五百八十話 いつものように

 しぃちゃんの言葉は正しかった。

 車で数分ほど進むと、俺の耳にも花火の音が聞こえるようになって……窓の外を見てみたら、色とりどりの綺麗な花火が夜空を彩っているのが見えた。


 予想通り、近くでお祭りをやっているようだ。

 そんなこんなで、しぃちゃんが花火を見たいということで、見晴らしの良さそうな河川敷で車を止めてもらった。


 当初はみんなで見ようと、そう話しあっていたのだが。


「むにゃむにゃ……あとごふん……」


 梓がすっかり熟睡していた。

 一応、俺の膝の上からどいてもらった直後は目を開けたけれど、今度は胡桃沢さんの膝を枕にして寝始めたのである。


「ダメな子ね。まったく……仕方ないんだから」


 そう言いながらも、胡桃沢さんの表情は柔らかく、怒っているようには見えない。

 彼女はひざの上で眠る梓を撫でながら、俺に向かって首を横に振った。


「あたしがこの子を見てるから、中山と霜月で行ってきて」


 胡桃沢さんはやっぱり優しい人だと思う。

 俺としぃちゃんが二人きりになるように気を利かせてくれてもいるのだろう。


「ごめんね。梓は任せたよ……じゃあ、しぃちゃん? 行こっか」


「はーい!」


 梓の面倒を見てくれるそうなので、お言葉に甘えて俺たちは外に出た。

 少し寝たおかげなのか元気いっぱいのしぃちゃんが先に車から降りて、続いて俺も降りようとしたら……そんな俺に、胡桃沢さんがこんなことを言った。


「……せっかくだし彼女に慰めてもらいなさい?」


 ……どうやら俺が落ち込んでいることを、察していたようである。


 その上で何も言わないでくれたのは、きっと俺の性格を把握しているからだろう。

 気を遣われることにすら罪悪感を抱いてしまうタイプなので、その判断はとてもありがたかった。


 まぁ、そういうわけなので。

 しぃちゃんと会話をして、気分を変えてもらおうかな。

 彼女との会話はほんわかしていてとても癒される。きっと、花火を見ながら少し雑談をすれば、メアリーさんへの罪悪感も少しは緩和してくれるかもしれない。


 そう期待して、少し離れた場所にいるしぃちゃんのところに向かった。


「みてみて、幸太郎くん! 花火がいっぱいだわっ」


 促されて空を見上げてみると、彼女の言う通り花火が夜空を覆っていた。


「わぁ……素敵ねっ」


「うん……そうだね」


「ねぇねぇ、今度は一緒にお祭りに行きましょう? 私、りんご飴とか食べてみたいわ! あとチョコバナナもっ」


「お祭りかぁ……いいね、ぜひとも行こう。どこでやってるんだろう? 後で調べてみるよ」


「やったー♪」


 頷くと、しぃちゃんは嬉しそうに笑って、俺の手を握った。

 自然な動作で指を絡ませてきた彼女は、寄り添うように体を密着させてくる。


「…………」


 それからしばらく彼女は何も言わなかった。

 花火に見とれているのだろう。しぃちゃんの邪魔をしたくなかったので、俺も何も言わずに空を見上げていた。


 二人で身を寄せあって、花火を眺める。

 ただそれだけのことなのに、すごく幸せだった。


 やっぱり俺には、物語なんて要らない。

 こういう退屈で、温かいひとときにこそ、一番の幸福があると思うのだ。


 だから……メアリーさんのことは忘れろ。

 

 裏切ったことを。

 傷つけたことを。

 否定したことを。


 早く、忘れてくれ。

 そうしないと、この瞬間を心から楽しめない。

 この瞬間を、しぃちゃんとの綺麗な思い出にするには……メアリーさんへの思いを、振り切らなければならないのに。


 俺はどうして、こんなにも意味もなく悩むんだ……と、自責したその時だった。





「――ゆっくりでいいのよ?」





 しぃちゃんが、小さく囁いた。

 まるで、俺の心を見透かしているかのように。


「焦らないで。落ち着いて……私はちゃんと、待ってるからね?」


 自分の存在を強調するかのように、さらに強く俺の指を握って。


「幸太郎くんが立ち直るまで、そばにいるからね」


 いつものように。

 当たり前のように。


 しぃちゃんは俺を『肯定』してくれたのだ――。

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