後日談その2 大学に天使が舞い降りて 前編
――その日、北羽大学に天使が舞い降りた。
誰もが彼女を見て、こう思った。
かわいい……と。
「お、おい。誰か、あの子に声をかけてこいよ」
「女子を呼んでこい、うちのサークルに勧誘しろ!」
大学内のいたるところで、彼女を見かけるや否や周囲が騒がしくなる。
誰もが舌なめずりするような目を向けていて、その視線を浴びた彼女――霜月しほは、小さくため息をついた。
(困ったわ……迷子になっちゃった!)
とはいえ、意に介することなどなく。
無論、聴覚に優れている彼女には、こちらを狙っている声を聞こえているのだが、すべてまったく気にしていなかった。
高校生までのしほであれば、そういう視線や声を恐れてその場から逃げ出していたことだろう。
しかし、色々あって成長した彼女はもう、恐怖の感情を抱いていない。
……否、恐怖という感情を忘れてしまっていた。
「あ、あのっ」
なんと、声をかけたのは彼女の方だった。
「ん? あ、ななな何か用か!?」
サークルへの勧誘を狙っていた、浅黒い肌の男性が急に声をかけられて驚いている。
日焼けしており、染められた長い髪の毛が焼けに目立つ、いかにもチャラそうな男である。
彼はテニスサークル……と言う名の飲みサーに所属している三年生だ。
遊ぶことに大学生活の全てを注いでいる生粋のチャラ男である。今も、しほの美貌に目がくらんで、彼女とどうにかお近づきになろうと目論んでいたのだが。
「その、中庭に行こうとしていたら、いつの間にか迷子になっちゃって……! どこに行けばいいですかっ」
まさか声をかけられるとは思っていなかった。
チャラ男の隣にいるサークルの後輩男性は、好機と言わんばかりにチャラ男に目配せをしている。
彼も当然、口説くために頭をフル回転させたが……気付いた時には、こんなことを言っていた。
「中庭なら、逆の方向だな。この道を戻った方がいい」
うぇーい!
それが彼の口癖なのに。
なぜか軽薄になれなくて、つい真面目に答えてしまった。
せっかく、連絡先を聞き出す好機を、自ら手放したのである。
そんな彼を見てサークルの後輩も変な目を向けているし、何より親切にしてしまった自分にチャラ男は驚いていて……だが、更なる驚愕が彼を襲った。
「あの、道案内……してもらっていいですか?」
まるで、罠に飛び込むウサギである。
見た目からして危険と言うか、軽薄な彼を前にしてなお、しほは無防備で……チャラ男は絶好のチャンスを前に、己を鼓舞した。
「あ、ああ。ついてきてくれ……!」
一緒に歩いている間に、サークルへの勧誘と連絡先を聞き出してやる!
そう意気込んで、歩き出したのだが。
「新入生だよな? 入学してそろそろ一ヵ月くらいか……大学には慣れたか?」
「はいっ。昨日やっと、講義で居眠りしないことができましたっ」
「……まぁ、居眠りすると出席扱いしない教員もいるから気をつけろよ」
「そうなんですか!? き、気を付けます……!」
不思議なことに、雑談が盛り上がって連絡先を聞く気になれない。
サークルの勧誘? そんなくだらないこともする気になれず、久しぶりの悪意のない会話に心を洗われた。
酒がどうの。
金がどうの。
女がどうの。
汚れた話ばかりの大学生活で、純粋なしほとの会話は……まるで、温かいお風呂のように彼の心を温めてくれたのである――。
(後編に続く)
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