五百六十五話 気付かなかったわけじゃなくて

 一分もしないうちに、しほは部屋に駆け付けてくれた。


「やっほー! 幸太郎くんから呼び出すなんて珍しいわねっ」


 胡桃沢さんと違って、彼女はノックもせずに部屋に入った。遠慮などまったくないし、俺の返事も待ってくれない。即座にベッドへと飛び込んで、俺のそばにちょこんと座った。


「私の顔が見たかったなんて……うふふ、本当にかわいい男の子だわ♪」


 彼女は少し……いや、結構テンションが高い。

 俺に呼び出されたことが嬉しいみたいだ。


「ほら、いっぱい見ていいのよ? ほらほら~」


 腕にギュッと抱き着いて、顔を寄せてくるしほ。

 相変わらず……行動の全てがかわいくて、魅力的な女の子である。


 出会った当初は、こんなに心を許してくれると思っていなかった。

 それだけで俺にとっては十分、幸せなはずだったのに。


 ……いつの間にか、欲が膨らんでいたのだろうか。

 全力で甘えられているというのに、俺の気持ちを分かってくれていないと……もっと俺の思いをくみ取ってほしいと、わがままになっていたのかもしれない。


 落ち着いた今なら、理解できた。

 しほが変わる必要は、ない。


 そして俺も……変わる必要は、なかったんだ。


 中山幸太郎は、中山幸太郎のまま、ありのままの幸せをかみしめていればよかったのに。

 どうして俺は――あんなにも思い詰めてしまっていたのだろう?


「しほ……」


 小さく、その名を囁いた。

 すると彼女は、こてんと首を傾げて……俺の目を、ジッと見つめた。


「あら? こんなにくっついたら、いつもなら照れてかわいいリアクションをしてくれたのに……シリアスな顔をしてるわ。もしかして、幸太郎くんったら――」


 それから、彼女は微笑んだ。

 仕方ないなぁと、言わんばかりに。

 態度の悪い弟を見守る姉のように、彼女は優しい目で俺を見てこう言った。






「――また、悩んでいるの?」





 ……気づかなかった、わけじゃなくて。

 しほは、俺が悩んでいることを察していたらしい。

 その上で、あえて気付かないふりをしていた……ということ、だろうか?


「よしよし、大丈夫だからね? 私がそばにいるから安心して?」


 悩みの内容には一切触れない。

 何を思い詰めているか、彼女は知る気はないらしい。

 それでもなお、俺の味方でいると……そう伝えるかのように、頭をなでてきた。


「今日は朝から思い詰めてたみたいだけど、まだ続いてるなんて……いっぱい悩んじゃってるのね。まったく、仕方ない男の子なんだから」


「……俺が悩んでいること、気付いてたんだ」


「もちろん。私は幸太郎くんのことが大好きなんだから、当たり前だわ。あなたはいつもそうなの……色々なことに悩んじゃう性格だから」


 ――関心がないのだと、思っていた。

 俺の気持ちを分かってくれていないと、勝手に思い込んでいた。

 でも、そういうわけじゃなかった。


 しほは、しほなりの理由があって、何も気づかないふりをしていたようだ。


「私は、幸太郎くんみたいに考えることが得意じゃないし、一緒に悩んであげても何も解決してあげられない……でも、いつも通りそばにいることならできるわっ。あなたの味方でいるし、あなたを愛し続ける。それだけは、得意なの」


 あえて、いつも通り振舞ってくれていた。

 俺が悩んでいても、それはいつものことだと笑って受け入れてくれていたようだ。


「素敵なアドバイスはできないけど、一緒に休んで待つことはできるもの。それで、悩むことに疲れたら、また遊びましょうね?」


 待ってくれていたんだ。

 しほは、俺のことを……ちゃんと、愛してくれている。


 それを知って、不意に視界がにじんだ。

 今まで、自分が悩んでいたことが、全部バカバカしくなったのである――。

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