五百七十九話 花火

 結局、眠ることなんてできなかった。

 少しでも動くと、梓としぃちゃんを起こしてしまいそうだったのである。


 二人が軽く触れている程度であれば、振りほどけただろうけど……しぃちゃんは俺の方にもたれかかっており、更に腕に抱き着いていた。梓に至ってはひざを枕にしているので、引き剥がさない限り離れることはできない気がする。


「んへへ……もうたべられないよぉ……」


「んにゃぁ……おにーちゃんのどーてー……」


 それにしてもぐっすり眠りすぎではないだろうか。

 しぃちゃんも梓も熟睡しているようで、時折寝言が聞こえてくるくらいだ。


「すぅ……すぅ……」


 一方、対面に座る胡桃沢さんは静かに眠っていた。

 リムジン内はスペースが広い上に、彼女が座っている座席には彼女しかいないので、そのまま横になって眠れそうだけど……俺の目があるからなのか、俯いた状態で器用に寝ていた。


 二泊三日の小旅行。激しく動いたわけではないけれど、なんだかんだみんな疲れているのだろう。

 もちろん、俺も疲労感はある。この旅行中、悩むことも多くて十分な睡眠時間がとれたとも言い難く……できれば眠りたかった。


 もし限界であれば、しぃちゃんと梓には申し訳ないけど二人にどいてもらって眠っていたと思う。でも、今はどうしても眠れそうにない。


「…………っ」


 目を閉じても、消えない。

 メアリーさんの泣いている表情が、瞼の裏に焼き付いている。


 俺はまだ彼女のことを忘れられないでいた。

 メアリーさんを傷つけたことを未だに引きずっていたのである。


 だから、みんなが眠っていてくれて良かったし、起こしたいとは思えない。

 今はどうしても、いつも通りに振舞えない気がしてならなかった。俺が落ち込んでいることを知ったら気を遣わせてしまいそうだし……それが嫌なのである。


 中山幸太郎という人間は、気を遣わせていることに対して申し訳なく思ってしまう性格なのだ。我ながらめんどくさいけれど、こういう人間だから仕方ない。


 こういう精神状態なので、身動きが取れずに体が痛くなってきたこの状況を、少しありがたいとさえ思っていた。自分への罰だと思えばいくらでも耐えられてしまったのだ。


 そんなわけで、更に一時間ほど。

 しぃちゃんがもたれている肩と腕がしびれてきて、梓が枕にしている足の感覚がなくなってきてもまだ、俺は二人の枕でいることに耐えていると……。


「……はにゃび!?」


 急にしぃちゃんが起きた。


「どうしたの? ……あと、よだれ出てるよ」


「え、ウソ!? やだ、恥ずかしいわっ」


「……俺の洋服で拭くのは恥ずかしくないのかなぁ」


 俺のシャツの裾で口元を拭うしぃちゃん。

 まぁ、彼女の行動なのですべてが愛らしく、何をされても不快感はないけれど。


「幸太郎くん、花火よ! 花火の音が聞こえるわっ」


 急に飛び起きた理由は、それだったのか。

 俺の耳には聞こえてないけど、聴覚の鋭いしぃちゃんには花火の音が聞こえているみたいである。


「近くでお祭りでもやってそうだね」


「うぅ、そういえば花火をやり忘れてたわっ……! 夏の定番なのにっ。ねぇねぇ、もう一回海に戻って花火をやってもいい?」


「今から? 戻れるかな……胡桃沢さんに相談してみようか」


「……ダメよ。それだけのために戻るなんて大変でしょ」


 しぃちゃんの声が大きかったからだろうか。

 胡桃沢さんも目を覚ましており、こちらを見てやれやれとため息をついていた。


 まぁ、戻れるわけないか。

 もう車でかなりの距離を進んでいる。あと一時間ほどで家に到着しそうだし、当たり前である。


「うぅ……くるりちゃん、本当にダメ?」


「そんな顔してもダメよ……まぁ、ちょっと花火を眺めるくらいだったらいいけれど。見晴らしのいい場所で車を止めるから、それで我慢しなさい」


 とはいえ、なんだかんだ胡桃沢さんは優しかった。

 戻るのはダメだけど、寄り道はしてくれるようだ――。

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