五百六十七話 盛り上がる必要なんてない
「……本当にいいの?」
――恋人になりたい。
そう伝えたら、彼女は照れくさそうに顔を真っ赤にしながらも、力強く頷いてくれた。
あんなに、へたれていたのに。
何かが変わるのが怖い、と。
今のままで十分幸せなのだ、と。
俺が次の関係に進みたいと願っていても、彼女はまったくその必要性を感じていなかったはずだ。
しかし、それでもなお、しほは俺の思いを受け止めてくれた。
「本当は、恥ずかしい……ううん、幸太郎くんのことが好きすぎて怖いの。私、これ以上あなたを好きになったら、どうなっちゃうんだろう――って。ほら、私って少しだけ愛が重たいでしょう? もしかしたら、ヤンデレさんになっちゃって幸太郎くんをペットにしたりするかもしれないわ」
「そうはならないよ」
しほの愛情は理解している。
彼女の愛が少しだけ重たいことだって、知っている。
でも、彼女が言うような猟奇的なヤンデレにはならないと、俺は自信を持って言えた。
「しほが、俺の嫌がることをするわけがない」
「……ええ、それもそうね」
信頼の言葉が嬉しかったのだろうか。
しほは嬉しそうに笑って、俺の手をギュッと握った。
「恋人になったら、こうやっていつでも手を繋ぎ放題なのかしら?」
「もちろん。いつでもどこでも大丈夫だよ」
「それはすっごくお得ね。契約するわ!」
「いやいや、スマホのプランじゃないんだから」
会話は、日常の延長線上のものでしかなく。
恋人になった場面としては、あまりにも盛り上がりに欠けている。
良い物語にしたいのであれば、この程度では物足りない。
劇的なドラマが生み出されるべき展開だ。恋人になるということは、つまりラブコメにおける『ゴール』なのである。
仮にこれが物語であれば、の話だが。
しかし、現実はそんなにうまくできていない。
あまりにもあっけなく、あっさりとゴールテープを切る。
そうなることだって、あるんだ。
「……ごめんなさい。幸太郎くん、そのことで悩んでいたのね? 私がいつまでも覚悟を決めないから、もどかしかったのでしょう?」
正直な気持ちを打ち明けたからこそ、しほは俺の気持ちを分かってくれた。
結局のところ、難しいことはしなくて良かった。
こうやって素直に伝えれば、それだけで良かったのだから。
「ゆっくりでいい……どうせ私はこれからもずっと、幸太郎くんのそばにいる。そう思っていたから、いつまでもそのままでいいと思っていたわ。あなたに甘えていたのよ……でも、昨日の夜ね、くるりちゃんに怒られたの」
そして――俺の知らないところで、物語が進んでいた。
語り部のいない進行なんて、あってはならない。
でも、現実では当たり前。
俺がいるところでしかイベントが発生しないなんて、そんなことは有り得ないのだ。
「『甘えてばかりだと、中山の負担ににしかならないけどそれでいいの?』……そう言われた時に、決めたの。幸太郎くんの負担になるのは仕方ないわ。でも、それ以上にあなたの負担を軽くできる存在になるって」
……胡桃沢さんの、おかげだ。
なるほど……俺がやろうとしていたことは、彼女がやってくれていたのか。
喧嘩してでも、しほに変化のきっかけを与える。
たとえ、嫌われてでも構わない――と、彼女は成し遂げてくれたんだ。
本当に、胡桃沢さんは優しくて、強かった。
ありがとう……彼女のおかげで今、こうしてしほと穏やかな話ができている。
そのことに、心から感謝していた――。
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