五百四十八話 変化に戸惑う彼と、不変に動じない彼女


 さて、梓の機嫌をとることはできたけれど。

 一方、彼女のリアクションは、あまりよく分かっていなかった。


(しほ……その表情はどういうリアクションなんだっ?)


 梓と話をしながらも、時折彼女の様子はうかがっていた。

 もちろん、すぐにでもしほの状態を確認したいと思っている。ナンパと、それから俺の対応などについて、どんな感情を抱いているのか気になっていた。


 しかし、しほの感情が読み取れなかったのでそれは後回しにしていたのだ。


「……ん-」


 しほはさっきからずっと、海の方をぼんやりと見つめている。

 無表情ではない。でも、笑顔でもない。明るい表情とも言えるし、少し陰があると言えなくもない。


 何も考えていないようで、何かを考えているようにも見えて……その曖昧な表情に、どうしても不安が拭えなかった。


 俺の対応、何か間違えていただろうか。

 何か、彼女を不快にさせるような言動が、どこかにあった可能性が否めない。


 ……いや、分かっている。

 あるいはこの不安も、俺が考えすぎているだけかもしれないということも、気付いてはいる。


 しかしそれでも、恐怖は振り払えない。

 梓はなんだかんだ家族なので、しほよりも気楽に接することができた。


 だけどしほは、俺の大好きな人なので……やっぱり、嫌われることが怖くて仕方ないのだろう。


 まぁ、こうやって悩んでいたところで答えが出ないのは、今までの経験で身に染みてよく分かっている。そろそろ彼女と向き合うタイミングだろう。


「えっと……しほ? いや、しぃちゃん?」


 あだ名で呼べばいいのか、本名で呼べばいいのか。

 今の空気感は、どちらが正しいのか判断がつかない。


 場の雰囲気を読み取るのは得意なはずだったのになぁ。

 他人の顔色ばかりうかがって生きてきたから、他者の表情を察するのは得意なことだった。


 でも、今の俺はいつもと何かが違う。

 だから自分の行動や判断に迷ってしまう。


 そんな俺に対してしほは、






「…………」





 無言、だった。


 俺に話しかけられて、彼女は確かにこちらを見た。

 でも、何も言わずに目をそらして、俯いてしまったのだ。


(もしかして……?)


 悪い方向に、予感が当たったかもしれない。

 何かしらの言動に、彼女は不快感を覚えたのかもしれない。


 少なくとも、俺の言葉を無視するくらいには、俺のことを嫌いになったのかもしれない。


 そう思って、俺もまた言葉を失った……その瞬間だった。


「――恋人だなんて、もうっ!」


 俯いたのは、一瞬のこと。

 血の気が引いた俺とは対照的に、数瞬後に顔を上げた彼女は……血色の良い、真っ赤なほっぺたを緩めてこう言った。


「そんなこといきなり言われたら照れちゃうわっ」


 ……び、びっくりしたぁ。

 一瞬、嫌われたと思ってしまったけれど、そうではなかった。


 しほは相変わらず、しほである。

 いつも通り温かくて、柔らかい雰囲気の、愛らしい少女でしかない。


 それなのに、こんなにも怯えるのがそもそも間違っていたのだ。


 不変にしほは動じない。常に彼女は、彼女らしく在り続ける。

 対して俺は、変化に戸惑ってばかりで情けなかった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る