五百五十九話 だと、思う
そういえば、俺の心の中でしほのことを『しぃちゃん』と呼ぶことはなかった。
呼びなれていないだけだと思って軽く考えていたけれど……もしかしたらこれは、重要なことなのかもしれない。
だから、自己認識が苦手な俺にとって、胡桃沢さんの言葉はとても貴重な意見だった。
「霜月のこと、見えてないの?」
二度目の問いかけだ。
俺が答えないのを見て、彼女は更に目を細くした。
怪訝そうな表情はずっと変わらない。
でも、俺のことを心配しているようにも見えた。
「見てないつもりはないんだ……俺にはまったくその自覚がなくて」
無意識に、正直な気持ちを打ち明けていた。
俺のことを思ってくれているから、自然と本音がこぼれたのである。
「ごめん。胡桃沢さんの指摘は、たぶん間違っていないと思う。君が変だというのなら、そうなってるはずなのに……俺にはその理由が分からないんだ」
別に、ウソをついているわけじゃない。
俺が自分のことをちゃんと理解できていたら、この場で説明していただろう。
しかしそれができないのは、俺が何も分かっていないせいだ。
「何かがおかしいことは分かる。その自覚はある……でも、心当たりがないから気のせいだと思うしかない。俺が、考えすぎているせいだ――って」
「……なるほど、ね」
俺の言葉を聞いて、胡桃沢さんは息をついた。
そして、ずっと向けられていた鋭い視線が、微かに緩んだ
「良かった。あたしのことを信用してないだけで、本音を隠しているのかと思ってた。単純に、中山も戸惑っている最中ってことね」
「うん。その通り……だと、思う」
敵対の意思がないことは分かってくれたようだ。
おかげで、先ほどより胡桃沢さんの声音が柔らかくなった。
「じゃあ、ゆっくり考えてみましょうか。悩んでいる時って、自分で思い詰めても大抵の場合は解決しないのよ。誰かと話している方が、気付けることは多いんじゃない? それとも、中山は一人でまだ考えたい?」
「いや……たしかにその通り、だと思う」
「気を遣わなくてもいいわよ。一人になりたいなら、時間をあげるけど」
「大丈夫。俺も……話していた方がいいと、思う」
今まで、散々一人で考えても意味なんてなかった。
でも、胡桃沢さんと話していたら何かヒントが見つかるかもしれない。
そう期待して、俺は彼女を引き留めた。
「じゃあ、一つ聞かせてもらうけど……いちいち『だと思う』ってつける必要ないんじゃない? 自分の意見なんだから、ちゃんと断言してもいいでしょう?」
「そうなんだけど、なんでだろう……?」
「今のあんたは、すごく自信がないように見えるわね」
自信は、ない。
そこは断言できるので、首を大きく縦に振った。
「自分を疑っているから、自分の状態も分からないってことかしら?」
「なるほど。自分の意見を否定してるってことか」
結局のところ、自己否定が根本的な原因なのだ。
俺の異変も、それが起点となっている。
「今、様子がおかしい理由が分からないって言ってたけど……あたしはそう思わない。あんたはちゃんと気付いてるはずだけど、分からないと思い込んでいるだけじゃないの?」
「……その可能性はある。いや、そうだと――」
「『思う』は不要よ。あんたの意見を、しっかり言いなさい」
声音は優しい。
でも、口調は少し厳しかった――
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