五百六十一話 中山幸太郎の『弱さ』

 きっかけは、昨日しほと散歩をした時だ。

 二人きりになって、しかし彼女は現状に満足していたから、次の関係に進めなくて……こんなに仲が良いのに未だに友達のままであることを、不安に思った。


 それがトリガーだった。

 自分の行動を疑い、自信をなくしたちょうどそのあたりから、俺は『物語思考』を取り戻した。


 この異変は、これから何かが起こる予兆だと思い込んで。

 ラブコメの神様がまた何かしようとしている――だから俺がおかしくなったのだと、思い込んでいたけれど。


 違う。

 物語がおかしくなっているわけじゃない。


 そう認識していたのは『俺』だったのだ。


「……あのクソメイドがたまに言うのよ。『この世界が物語だったら~』とか。『キミというキャラクターは~』とか。まるで、この世界が物語であるかのようなことを語る。あたしにはまったく理解できない話を、ね」


 メアリーさんと一緒にいた時間が長いおかげなのだろう。

 物語思考の存在を、胡桃沢さんは把握しているようだ。


「でも、あんたには理解できるんでしょ? クソメイドが、中山はちゃんと理解してくれるっていつも言ってたわ」


「……うん。俺も、メアリーさんの同類だから。現実を物語のように見てしまうクセがあって」


 俺は彼女と同じく、現実を物語として見ている人間。

 それを卒業して、現実をしっかり歩んでいたつもりの、道化。


 それが今の『中山幸太郎』である。


「まぁ、あたしは別にどっちでもいいわ。この世界が物語だろうと、そこに生きている以上はどうでもいい。あたしがやることは変わらない」


 俺やメアリーさんを否定しているわけじゃない。

 ただ、胡桃沢さんはこの思考を『無意味』であると断じた。


「もしかしたら、あたしたちの人生にはプロットが存在していて、シナリオがすでに書かれていて、結末が決まっているのかもしれない。でも、それが何? この世界に生きている以上、あたしたちがそれを知る方法はない」


 彼女の言葉は正論だった。


「だったら、物語だろうとこれが『現実』じゃないの?」


 詭弁も、言い訳も、言い逃れも、彼女は許してくれない。






「現実は――物語なんかじゃない」






 うん。だから俺は、間違えてばかりなんだ。

 現実と向き合おうとせず、物語ばかりに目を向けているから。


「……なるほど、よく分かったわ。あんたが何も見ていないように見えた理由は『物語』を見ていたからなのね」


 そして、胡桃沢さんは答えにたどり着いた。

 俺に生じた異変の理由を……導き出してしまったのだ。


「……そういうこと、だったんだ」


 彼女と同じタイミングで、俺も分かることができた。


 これは、俺の『弱さ』なのである。


 自信がないから、物語に頼った。物語に甘えた。物語に逃げた。

 物語的に考えてしまえば、分かったふりをすることができるから。


 起きている出来事の理由も、把握したつもりになれる。

 相手のことをキャラクターという記号に当てはめることで、理解したつもりになれる。


 自分の認識を疑う俺にとって、物語は逃げの思考だったのである。

 でもそれは、決して正しいというわけじゃない。


 ……しほと出会うまでの俺は、物語的に考えることを疑わなかった。


 でも、彼女と出会ったことによって、正解を理解してしまったからこそ、これが間違いだと心の奥底で理解していた。


 おかげで、違和感がずっと拭えなかったのである。

 何かがおかしいのに、何かが分からない。


 でも、そんな状態もようやく終わった。

 やっと、自分の弱さと向き合えたのである――。

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