五百四十九話 クリエイターの矜持
【メアリー視点】
『実のところ、物語作品は完結する方が稀である』
物語好きの読者には残酷な現実だと思う。
でも、残念ながらこれは真実だ。目をそらさずにしっかりと向き合わなければならない。
現実というのは本当にくだらないもので。
せっかく、楽しい『物語作品』を見つけたとしても、そのほとんどは満足な完結を迎えることなく息絶えていく。
たとえば、商業作品。
読者はお金を支払って購入しているというのに、売上などという指標で続刊が出せるかどうかが決定される。もしも数字が悪ければ、物語は終わることなく終了となるのだ。
もし、続刊が出せる程度には売れたとしよう。
クリエイターが完結させる意思があったとしたら、絶対に完結できる――そう断言できないのがなかなか酷いと言わざるを得ない。
出版社や制作会社の不況があれば物語は続かない。
あるいは、関係性に不和が生じれば続刊は出せない。クリエイターという生き物は社会から外れている人間であるがゆえに、社会性に乏しく、人間関係にトラブルが生じることは決して珍しくないから安心はできない。
もしくは、クリエイターに不幸があったとしたら、物理的に続刊は出せなくなる。創作という行為は心身を削る作業である。多くはないかもしれないが、クリエイターが道半ばで途絶える知らせは誰もが経験しているはずだ。
その他にも、数多くの問題があって。
いくつもの壁を乗り越えて、ようやく物語は完結するわけだ。
それから、非商業作品についても言及しておこうか。
個人が趣味で創作している作品の場合、商業作品よりも完結する可能性は低くなる。
金銭という責任が生じないが故に、作品が終わるかどうかはクリエイターの矜持次第だ。
商業化を見据えるクリエイターの場合、人気が出ない作品は強制的に打ち切られることも多い。人気が出て商業化したとしても、それがゴールなので完結させる必要もなく、終わることはやはり少ない。
つまり何が言いたいのかと言うと、物語というのは基本的に終わらない。
エタることは当たり前の事で、終わりがあることが素晴らしいのだ。
――そうなっている現実を、ワタシは心から疎ましいと思っていた。
だって、作品を楽しんでいる読者側からすると、作者の事情なんてどうでもいい。
せっかく読んでやっているのに。楽しんでやっているのに。色々と言い訳してないで、さっさと続きをかけよと心から思う。
読者様を楽しませるのが、作者の仕事だろう? 責任だろう? それが嬉しいんだろう?
だったら続きを書けと、ワタシはそう思っている。
終わりがない物語は苦痛だ。
人生のふとした拍子に、作品を思い出してはもやもやとした感情を抱くことなるから。
故に、ワタシはずっとこう思っている。
『ワタシが作品を手掛けるとするなら、絶対にエタらせたりしない』
――と。
コウタロウとシホの物語は、中途半端なまま終わらせたりしない。
この作品は、綺麗な幕引きを迎えたい。
どんなに時間がかかっても、二人のラブコメは終わらせる。
そのためにまだまだワタシは、諦めるわけにはいかない。
たとえ、チートという権能が失われたとしても。
たとえ、ギャグキャラのお色気要因になったとしても。
あらゆる手段を使って、ワタシは物語に介入する。
それこそがワタシの……クリエイターの、仕事なのだから――。
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