五百四十七話 舐められる、という心地良さ
前々から、なんとなく感じ取っていたことがある。
それは――梓が明らかに俺を舐めている、ということだ。
「おにーちゃんが梓のことを大好きだから、仕方なくお世話されてるだけってこと! まぁ、梓は別におにーちゃんのことなんて好きじゃないけどね?」
おにーちゃんはどうせ怒らない。
おにーちゃんはどうせ許してくれる。
おにーちゃんはどうせ甘やかしてくれる。
おにーちゃんはどうせ――梓を嫌いにならない。
もし、彼女がそう思っているのなら。
もちろん『正解』であると、そう言わざるを得ないだろう。
結局のところ、梓の言う通りなのだ。
俺は彼女のことを可愛く思っている。我が子を目に入れてもいたくないということわざがあるけれど、それに近しい感覚を持っている。
だって、こんなにナマイキな態度を取られても俺はまったく怒っていない。イライラもしていないし、むしろ少しだけ嬉しいとさえ思っているくらいだ。
(……前は、こんなに素を出してくれなかったからなぁ)
中学生……いや、去年くらいまではそうだったと思う。
梓は、母が再婚した相手の娘である。実の兄を幼いころに亡くしていて、心に傷を負った状態で俺と出会って……それから亡くなった兄の面影を探し続けて生きていた。
俺や竜崎を『おにーちゃん』の代わりにすることでしか生きられなかった期間がだいぶ長かったと思う。でも、竜崎との出会いをきっかけに彼女は成長した。
いなくなったおにーちゃんを探すのをやめて、現実をしっかり歩むようになったのである。そのくらいの時期から、梓は俺のことを『家族』として見るようになってくれた気がする。
おにーちゃんに好かれたい。
おにーちゃんが愛してくれないとイヤだ。
おにーちゃんに見放されたら一人ぼっちになる。
そういう強迫観念から解き放たれて、梓は自由になった。
俺のことを舐めているということは、ある意味では『信頼』している証でもあるだろう。
どんな態度を取っても、俺には嫌われない。
おにーちゃんは梓のことが大好きと、そう信じてくれている。そしてその愛情はこれから永遠に揺らがないことも、彼女はちゃんと分かっている。
そのせいで、俺には何を言っても大丈夫と高をくくってナマイキになることはあるけれど……それを咎めるには、俺が梓のことを溺愛しすぎていた。
彼女がこういう態度を取ってくれているうちは安心だ。
きっと、梓が幸せを感じてくれているはずだから。
だからこそ、俺は彼女に舐められているというのに心地良さを覚えてしまうのだろう。
つい頬が緩んでしまって、叱ることなんてできなかった。
「分かったよ。俺が悪かったから、機嫌を直してくれ」
もちろん、言い争いはいつも通り俺が折れることにして。
後は、梓のご機嫌を取ってこの件は終息させることにするか。
「やだもーん。ふーんだ」
「あ、そういえば。来月、梓が好きなゲームの新作が出るんじゃなかったか? お小遣い、多めに出してもいいんだけど……許してくれないのかぁ」
「……ひ、ひきょーだよおにーちゃん! そんなこと言われたら、許してあげないといけなくなるじゃんっ」
欲望に素直な梓は、だいたいこの手段で機嫌を取れる。
お小遣いとか、お菓子とか、甘い餌で釣ると効果的だ。
本当に……かわいい妹である。
彼女がこんなに無邪気に笑える現実が来てくれて、本当に良かった――。
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