後日談その3 大学に天使が舞い降りて 後編

 楽しい時間は一瞬だった。

 気付いたときにはもう中庭にいて、それから急にしほが大きな声を上げた。


「あ、幸太郎くん! おーいっ」


 男の名が、彼女の口から発せられる。

 その顔には、チャラ男の彼に向けられることなど一生ないであろう、純粋な笑みが浮かんでいる。

 彼女の表情を見て分かった。幸太郎という人間は、しほの彼氏なのだ――と。


「し、しぃちゃん……一緒にお昼を食べようって言ってたのに、急にいなくなったからびっくりしたよ。どこ行ってたの?」


「迷子になってたわ! 困ってたら、親切な先輩さんに助けてもらったの」


 それからようやく、チャラ男が紹介されて。


「……案内しただけだ。何もしてないからな」


 一瞬、彼は身構えた。

 自分のような軽薄な見た目の男性が、彼女の隣にいたら……彼氏としてはきっと、警戒すると思ったから。


「はい。しぃちゃんを助けてくれて、ありがとうございます」


 だが、そんな心配は杞憂だった。

 彼氏らしき男性は、小さく笑って頭を下げてくれたのである。

 ……彼女も彼女なら、彼氏も彼氏だ。


 二人からは、まったく悪意を感じない。


「優しい先輩がいてくれて良かったね」


「うん! 案内までしてくれたのよ? 本当にありがとうございますっ」


 再度お礼を言われて、チャラ男は……自然と、頬を緩めていた。


「気にするな。それじゃあ、俺はバイトがあるから」


 手を振って、二人に背を向ける。

 結局彼は、連絡先を聞き出すことも、サークルに勧誘することもなく、ただ親切に道案内をしただけに終わった。


 しかし――気分はとても、清々しかった。


「……髪、切るか」


 なんだか急に全部が、馬鹿らしくなって。

 セットに時間がかかる髪の毛も、日焼けサロンに通う時間も、大して美味しくもない酒を飲んで騒ぐのも……全てが、くだらないと思った。


 大学生というものに憧れていた。

 酒と、金と、女と……そういう遊びこそが、一番の幸せだと思っていた。


 でも、不意に分かってしまった。

 そんなものよりも、純粋な幸せがあることを……あの無防備な二人を見て、気付いたのである。


(俺にもまだ、普通の心があったんだな)


 もし、彼が悪意に満ちた人間であれば。

 きっと、しほに対しても毒牙を向けたことだろう。

 だが、そうする気に慣れなかったということは……彼に、良心が残っていたという証明に他ならない。


 それから更に言うならば、彼に両親がなければ、しほが話しかけることもなかっただろう。

 退化したとはいえ、彼女は他者を聞き分ける能力を持っている。故に、良い日とか悪い人かの判断を、感覚的にできるわけで……すなわち、しほに頼られたということが、それだけ善良な人間だということだ。


 ただ、少しだけ流されやすい性格で、道を違えていただけ。

 でも、一線を超えることは決してなかった。汚い話も誘惑もたくさんあったが、彼は無意識にそういう危ない橋を避けて生きてきた。


 そのおかげで彼は、道を踏み外さずにすのである。


 ……その日、北羽大学に舞い降りた天使によって、とある人物が心を洗われた。

 以降、彼はサークルを辞めて、真っ当な人生を歩むことを決意するのだった――。

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