五百六十話 おかしいのは、物語ではなく

「……ああ、なるほど。そういうことね」


 時間にすると、十分にも満たないと思う。

 たったそれだけの時間で、胡桃沢さんは何かに気付いた様子だ。


「あんたが何も『見ていない』理由、なんとなく分かったわ」


 俺がどれだけ考えても分からなかった『異変』を。

 見えているはずなのに、見えていない……いや、見ていないふりをしている何かを、彼女はちゃんと見つけてくれたようだ。


「向き合っていないのよ」


 一言。

 ハッキリと言い切ったその言葉を、俺は頭の中で繰り返した。


 向き合っていない――か。


「逃げている、とも言い換えることができるわね。相手を理解する努力を放棄しているように見えるわ」


「……そうなのかな」


 言われてみても、即座に納得できるような理由ではなかった。

 いや、もしかしたらそうなのかもしれないけど……この思考すらも、胡桃沢さんがそう言ったからそうなのだと思い込んでいるだけかもしれない。


 今の俺は、自分自身がまったく信じられない。

 だから、どれが自分の意見なのか分からなかったのである。


「そんなつもりはなかったのでしょう? どうせ、自覚はなかった。無意識だったから、そう言われたらそうなのかもしれない……って考えてる?」


「え?」


 俺の思考は、彼女に見透かされている。


「だけど、自分を疑っているから、この思考すらも自分の意見ではないかもしれない。だから頷いていいのかどうかも分からない――どうせ、そんなことを考えているのよね?」


「すごい……その通りだよ」


 ……どうやら本当に、俺の状態を理解しているようだ。


 ここまで、俺のことを理解してくれているのなら。

 彼女の考察は、限りなく真実に近いのかもしれない。


「俺は、向きっていないように見えるの?」


「ええ。なんというか……あたしを見てるようで、違う誰かを見ているみたいなのよ。霜月のことも、もしかしてそうなの? あんたは……ちゃんと、あの子と向き合っているの?」


 違う、誰か。

 胡桃沢さんじゃない、誰か。

 しほじゃない、誰か。


 目の前じゃない、誰か?

 うーん。まだ、分かっていないような気がする。

 俺は何も理解できていない。


「……はぁ。こういう言葉回しは、あのクソメイドみたいであまり気に入らないのだけれど。たぶん、こう伝えた方があんたは理解しやすいと思うから、あえて言うわ」


 思考が、グルグルと回っている。


 そんな俺を見てなのか、彼女は少し不本意そうに顔をしかめた。まだ伝わっていないことに苛立って……いるわけないか。胡桃沢さんは俺に対して優しいから。


 たぶん、クソメイドこと『メアリーさん』を思い出したから表情を歪めたのだろう。でも、俺のために我慢して、彼女はメアリーさんっぽいセリフを使うことにしたようだ。


「中山の中で、あたしや霜月は……どんな『キャラクター』だと思っているの?」


 …………キャラクター?


 ――他人に言われて、ようやくその歪さに気付かされる。


 そうだ。そういうこと、だったんだ。


 俺は、胡桃沢さんを見ているようで、見ていなかった。

 俺は、しほと向き合っているようで、向き合っていなかった。






 俺は……頭の中で思い描く『キャラクター』と、ずっと会話をしていたのだ。






 つまり、おかしいのは『物語』なんかじゃない。

 おかしいのは、最初からずっと……『俺』だったんだ――

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