゃねえか!」

 ウラサスがそう叫びながら奥に急ぐ——二人も後に続く——。

 変形した配電室のドアが床に転がっていた。さらにその横に倒れているロザリスの元仲間……。

「ここから本当に逃げられるんだろうな!」

 叫ぶウラサスに、ガスは一瞬言葉を失う————なぜだ……まだ指示は出していない……誰かが…………だとするとこの先も……。

 ガスは配電室の奥を見つめた。

 なぜだ————。

「おいっ!」

 ウラサスは今度はロザリスに向かって叫ぶ——。

「お前はとにかく先に行け! こんな奴に——」

 ウラサスに顔を向けたロザリスは、初めてウラサスと目を合わせた——そしてウラサスが続ける。

「——こんな狂った奴に利用されたらお終いだぞ! 何が革命だ!」

 ガスは黙っていた……。

「行けっ!」

 ウラサスがロザリスの腕を掴んで強引に配電室の中へと促した時、ガスが動いた——床に向けて撃たれた銃声に二人が振り向くと、そこには左腕をまっすぐ伸ばして銃口をロザリスに向けたガス——。

 そして口を開いた。

「ダメだ……逮捕する——」

「なんだ? 何を言い始めるんだアンタは——」

 ウラサスのその言葉は、ガスには届かない。

 内部に裏切りがあったとすれば、俺自身が“裏切り者”になりかねない——その為には、ロザリスを利用するしか——。

 ロザリスは、そのガスの目を、ただ見つめた。

 そして、ウラサスが“覚悟”を決める——。

「汚い野郎だな……」

 ウラサスはそれだけ言うと、銃口をガスに向けた——。

 しかしガスは、ロザリスに銃口を向けたまま……。

 上の階からだろうか、銃声が聞こえる。すぐ近くでも銃声が響くのは時間の問題だ……。

 しかしその銃声が聞こえるよりも早く、三人の周辺に、弾丸で砕けた壁の破片が飛び散った——。

 その音が耳に届くとほぼ同時にガスは身を下げ——ウラサスは倒れるように身を落としながらロザリスを配電室に押し込む——。

「——全員そこを動くな!」

 誰かの声が、少しだけ遠い所から聞こえる——。

 ウラサスが呟くように言った。

「ここはもうダメだ……行けロザリス……生きてたら、いつかどこかで会おうぜ」

 ロザリスは配電室奥の通路に一歩足を踏み入れ、少しだけ振り返った。

 しかし、もはやそこに、自分の居場所は無い……それを悟ったからか、それともただ怖かったのか——ロザリスは走った——。

 暗い通路の向こうへ、ただ、走った——。

「保安課だ! 保安調査員のガス・シャビルだ!」

 IDカードを右手で大きく掲げながらガスが叫んでいた。しかし左手には、体で隠すようにして銃が握られたままだ。過激派組織のメンバーだと思われたら、いつ撃たれてもおかしくない。続いてマシンガンの銃口を向けられたウラサスも、質問されるより早く応えた。

「報道だ。ウラサス・バーク——その調査員と一緒に動いてた」

 ウラサスは未だ立ち上がれないままガスに目を向ける——ガスもウラサスを見ていた。その目は鋭い。

 それぞれがマシンガンをコンバットシューティングに構えたまま、一歩一歩現場を確かめるマース陸軍で組織された治安部隊の隊員達。怪訝そうに二人を見ている。それもそうだろう。明らかに二人は場違いだ。実働部隊ではない保安調査員が現場の、しかも最前線にいる訳がない。更には、まだ鎮圧の済んでいない現場の、しかも最前線にどうしてマスコミの人間がいるのか……。

 隊員の一人が、依然銃口を二人に向けながら言った。

「とりあえず二人とも連行だ。事情聴取を——」

 ウラサスは立ち上がると同時に、そっと、なるべくバレないようにと願いながら銃から手を離した。さすがに銃を持ったままでの連行は“言い訳”がしにくい。

 ガスは立場上——肩書き上、堂々と銃を右脇のホルスターに戻して立ち上がった。

 並んで連行されながら、ウラサスが呟く。

「……お互いウマくやろうぜ……」

 二人を避けるように、ゾロゾロと治安部隊の隊員達がビルに吸い込まれていく。なぜか、いつの間にか脇に避けた治安統制課に動きがない。それとは別に脇に追いやられた警察には、元々治安部隊ほどの権限など存在しない。

 辺りはもうすっかりと陽が落ちて暗い。吐く息が白く、強い照明に照らされ、その存在感が強い。

 そしてやがて、銃声が聞こえなくなった……。



 車を走らせながら、少し前のテロ騒ぎが嘘のような静かな夜に、ガスは不思議な感覚を覚えた。路面はまだ濡れているものの雪は無い。午後の強い陽射しで溶けてしまったのだろう。道路脇に僅かに残った汚れた灰色の雪の塊が、時々ヘッドライトに照らし出されるだけだ。

 事情聴取は当然早く終わった。内閣府のIDカードと“特命”という言葉を使えば簡単だ。同じ内閣府といえども、治安統制課ですら口は出せない。諜報活動を主とする保安課にはそれだけの権力があった。だからこそ他の組織に嫌われてしまう側面もある。

 あの後ウラサスがどうなったのか、ガスは知らない。ウラサスの身を案じている訳ではない。ガスが心配しているのはウラサスが何を喋るかだ。もっとも、ウラサスならウマくやるだろうことはガスにも想像が出来た。話したところで信用されないような話をしても、国家機関に睨まれて今後の仕事がしにくくなるだけだ。

 人に銃を向けて慣れないことをするから——そんなことを思ったが、ガスも人を撃ったことは無い。もちろん訓練では特殊部隊、もしくは軍隊並みの動きを叩き込まれるが、ガスのような保安課の人間が今回のような作戦に直接関わることは無いからだ。内偵等をしている時に何度か身の危険を感じることはガスにも過去にあったが、人に当たるように銃を撃ったことだけは無かった。

 しかし皮肉にもあの時、治安部隊が勝手な動きをしなかったら、もしかしたらガスは撃つ必要に迫られていたかもしれない。ウラサスが予想外に関わってさえこなければ……とも思うが、今さらそんなことを考えても総てが結果論にしかならないことはガスにも分かっていた。今ポイントにすべきは、なぜ治安部隊だけが勝手な動きをしたのか——という点だ。警察も、外にいた治安統制課の部隊も動いてはいなかった。なぜ陸軍で組織された治安部隊だけが……しかも指示も無く……あったのか? だとすると、誰が……。もちろん我慢しきれずに暴走——ということも考えられたが、それなら一番前でビルを取り囲んでいた治安統制課の連中が黙っているはずがない。

 誰かが意図的に治安部隊だけを突入させた——どうしてもガスはこの結論に達してしまう。

 もうすぐ三ヵ月ぶりの我が家だ。当然その間は、妻にも娘にも会ってはいない。三ヵ月前に帰ったといっても、ほんの数時間の帰宅だった。不安や疑念が残っているとはいっても、保安調査員としての仕事が終わった安堵感がそれを打ち消そうとする。明日、保安課のオフィスに戻って総てを報告すれば、その時こそ今回の仕事は終了だ。また次の仕事が待っているだけ……ただ、自分の“野望”への第一歩は失敗だった。タイミングを見計らって、再びロザリスと接触しなければ……安否は明日から個人的に調べていくしかない。計画は大きく変更だ。もう一度練り直さなければならない。

 ロザリスに自分の気持ちが理解してもらえただろうか……それは今のガスには想像するしかない。約一年の内偵で、多くのことを語り合った。かなりの賭けの部分があったのは事実だが、まるで確信が無かった訳ではない。そしてロザリスと父親のカリスマ性を利用すれば、かなりの数の同志を集められる。今のこの国の現状を憂いている国民はかなりの数になるはずだ——ガスはそう思っていた。そしてガスにとっては、ロザリスもそんな国民の一人に過ぎない……。

 自宅の門の前に車が停まる。センサーが登録されているガスの車を感知し、自動で門が開いた。車を中に進めると、家の大きな窓から漏れる灯りが車を照らし出す。安堵感だけではない。多少の高揚感があるのはガス自身感じていた。

 車を降り、玄関へ向かう。

 鍵を開け、ドアを開けた。

 すぐに出迎えは来ないようだ。

 そして、いつもすぐにリビングから飛び出してくる娘が——来ない——。

 しかも静かだ——ガスは左手を右脇に入れる。

 いつの間にか壁に背中を着け、少しずつリビングへと近付く——。

 さっきまでの安堵感は、あのビルの中の緊張感へ——。

 静寂があった——ガスは体の中で冷たいものが走り始めたのを感じる。

 いつの間にか、嫌な思いが全身を占拠していた。

 あと一歩でリビングに踏み込める——左手に銃を構え、親指で安全装置を切る——。

 軽く息を吐く——。

 そして次の瞬間、踏み込んだガスの目に飛び込んできた光景と、耳に届く男の声——。

「——もう少し気配を消せ——」

 椅子に座ったまま、リビングの大きな六人掛けテーブルに倒れこんでいる、妻と娘——。

 テーブルの上の血溜まりの中に顔を埋め、二人とも動かない——。

 その光景に向けて銃を構え、硬直したかのようなガスに、横の男が銃を向けている。

「嫌なもんですね……仲間内の裏切りって……」

 男はイスに座ったまま、足を組み、まっすぐ右腕を伸ばして銃口をガスに向けたまま続ける。

「とりあえずその銃を下ろして頂けませんか? 捨てろとは言わない……それはあなたも望まないはずだ。しかし、話をする前からこちらに向けられたら……私も話しにくい」

 ガスは言われた通りに銃を下ろした。そして男の方に少しだけ体を傾けると、自分の体で左手の銃を隠す——。

 スーツにネクタイの若い男だ。華奢な体つきに見える。黒縁のメガネと落ち着いた話し方のせいか、とても殺し屋には見えない。

「私はあなたを殺すように命令を受けた。だからこの銃は下ろせない。理解して頂けますね? そしてあなたも、チャンスがあれば私を殺して構いません。こうしてあなたにチャンスを与えている私が悪い。遠慮はいりません。それに、あなたは、そうしたいはずだ」

 ガスは目だけを動かしてテーブルに顔を埋める妻と娘を見た——血溜まりが少しずつ広がっている……撃たれてからそれほど時間は経っていない……。

 もう少し……もう少し早く……——。

「少しだけ説明させて下さい」

 若い男が続けた。

「私はあなたに説明しなくてはならない……保安課の中に、あなた方調査員の知らない秘密組織があります。危険な諜報活動を行うあなた方の身辺警護としていつもウロウロしている治安統制課の連中とは違います。彼らがあなた方の監視も兼ねているのは、公にしていなくてもあなた方調査員は御存知なはずだ。保安課としても、それを秘密にしてはいない。むしろ、わざとその情報を流してる……そして、それを知られているということは、彼らに本当の監視は出来ない——その役目を本当に、そして専門に行っているのが、私達の組織です」

 ガスの左手に力が入った——。

「あなた方に知られないように暗躍している訳です。知らなくて当然です」

 ——バレたのか…………。

「そしてあなたとこうしてここにいる理由に戻る訳ですが、あなたは少し、反政府組織と接触し過ぎたようだ……だからさっきの作戦でもあなたの“御威光”は通用しなかった。もっとも、陸軍に所属しているロザリス・シオンを押さえる為、彼が一番顔を見られたくないであろう陸軍で組織された治安部隊だけを動かしましたが……気付かれましたか?」

 ガスは何も応えない。ただ、目の前の若い男と左手だけに意識を集中させた。

「全て聞かせて頂きました……かなり前からあなたをマークしていましたが、今日のあそこでの会話は決定打でしたよ。あのビルの至る所にマイクを取り付けておきましてね……それで実行に移させて頂きました。それと、もう一人のフリーの報道屋……彼は釈放しましたので御安心を」

 ウラサス……。

「彼はあなたとは違うようだ……なかなか賢い男ですね。決してあなたの不利になるようなことをベラベラと喋るような人間ではなかった……あなたが情報屋として利用していたのも分かります」

 男はイスの背もたれに体を預けるようにして足を組み替えると、少し間を空けて続けた。

「…………ロザリス・シオン、ですか?」

 …………。

「あなたが気になるのは彼だ……アルギス・シオンの息子……結論から言うと、彼は逃げ延びた……というより……私が逃がした……」

 ……………………。

「私にとっても、彼には生きていてもらわなければならない……」

「——お前は——」

「あなただけではないんですよ。“革命”を求めているのはね——」

「一体——」

 ガスのその言葉を遮るように——銃声が——ガスの頬をかすめる——。

 微かに煙の出る銃を構えたまま、男が言った。

「あなたは私の銃をかわして逃走を計る——銃撃戦になって、私はあなたの暗殺に失敗する——さあ、早く私を撃って下さい。適当に何発か……私の周りに撃てばいい」

 そして——二発目の銃声がガスの耳元を通り過ぎる。

「それとも……私に当てますか?」

 …………。

「あなたしだいだ。ただ、裏切り者のあなたはどちらにしても保安課には戻れない……あなたはこれから地下の反政府組織に紛れて時期を待て——その為の手筈も整えてある。明日には、あなたがどこにいても接触してくる者がいるはずだ。急げ——銃声を聞いた警護の奴らが来る——」

 ガスはもう一度、目だけを動かして、妻と娘を見た。

 顔は見えない……想い出そうとするが、不思議と頭に浮かんでこない……。

——三発目の銃声————。

「あなたの計画は大きく変更かもしれないが——」

 ——ガスが——。

 ——引き金を引いた————。

 四発の弾丸が男に向けられる——。

 ——しかし、男は微動だにしていない。二人の間に、微かに煙が漂っているだけ……。

「私の方は、全て計画通りだ——それでいい。行け——」

 ガスの、左腕がゆっくりと下がっていく……。

「私の名前はバリウス・アコブ——私に賭けろ……ガス・シャビル」

 ガスは玄関へ走った——。

 何も考えられなかった……。

 妻と娘を殺した男から、なぜ自分が逃げなければならないのか……。

 なぜその男を撃たなかったのか……。

 それすらも、ガスには分からなかった…………。

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