第4話「群衆」

 ホルスト郊外——ショパン国際空港——。

「高そうな車だな。これホントにアンタの車?」

 ウラサスはいかにも高級そうな皮のシートの助手席で、車内をジロジロと見渡しながら質問した。ホコリ一つ無い。ウラサスの車のように足元にゴミが落ちていることもない。

 運転席のサングラスの女が冷たく応える。

「当然でしょ。いい車にお金は惜しまないわ」

 空港の駐車場——昼過ぎの青空の中を飛んでいくジャンボ機をガラス越しに眺めながらウラサスが言った。

「俺には惜しいねえ……アンタの高級スポーツカーと俺のエンストばかりのボロ車じゃ、どうにも釣り合わねえや」

「人間が、でしょ。それともファッションセンス? どうして報道の人間ってセンスが悪いのかしら」

「ジャーナリストって言ってくれ」

「この時代に迷彩の服なんてやめなさい。戦時中じゃないんだから——」

「そうか? 最近マースだのネプチューンだの……国際連合がやたらと落ち着かねえみてえだけどなあ」

「発展途上国には自分達だけでは解決出来ない問題もあるのよ」

「誰が国際連合を世界の警察だなんて決めたんだよ。今は小さな内戦って言っても、その内デカくなるぜ」

「あなたたち報道屋はそれで食べてるんでしょ? 今回はどこだったの?」

「アルクシャーさ……あそこはネプチューンともゴチャゴチャしてるからな……」

「ネプチューンとアルクシャーの国境沿いの街? 酷いらしいわね……」

「隣のミザルもアルゲニブも難民の受け入れを拒否したよ……今夜にはこっちでもニュースが流れるんじゃねえか? ——で? そんな地獄から帰ってきたばかりのジャーナリストの俺を空港で捕まえてまで……この俺に聞きたいことって何だよ」

 女はゆっくりとサングラスを外した。そして口を開きかけた時に、女よりも先に言葉を発したのはウラサスだった。

「それ——」

 一瞬動きの止まった女をよそに、ウラサスが続ける。

「外した方がいいぜ。けっこういい女じゃねえか……そんなに若くはないけどな」

「クドいてるつもり?」

「いや、忠告だよ。俺は年上に興味はないねえ。しかも高級スポーツカーに乗ってるようなキャリアウーマンタイプの女は特にな」

「それは良かったわ。クドかれても仕事がやりにくいだけだし」

「保安調査員ってのも変わったもんだな。自分を隠すのにそんなデカくて真っ黒なサングラスに真っ赤な高級スポーツカーじゃ……歳の割には新人みたいだな」

「——ガス・シャビルは違った?」

 女は目だけを動かしてウラサスの顔を見る。ガス・シャビルの名前に目付きを変えたウラサスを見逃さなかった。返答を思案しているウラサスに向かって女は続ける。

「彼はどこにいるの? ——知らないとか言うのはやめなさいよ。あなたのここ何年かの動きは押さえてあるんだから」

「プライベートもか?」

「ええ、プライベートも全部……二年前のグスタブ通りの政党ビル占拠事件の夜から、彼は行方不明のままなの……行政上はね」

「捕まえたらいいだろ?」

「あなたの調査上にしか現れないから、こうして直接聞いてるの。簡単に捕まるならあなたの前に姿なんて現さないわ。彼とあなたの関係は?」

「俺はホモじゃねえぞ」

「知ってるわ」

「何をだ?」

「だから……あなたがホモじゃないってこと」

「なんで知ってんだよ。……女に覗かれるとは俺も堕ちたもんだ」

「誤魔化すのはやめなさい」

 簡単に擦り抜けられない相手だということはウラサスにも判った。しかも保安課の保安調査員——ある程度の覚悟は必要だ。

「何を聞きたい?」

 そのウラサスの言葉に、女は即答した。

「全てを——」

「よし、いいだろう。まずは俺の産まれからだ。生年月日は——」

「賢い男ね……」

 女の声のトーンが変わると、まるで空気の色が変化するように車内の空気も一瞬で変化した。

 女が続ける。

「適当にふざけたことを言ってるようなフリをしながら、次に話すことを考えてる……フリーのジャーナリストとして命を張ってきただけのことはあるようね。でも、残念ながら今回はそうはいかない。保安調査員の権限っていうのは、あなたが知ってるような反政府組織への内定だけじゃないの……いざとなればあなたを拘束することだって出来る」

「だったらやればいい——簡単にそれが出来ないから、こんなレンタカーまで借りてきてこんな手の込んだことするんだろ? どうして出来ないのか——までは知らないけどな」

 ウラサスは胸ポケットからタバコの箱を取り出した。

「禁煙よ」

「アンタも吸うんだろ? どんなに口臭消し使ったって分かるぜ。ドアポケットに最初から入ってるのが見えてる割に車内は綺麗だ。シートにヤニも着いてない。空港で俺を待ってる間、よほど車の外に出てタバコを吸ってたらしいな……運転席側のガラスにやたらと指紋が着いてる。だいぶ飛行機も遅れたからなあ……それとこっちからは見えにくいと思ってんのかもしれねえが、運転席側のガラスの端に張ってある小さい禁煙車マークのシール……剥がしておいた方が良かったんじゃねえか」

「本職は探偵?」

 女は今まで見せなかった微かな笑みを口元に浮かべて続ける。

「見事だけど……とりあえず禁煙——レンタカー返す時にうるさいから」

「分かるよ。俺も何度かそれでもめてさあ……タバコの一本や二本で——」

「やめましょ、分かったわ。あなたの勝ち。全てを話せとは言わない。ただ……一つだけ答えて……」

「諦めの悪い女だな。奴の女関係なら俺も知らないぜ」

「一年半前のあの事件……何があったの? ガス・シャビルと何を話したの? あの時のあなたの事情聴取の内容は嘘だらけ……何が飲み屋でたまたま意気投合した保安調査員と行動を共にしてスクープを物にしたかっただけ——よ。治安部隊の連中は騙せても私は騙されないわ」

 ウラサスの目が細くなる……そして言った。

「治安部隊があれで騙せたのもビックリだったけどな——それより、一つだけ知りたいこと、が、それとはね……」

 女は続ける。

「あの時、あなたはガス・シャビルとビルの中にいたはずだわ……あの後、彼は自分の妻と娘を殺害して逃走してるの……そして、あなたは元々彼と繋がっていたし、彼が行方不明になってからはあなたへの内定のライン上にしか現れない……彼の、社会との接点はあなただけなのよ——」

 ウラサスの目が更に細くなり、その表情はそれまでとは明らかに変わり、二人の間の空気の“色”も変わった。

「それは違うな」

 応えたウラサスが続ける。

「アンタの社会と繋がっていないだけだ。俺達には、俺達の社会がある——それと、奴の居場所を知りたいのは分かったが、あいつの話したことにどうして興味がある? ……返答しだいでは考えてやる」

 女はすぐには応えない。

 そして女が何を考えているのか、当然ウラサスには分からない。

「……悪いけど……」

「じゃあ今回の話は無しだ。次までに考えとくんだな。チャンスはやる。それまでには俺も考えといてやるよ」

 ウラサスはドアを開けて外に出た。ウラサスの安い車とは違う、高級車の安定感を持った重いドア独特の開閉の感触が、ウラサスの手から全身を伝う。そしてそのドアを閉める前に言った。

「一つだけいいことを教えてやるよ」

 その言葉に、女はウラサスに顔を向ける。二人の目が合った。

 ウラサスが続ける。

「奴のカミさんと娘を殺したのは……あいつじゃない……」

 女の目が、少しだけ大きくなる。

「これはホントだ……アンタの狙いが何かは知らないが、このポイントは大きいんじゃないか?」

 それだけ言うと、ウラサスはドアを閉めた。自分の車の時の癖でつい強めに閉めたが、それでもそのドアは静かに閉まり、二人の空気を切り離す。

 ウラサスはすぐにタバコに火を点け、歩き始めた。

 まだ陽は高い。

 類は友を呼ぶ、とは、うまく言ったものだ——ウラサスはそんなことを思いながらも、こうも思った。

 あの女、色々と裏がありそうだ……そうじゃなきゃ、天下の保安調査員が俺みたいな職業の男に名刺なんか渡すものか——それにしても、保安調査員って諜報活動が主体なのに、名刺なんかあるのか? アイツからも貰ったことなんかなかったな……偽者? 仕事だけでも忙しいってのに、面倒なことに巻き込まれそうだ……ガスの野郎……。

 保安調査員——ジャッキー・バルド——彼女もまた、何かを追い求めている一人だった。



 およそ一年半の時が流れていた——。

 バリウス・アコブの手引き——かどうかは結局分からなかったが、半ば強引に接触してきた男の繋がりで、ガス・シャビルは反政府・過激派組織の中にいた——。

 反政府組織と言っても——時代の流れで下火になっていたせいもあるが、かつてガスが保安調査員として内偵をしていたようなユートピア思想の組織ではない。純粋な意味で、今の独裁政権の様相を見せる国のやり方に反旗を掲げる団体だ。もちろんそれは、マースの後ろ盾に対しての反旗でもある。しかし、国の武力討伐に対しての武力の応酬という点では、それまでの過激派組織と何ら変わる所はない。

 ある意味、国内は安定していた。あれほど繰り返されていた選挙と政権交代の時代は、ほんの少し前のことであるにも関わらず、多くの人々にとってはもはや懐かしいくらいだ。まるで一時の流行のように生まれた小さな政党は次々と消え去り、政治家達も戦後の急激な時の流れを感じていた。いつしか国政は一党独裁の様を見せ、益々マースとの準植民地的な癒着を強めていく。戦後の傷跡が薄れていく中、国民が求めるものは過激に見えたユートピア思想から“安定”へ——。

 そして、全国に溢れていた反政府勢力の気運は、まるでそれがただの流行だったのかと思えるような衰退を始める。いつの世も、大衆・世論というものは残酷だった。主義主張とは別に反政府勢力もその動きを読み、その流れに乗ることが生き残りの第一条件——当然、それも縮小の原因となる。もはや、立場と存在意義を失い掛けているのが現状だった。

 しかし世界は違った——大国の後ろ盾によって形だけの安息を手に入れて浮かれているサターンの繁栄とは逆に、“革命”が飛び交っていた。

 世界大戦が終結した後も、大国にとって地理的もしくは戦略的に魅力の無い国は見放されていたのが現実だ。もはや取り残されていたかのような多くの発展途上国の中で、サターンとは逆にユートピア思想が謳歌し、結果的にユートピア思想を基盤とした社会主義国家が乱立——内戦と革命が繰り返された。サターン国内に於いては、その勢いはもはや一部の時代遅れの思想に過ぎない。しかしだからこそ、その時代遅れの流れは静かに進行していた……。

 ガスも決して野望を捨てた訳ではなかった。“時”を待っていた——。自分の中での葛藤を重ねながら、居場所を探し続け、手で掴めそうな“答え”がしだいに小さくなっていく孤独を感じながら生きてきた。元々の表の社会に戻ることは出来ず、裏の社会にも自分の存在意義を見付けられない——時に目的を失いそうになり、時に“活動”だけを目的とし、ただ“革命”を信じることで孤独と戦ってきた。

 ロザリス・シオンとの繋がりを失い、表の社会との接点はウラサス・バークただ一人……。あの事件の後、ウラサスが内偵をしていた相手が偶然にもガスの所属する組織だったことが始まりだった。

 お互いに信用し合っている訳ではない。ウラサスは相変わらずガスの求める“革命”を危険思想と思って受け入れようとはしないし、ガスもそれは分かっていた。とうぜん、腹の内を見せない関係だが、その距離感が情報交換に於いては都合のいい間柄とも言える。

 しかし世界中の発展途上国で内戦が繰り返されるようになると、ウラサスのようなフリーのジャーナリストでも、新聞社等からの依頼で海外に取材に行くことが多くなっていた。生活の為の小遣い稼ぎ、とウラサスは言うが、ジャーナリストとして興味があるのも事実——そしてそのネタは、ガスに対してのいい“エサ”にもなる。もちろんガスもその土産話を楽しみにしていた。他国の“革命の情熱”の話を聞きながら、自分の中の野心を再確認した。

 当然、今回のアルクシャーの土産話も楽しみだった。しかもただの内戦から、元々関係の燻っていた隣国である大国ネプチューンとの小競り合いに発展し、その泥沼化は避けられない様相なだけに、世界の注目度は高かった。

 ガスはその日もウラサスからの——駅の掲示板を使った——連絡を受け、指定場所へと急いだ。

 夜とは言っても、初夏ともなるとだいぶ気温も暖かい。しかしその夜は、久しぶりの大雨が夏の訪れを和らげた。

「とりあえずは、夏も足踏みって感じかね」

 運転席でタバコに火を点けながら、ウラサスは呟くように続ける。

「それとも、夏の始まりの大雨か……」

 そしてドアのハンドルを回して窓を少しだけ下げた。窓の上部のバイザーのお陰で雨は入って来ないが、代わりにうるさいくらいの雨の音が車内に響き始める——。

「で? 知ってんのか? その女……」

 ウラサスのその質問に、助手席で名刺を眺めていたガス・シャビルが応えた。

「……知らないな……若くないとすれば、新人というよりは、最近どこかから配置転換されたか……」

「そう言えばアンタ、いくつになる?」

「三三だ」

「あの女、もう少しいってるように見えたなあ……年上は嫌いか?」

「今はそっちに興味がなくてね」

 ガスもタバコに火を点けて続ける。

「お前としか最近はデートしてないからな」

「俺はホモじゃねえぞ」

「ぜひそう願いたいよ。お前がホモだったら今度こそ撃ち殺す」

「同性愛者を差別しちゃいけねえ。俺の妹も同性愛者だが、今は堂々とカミングアウト出来る世の中だから幸せなんだとよ」

「例の研究所の妹か? そうだったのか」

「俺も最近知ったんだ。何年かぶりに会って……人は見かけだけじゃ分からないものさ……兄貴として何て応えていいか分からなくてなあ……」

「だろうな。とりあえず弟じゃなくて良かったな」

「その意見には賛成だ。惚れられても困るしな……その名刺のおばちゃんが同性愛者だったらどうする?」

「興味ないねえ。その方が惚れられなくて助かるけどな」

「熱烈なラブコールだったぜ。アンタに会いたくて仕方がないって感じだったよ」

「元同業者を口説く気はないな」

「なかなかいい女だったぜ。空港でいきなり話し掛けてくるから驚いたよ。俺もずいぶん有名になったもんだと思ったが……どうやらアンタの方が有名らしい」

「そうらしいな……結局この女の目的は何だ?」

 ガスはウラサスに名刺を返しながら、吸い殻だらけの灰皿にタバコを押し込んだ。

「その前によ……こんな名刺を俺みたいな男に渡すのがおかしくないか? 昔のお前からも貰ったことがねえ」

「そういう仕事だからな……一応昔も名刺はあったが、ほとんど使ったことがない。同じ官舎の人間にだって数えるくらいしか渡したことがないな。ましてお前になんか渡すものか。お前が惚れられたんじゃないとすると、その女はよほど俺に惚れてるらしい……」

「返事しとこうか? 俺が仲介してやるよ」

「いや、いつもの“興信所”に身辺調査を依頼してからだな。そっちの“興信所”の結果は?」

「まあ、とりあえず、あの女に裏があるのは間違いないだろうな。なんとなく怪しいって程度だけどよ……」

 ウラサスは窓の隙間からタバコを外に捨てて続けた。

「何が目的なのか、その一番大事な所は分からねえが、俺とアンタが繋がっていることを知りながら俺にコンタクトを取るか? 職務としてそんなことをしたらアンタに逃げられるだけだ。俺を強引に拘束して拷問にかけるなら分かるけどよ。しかも名刺までよこしやがって……アンタに、逮捕以外の目的で会いたいのは確かだな」

「なるほど……こっちでも色々と調べてみた方が良さそうだな……」

「それと……二年前のあの事件のことを知りたがってたぜ。アンタが何をしようとしているのか……あの女にはそれが気になるらしい……これも確かだ——」

「…………」

「それと確実な情報がもう一つ——未だにアンタは自分の妻と娘を殺害して逃走したことになってる。アンタが犯人じゃないってことだけはその女に伝えておいたよ。“友達”としてな」

 するとガスは、黙って二本目のタバコを取り出した。

 ウラサスは構わずに続ける。

「残念ながら俺の方の新作裏情報はこのくらいだ。後はパン屋のオヤジとケーキ屋の女将さんの不倫騒ぎくらいだが……」

「……なかなかシビアな組み合わせだな。奥様方が飛びつくぜ」

「だろ? 若い女政治家のケツを追いかけるのも疲れたからな……ゴシップネタばかりで面白くもなんともねえ。で? そっちはどうなんだよ。俺がいない一週間に何か動きはあったのか?」

 ウラサスも、そういいながら二本目のタバコを取り出す。

 ガスはゆっくりと応えた。

「近い内に、大き目の“活動”があるらしい……クーデター規模のようだ」

 ウラサスの、ライターを持った右手が止まる——口に咥えたタバコの先端が、微かに下を向いた。

 ガスが続ける。

「ウチの組織じゃない……ただ、誘いはかけられているようだ。その程度だから、俺も詳しいことは分からん」

「……じゃあ、それに関しては情報が入りしだい——」

「任せろ……あんな奴らに“革命”など起こさせるものか……今回も失敗してもらうさ」

 こういう言い方をする時、ガスは必ず目の色が変わる。ウラサスもそれは分かっていたが、それを指摘しようなどとは到底思わない。ただ、ガスのそういう狂信的な部分には、未だに入り込めないでいた。

「どこの組織だ?」

「……バイク・ワイクスさ……いつも間にか、ただの幹部からトップに登りつめやがった……」

「ロザリスのいた組織じゃないか——あいつはまだいるのか?」

「分からない……陸軍に在籍してることは調べられたが、まだそこまでだ……最近は軍も行政も個人情報にうるさいからな。住所どころか所属部隊すら分からない……ワイクスの組織にいるのかどうかも未知数だ」

「ワイクスの野郎は手放したくはないだろうけどな。あいつのカリスマ性が欲しかったようだし……親父さんの、かな? どっちにしても——それはアンタと同じだろ」

 その言葉を受け、ガスは吸い殻だらけの灰皿にタバコを強く押し込んで応える。

「——アルクシャーはどうなんだ? そんなに酷いのか?」

 それを聞いたウラサスは、大きく溜め息をつくと、少し間を置いて応えた。

「あそこ……かなりヤバイかもしれねえ……」

「難民の問題か?」

「あそこは元々ネプチューンから独立した国だろ。武力で押し切って、結果的に国際連合の決議まで持ち込んだ——までは良かったのかもしれないが、ネプチューンとしては面白くねえ」

「決議でネプチューン以外の加盟国が賛成したと言っても、それで簡単に解決する問題じゃあない……今回ネプチューンが空爆を開始したのだって、自分達寄りのアルクシャー内の反政府勢力が内戦状態を作り出したからだろ?」

「ネプチューンがそのバックアップをしてアルクシャーの現政権が失脚すれば……しかし問題はもっと根が深い……現在のアルクシャー政府をバックアップしているのが、どの国か?——ってとこだな」

「バックアップしてる国? なるほどヤバそうな話だ……一応聞いておこうか……」

「国際連合を最初に提唱し、その中で最も発言力を持ち、世界の警察を豪語する国——」

「——マースか——」

「……もちろん、まだ表立って報道されてはいないけどな。ただ、このまま行けばマースとネプチューンの戦争に発展する可能性も無いとは言えねえ」

「それは飛躍しすぎだな、今の段階では——ただ、元々あの二つの大国の仲が悪かったのは事実だ。そう考えると、アルクシャーの独立問題だけがベースにあるように見えて、実はネプチューンがマースの存在を知った上で参戦してる可能性もあるってことか?」

「御名答。ネプチューンの政府関係者が言ってんだから間違いねえよ」

「よく取材出来たな。世界最大の社会主義国家だぞ」

「金だよ金。ネプチューンの奴らなんて金さえ積めば軍用機使って密入国だって出来るぜ。社会主義が聞いて呆れるよ」

 ウラサスはそう言うとニヤリと笑った。

 ガスは軽く車内を見渡すかのように首を回しながら応える。

「相変わらず危ない橋を渡ってるな……そんなことに金を注ぎ込んでるから安い車しか買えないんじゃないのか?」

「それともう一つ——ネプチューンにもアルクシャーにも、かなりの数の国の政府関係者がやたらと出入りしてるよ」

「通常の外交レベルとは別にってことか?」

「なぜかどの国も外務大臣とは別だ。政権与党の幹事長クラス……しかも防衛大臣と一緒にな。マスコミ向けの外交ではないってことだ……ほとんどが発展途上国だけどな」

「どういうことだ……」

「これはあくまで、俺達フリーの報道屋仲間の噂のレベルなんだけどな……どうやらいくつかの国同士で、国際連合とは別の国際組織を創る動きがあるらしい」

「何の為に……しかもそれが今回のアルクシャーの内戦とどう繋がるんだ」

「元々決議の時にネプチューン以外がみんなアルクシャーを支持したのは、マースの存在があったからだ。国際レベルでの戦後処理をしたのは国際連合というよりマースだからな。つまり、どの国もマースには頭が上がらねえ。ネプチューンが根に持つのも無理はない……それにプラスして今の国際情勢はどうだ。どこかの国で内戦が起こる度に国際連合軍って名前の大国の軍隊がしゃしゃり出て、土足で国の中をメチャクチャにしていきやがる……」

 明らかに表情の変化したウラサスが、なおも続ける。

「どれだけ国際連合に恨みを持つ国があるか……」

 自国——サターンもその点に関しては同じだった。それは二人にも分かっていた。

「お前も……色々見てきただろうからな……」

 ガスは、呟くようにそう言った。

 お互いに意見の違う部分が多いのは、お互いに分かっていた。しかし、お互いに認め合う所があるのも事実だった。あの事件を境にして変わった部分も多いのかもしれない。情報の交換だけで繋がっている訳ではなかった。

 ガスが続ける。

「お前の情報はいつも魅力的だよ。命張ってるからな……」

「お互いに……何をしようとしてるんだろうな……アンタの“革命”に賛成する訳でもないし、かと言ってそれが全て間違っているとも思えねえ。もしかしたら、俺もアンタが嫌ってるはずの反政府組織の奴らと同じなのかもな……何が正しいのかは判らねえが、今のこの国が正しいとも思えねえ」

「ジャーナリストの言葉とも思えないな……」

 すると、それを聞いたウラサスは、急に寂しげな目をして応えた。

「……ジャーナリストも人間さ。今の時代は、仕事って言ったら殆どが戦争や内戦……人の不幸で飯食ってるのは事実だ……でも、その最前線で何かを知りたいのさ……知ったからどうなるものじゃない……それで自分に何かが出来るとも思ってなんかいない。でも……他人事にだけはしておけないのさ……俺達の中にあるのは使命感なんてカッコいいものじゃない……ただ、黙っていられないだけなんだろうな……」

「……時代のせいも……」

「平和な時代なんてあるのか? 一〇〇年先だって二〇〇年先だって、結局今と何も変わらない気がするよ。俺はな」

「世界中が平和なことなんて有り得ない……自分は平和だって思ってる奴のすぐ隣で、お前みたいな奴が世界のどこかの地獄を写真に収めてる……平和も戦争も表裏一体の存在だ。どこからが平和でどこまでが戦争なのかなんて、誰にも分からない……」

「……嫌な時代に産まれただけなのか……アンタはそう思ったことないか?」

 ウラサスのその問いに、ガスは次の言葉まで少し間を空けた。

「……無いな……俺は、この時代で良かったと思ってるよ」

「自信過剰な男だぜ」

「そうじゃなきゃ、ここまでやってはこれなかったさ」

「……俺には分からねえな……何が運命だ——物心がつく前に銃で撃ち殺された子供を戦場で見れば、アンタの自信過剰も少しは変わるかもしれないぜ」

「……確かに、嫌な時代なのかもな…………だが……俺も今では殺す側だ…………言い返せる立場じゃない……」

「……それも、運命ってやつなのかねえ……」

「まあ、とりあえず……」

 ガスは何本目かのタバコに火を点けると、続けた。

「……命は大事にしろよ」

「お互いにな……デカい戦争が始まるまでは、まだ死ぬ訳にはいかねえ」

「戦争が先か……クーデターが先か……どっちにしたって、今のこの国じゃマース側に付くしかないのかもな……」

「後はあのオバちゃんか……いい女なんだが、態度はやけに偉そうなタイプだから、クドくなら気を付けな」

 ウラサスもそう言うと、何本目かのタバコに火を点ける。

 いつの間にか、雨が止んでいた。



 ルキノ・ヴィスコントは七○歳を過ぎ、益々政治の世界での影響を確固たるものとしていた。現政権の重要ポストに重鎮として君臨するヴィスコントに、世間は何の疑問も持っていない。

 グスタブ通り——首都ホルストのほぼ中心に位置する、言わば官庁街。国会議事堂もあることを考えれば、まさにこの国の政治の中心だった。

 二年前の政党ビル占拠事件の名残りも今はもう無い。あの事件以来、事件のビルの所有政党だけでなく、多くの政党が消えた。ほとんどが自然消滅や吸収によるものだ。事件のビルは建て替えられたが、他のビルは所有者というより所有政党が変わるだけで、実質的には殆どの物が変わっていない。ヴィスコントの所属していた政党も、ヴィスコントの口利きで現与党に吸収されて名前を変えた。その為ヴィスコントは前の政党からのオフィスをそのまま使い続けている。

 しかし、そのオフィスにバイク・ワイクスがいる光景は、どこか奇妙だった。

「君がこのオフィスに来ることになるとはね」

 ヴィスコントはソファーに深く腰を根付かせたまま続けた。

「最初からの計画かね? それとも、たまたま、かね?」

 通りに面した大きな窓ガラスの傍に立ち、外を眺めながらワイクスが応える。

「どうなんでしょうね……ただ、私もそろそろ五十近い歳ですから……」

「今さら安定した職業を求めたわけでもあるまい」

「最近は、裏の顔だけでは食べていけなくなりましたからね」

「それなら市議会議員ということもあるまいに……私の世界と違って、あれは食っていけんそうじゃないか」

「潤っているのは国政だけですよ」

 ワイクスがホルストの市議会議員に当選したのは一年程前だった。あの事件から半年以上経ってからのことになる。国政選挙と違い、市議会議員となると世間の興味は薄い。嘘の経歴を並べたところで、行政も調べようともしない。そんな御座なりな行政の腐敗を利用しての立候補でもあった。もちろんワイクスも裏を取られた時の為の手は打ってある。しかし未だにその必要すら感じない。これにはワイクスも少し驚いた。ワイクスにも複雑なものが無い訳ではない。

「しかし君のお陰と言えばお陰だよ。こうして私のオフィスで堂々と会うことが出来る」

「その為ですよ先生。これから……大きな“仕事”もありますから……」

「計画の進行具合はどうかね。今回は二年前のような失敗は許されないよワイクス君。まあ、あの頃と違って今は君がトップだ。あのような失敗は無いものと思っているがね」

「お任せ下さい先生……世論はきっと動きますよ」

 ワイクスは窓から下に見えるグスタブ通りを見下ろしながらそう応えた。大きな人並みが群集となり、通りを埋め尽くしている。所々にプラカードや旗のような物も見え、先頭も最後尾も見えないくらいの人の数だ。

「見てみたまえその群集を……大衆は“変革”を求めているんだよ。もう思想がどうこう言う時代じゃあない。それだけの……いや、それ以上の国民が国に対して不満を抱いているんだ」

「国際連合やマースに対しての“反戦活動”も増えてきましたね」

「“運動”というものは、所詮一時の流行に過ぎんよ。大衆にとっては理由等はどうでもいいものだ。頭のいい人間は“運動”になど参加したりはせん。しかし我々が動かすのは“大衆”だ。君の目の前のその“大衆”を見る限り……難しいことではあるまい」

 ヴィスコントのその言葉を聞いて、ワイクスは口元に笑みを浮かべた。

 ヴィスコントが続ける。

「“彼”はどうしているかね……二年前の唯一の生き残りの“彼”は……」

「計画通りです。今回はしっかりと働いてもらいますよ」

 群集は国会議事堂へと続いていた。

 その群集の中に、ウラサス・バークがいた。なぜかその後ろをジャッキー・バルドが追いかける。

「どうなってんだコイツら! いつの間にか凄い人数になってるぞ!」

 ウラサスが声を張り上げた。

「一つの集まりじゃないのよ!」

 ジャッキーも声を張り上げる。

 もの凄い勢いで人数が増えていた。その群集の横を擦り抜けるようにして二人は先頭を目指していた。それでも人波を掻き分けるように先を急ぐのは簡単ではない。

 ウラサスはカメラを片手に足早に動きながら叫ぶ。

「婦人団体でも混ざってるんじゃねえのか!」

「反政府団体の行進にいつの間にか反戦団体まで——!」

「労働組合はいないのか!」

「いたら帰るように言っといてよ!」

「大体アンタ! 何でこの人込みの中で俺のこと見付けられるんだ!」

「いい男は簡単に見付かるのよ!」

「どうりで独身な訳だな!」

「独身だなんて言ったかしら!」

「いい女は独身ってことになってんだよ! それより何でアンタここにいるんだよ!」

「変なのよ! このデモ!」

 やっとウラサスに追い着いたジャッキーが、少しだけ声を落として続ける。

「——誰か裏で手を引いてるわ」

「さすが国家の情報屋だな。アンタも仕事か? 本職とは関係ねえんじゃねえのか」

「ちょっとね。人追いかけてたら巻き込まれたのよ」

「巻き込まれた? アンタの肩書きにしちゃあ情けないもんだなあ」

「悪かったわね。あなたの仕事に興味があって着いてきてるわけじゃないわ」

「御愁傷様。同じ情報屋じゃねえか。情報交換といこうぜ。誰が手を引いてるって?」

「あなたが追いかけてた政治家——ここじゃ大声で言えないけど。たぶんね。だから、あなたもここにいるんじゃないの?」

「……かもな。ただ……それとは別にして、今が危険な状態って方が問題のようだ」

 ウラサスは足早に歩を進めながら、群集の脇を固める警察と治安部隊を見て続けた。

「人が集まり過ぎだ。何も起きなきゃいいけどな」

「起きるとしたら?」

「ゴール地点が一番密集率が高いとすると、国会議事堂前ってところか——手伝うか?」

「何をよ」

「久しぶりの国内スクープだ。追いかけてくるなら手伝いな」

「あなたのパートナーになるつもりはないわ。もう一人に会いたいんだってば!」

「会いたがってたぜ。年上が好きらしくてなあ」

「だったら会わせてよ!」

「俺は芸能事務所のマネージャーじゃねえよ」

 やがて、問題の国会議事堂が二人の視界にようやく入ってくる。正面のゲートは当然閉じられているようだ。そしてその向こうには治安部隊の戦車の砲台も見える。

「戦車まで……かなりの厳戒態勢ね」

 ジャッキーのその言葉にウラサスが応える。

「この大群衆じゃな……それともアンタの言ってる情報が漏れて、治安部隊が事前に動いていたか……かなりの兵士の数に——俺にはさっきから見えてたが」

「でも——」

「そうさ——あいつなら自分で煽動しておいてワザと漏らす。よほど火事騒ぎが好きなのか、それとも何かの布石の為か——」

「何か掴んでるなら教えてよ」

 ……保安課は、まだ知らないか……。

「それより……始まりそうだぜ——」

 群衆の先頭が、ゲート前に銃を構えて並ぶ治安部隊の兵士達と揉み合い始めていた。通常であれば例え銃を持っていたとしても、発砲許可が無ければ治安部隊も発砲するわけにはいかない。

 しかし、やがてそれは起きる。

「——ヤバイな——」

 ウラサスのその呟きも、ゲート前に意識を奪われているジャッキーの耳には届かない。

 群衆の一人が兵士達を擦り抜けてゲートのフェンスに手をかけた。

 一人の兵士がそれを強引に引きずり下ろす——。

 群衆は、その“暴力”を待っていた——“正義”の名の元に、兵士達に襲い掛かる——。

 “暴動”が始まった————。

 兵士の一人が空に向けて発砲した直後、辺りの空気が変わるのと同時に悲鳴がその場を包み込んだ——。

「来いっ!」

 ウラサスがジャッキーの腕を掴んで動く——。

 群衆がうねりを持って波のようにざわめき始め、連続する銃声と共にその波が広がっていく……。

 二人はその波から離れ、幅一メートル程のビルの谷間に飛び込む——そしてウラサスはジャッキーを背にしたまま、群衆に向かってシャッターを切り続けた。

「ただの婦人団体だったら良かったのになっ!」

 そんなことを叫ぶウラサスに、その背後からジャッキーの呟くような声。

「どうして……」

「ケガ人だけで済めばいいがな!」

「……こんなことに……」

 繰り返される銃声が群衆を擦り抜け、その波を掻き乱す——。

 その光景をレンズ越しに見ながらウラサスが言葉を繋げた。

「人数が多過ぎたんだ。デモなんかで世の中変えられると思ってる奴らなんて狂信的な連中が多いのさ」

「だからって——!」

「単純なんだよ。一度興奮すると手が付けられねえ。一人じゃ何も出来ないくせに集団になると気が狂ったように態度がデカくなりやがる。人数が多ければ多いほど大衆って奴は——」

「他の国で見てきたの?」

「まあな……海外で豪遊してきた訳じゃねえや」

 ウラサスのファインダーの奥に、巨大な戦車が現れる——。

 別の通りからは装甲車が数台——。

「ただのデモの鎮圧にしちゃ尋常な数じゃねえな。しかも動きが速過ぎる——アンタの言ってた情報——アレやっぱり本当かもな」

「あなたも情報掴んでたんじゃないの?」

「たぶんアンタほど掴んじゃいないと思うぜ」

「……うまくやるわね」

 ジャッキーは軽く溜め息をついた。

「俺はアンタがどうしてその情報を知ってるのか——って方が気になるねえ」

 ウラサスはそう言いながらカメラのフィルムを交換する。ジャッキーはそのスピードに見入り、返事に間を空けた。

「……仕事で——」

「情報屋相手につく嘘にしちゃあ、すこしナメてねえか? ヴィスコントが国家に疑われたことなんて一度もねえ。あいつの内偵を何年もやってれば、あいつの周辺にアンタらがいないことなんて分かってた。ヴィスコントが国政にいる限りはな……そういうことになってる」

 ジャッキーは返答に迷っていた。

「個人的にか? ガス・シャビルを探してるのだってそうだろ? あいつは一般的には犯罪者で逃亡者だ。そうなったらそれは警察と治安統制課の仕事だ。もしくは保安課の——アンタらも知らない秘密組織か——」

「そんな組織なんて——」

「アンタも存在は知らないはずだ。ガス・シャビルだってそうだったのさ。あいつのカミさんと娘を殺したのは——」

「言い訳だわ! 自分の犯罪を正当化する為にそんな嘘——」

「何であいつが殺すんだっ! お前もそこに疑問があるんじゃないのか!」

 ジャッキーは応えない。

「治安統制課で事務員をしてたアンタが、どうして三○過ぎてから保安課に転属願いを出したのか……それは知らないけどな」

 ウラサスの背中を見つめるジャッキーの目が鋭く変化した。

 そのウラサスは再びフィルムを交換する。それを見ながらジャッキーが言った。

「プロのカメラマンって、一台しか持ち歩かないの?」

「予備に小型のファインダータイプは持ってるさ。今回は規模が規模だ。こうなる可能性が高かったからな……首から一眼二台じゃ重くて仕方がねえ。ま——いい場所見付かったけどな」

「あなたが言うと……まるで最初からこの場所に逃げ込むことを想定してたみたいに聞こえるわね」

「フリーで食ってくってのは、けっこうキツいもんさ」

「命張ってるわけね」

「——本気かよ……とうとう撃ちやがった」

「え——?」

「そこの装甲車だ! 見てみろ!」

 ジャッキーがウラサスの肩越しに見る光景には、装甲車の上で、空にではなく、群衆に向けて機銃を撃つ兵士の姿があった。

「あっちもだ——その内に戦車が大砲撃つぜ」

 いくつもの装甲車、戦車から機銃音が響き、辺りを悲鳴と怒号が飛び交う——。

 それまでの群衆の沸き立ち方とは違う——。

 銃声ではなく、弾丸が群衆の隙間を飛び交い、人々の頭よりも高く、血飛沫が舞う——。

 群衆のうねりは、地響きを生んでいた……。

「——こんな……」

 ウラサスの背中に、ジャッキーが呟く——。

「……何で——」

「ヴィスコントが欲しいのは国家に対しての反感さ……憎しみを増大させることで、国民が国家に恨みを持つ」

 ウラサスのシャッター音の間隔が、いつの間にか小さくなっていた。

 ジャッキーが叫ぶ——。

「武力討伐もいいとこだわ! 虐殺じゃない! こんなことしたって——!」

「“布石”だって言ったろ——これは目的じゃない……手段の一つだ」

 振り向き、ジャッキーの腕を掴むウラサス——。

 その瞬間、少しだけ、我に帰るジャッキー——。

「行くぞ——流れ弾に当たる前に逃げろ!」

 直後、ウラサスの背後まで近付いた弾丸の一つが、二人の近くでビルの壁を砕いた——。

 同時にジャッキーの目が凍りつく——。

 ウラサスは自分の体の感覚を確認すると、すぐに動いた——。。

 ビルの谷間を、群衆を背に、二人は走り始める——。

 ジャッキーは何も言えないまま、ただウラサスの前を走った——。

 目の前に微かに見える通りの一部が、やけに明るく見える。まるで暗闇の中にある出口のようだ。

 そして、その距離は遠い。

 二人はなかなか遠くならない背後の銃声を背中に振動のように感じながら、夢中で走った。

 しかし、もう少しの所で、その出口は一人の男によって突然遮られる。

「——何て野郎だ——」

 ジャッキーの背後から、そんなウラサスの声——。

 何? 誰————?

 男が二人に向かって歩を進め、お互いに距離が縮まる。自然と二人のスピードが緩み、止まり、目の前の男と対峙する。

「タイミングがいいのか悪いのか分からねえ奴だな」

 ウラサスのその言葉に反射的に後ろを振り返ったジャッキーは、それでもすぐに目の前の男に半ば唖然とした顔を戻した。

 ヨレヨレのスーツにノーネクタイのガス・シャビル——ただ、目の前の女を見つめている。

 少し離れた距離の絶え間無く続く銃声を聞きながらも、ウラサスはその距離の安心感もあってか、わざとゆっくりとジャッキーの背後で喋り始めた。

「おうシャビル、会いたがってた女だぜ」

 ——ガス・シャビル——……!

「銃声の聞こえる中で運命の出会いってのも、どうかと思うけどな。お前好みの女だろ?」

 その直後——。

 辺りを地響きにも似た轟音が包む——。

 三人を挟むビルが揺れる——。

「ついに大砲撃ちやがった!」

 ウラサスがガスとジャッキーの間に入って続けた。

「ダメだ——デートはまた今度にしようぜ!」

 すると、ガスはジャッキーに背を向けて、呟くように言った。

「俺達の読みが正しければ……アンタはかなりの野心家だ……」

 半ば呆然としているジャッキーに、今度はウラサスが叫ぶ。

「アンタも早く逃げな! 流れ弾の前に大砲にやられちまうぜ!」

 ウラサスとガスは、ジャッキーの目の前の通りの人込みに紛れて消えた。

 あまりのあっという間の出来事に、ジャッキーはしばらくビルの谷間で動けずにいた。

 何度目かの大砲の振動が体に伝わった時、やっとジャッキーの足が動く……。

 背後のグスタブ通りだけではない……目の前のその通りも、逃げ惑う人々で埋め尽くされていた……。

 そして、政党ビルの三階から眼下のグスタブ通りの惨劇を見下ろしていたワイクスに、響き渡る銃声を聞きながらソファーに体を沈めるヴィスコントが言葉をかける。

「安心したまえ。ここには被害が出ないように言ってある……」

 ワイクスはまるでそれを知っているかのように窓の前を動かない。ヴィスコントが続ける。

「何人くらい死ぬかね……多ければ多い方がいいが……」

 すると、ワイクスはゆっくりと応えた。

「心配は……いらないようですよ……」

 銃声は、まだ続いている……。

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