五百三十一話 料理イベント

「困ったわね。あのクソメイドがいない」


 朝ごはんを用意するはずのメアリーさんが、どこにもいない。

 玄関を確認すると、彼女のサンダルがなくなっていたので、おそらく外に出たのだろう。


「朝ごはんも用意できないメイドなんて存在価値があるのかしら」


 胡桃沢さんが呆れたようにため息をついている。

 先ほど、俺に見せていたやわらかい表情はもう消えていた。胡桃沢さんって、メアリーさんに対してかなり素っ気ない気がする。


 まぁ、メアリーさんも胡桃沢さんには好き勝手に文句を言っているので、お互い様なのかな?

 梓としほの関係性に近いのかもしれない。


 良く言えば遠慮がない。

 悪く言えば、いがみあっている……というわけだ。


「どうする? テイクアウトでも頼もうかしら」


「こんな秘境に呼んだらいくらかかるんだろう?」


 彼女はお嬢様なので、お金に余裕はあるのだろうけど……庶民の俺にとってはかなり気後れする値段になりそうだ。


「『あれ』さえいれば、買いに行かせることもできたんだけど。まぁ、あれさえいれば作らせることができるから、その必要もないわね」


 もはや職業名すら呼ばれなくなったメアリーさん。

 あれ呼ばわりはちょっとかわいそうだけど、本人が悪いのでまぁいいのか。


「一応、あれには給料も払ってるのよ? しかも決して安くない額よ……まったく、これは明確な職務放棄だから、減給ね」


 このままだと、胡桃沢さんの恨み言が終わらなそうだ。

 さっきまでは機嫌が良さそうだったのに、メアリーさんのおかげでそれも危うい。


 せっかくの旅行なのだ。あまりイライラしないほうがいいと思うので、現状の打開策を提案した。


「俺が作るよ。材料はあるし……メアリーさんに比べたら大したことないと思うけど、食べられるものにはできるから」


 まぁ、彼女がいないと分かった時点ですでにそうしようと決めていた。


「え? いいの?」


「うん。普段から作ってるし、苦じゃないよ」


「中山って料理できるのね……あ、そういえばご両親が家にいないって、聞いたことあるかも」


 胡桃沢さんは母と関係があるらしいので、俺の家庭事情も知っていたようだ。

 説明が難しい家庭なので、何も言わなくても察してくれるのはすごく助かった。


「そっか。梓が家事をやるわけがないし……あんたがやってるんだ」


「うん。あまり上手じゃないけど」


「上手とか下手とか関係ないでしょ。立派じゃない」


 別に、誰かに褒められたくてやってたわけじゃない。

 俺しかやる人間がいないから、やってただけではある。

 そのことで梓に感謝してほしいとか、そういうことは一度も思ったことがない。


 でも、それを褒められると、やっぱり嬉しかった。


「ありがとう……まぁ、そういうことだから、俺に任せて」


 照れ隠しに軽く笑うと、彼女もつられるように頬を緩めた。


「ふふっ。じゃあ、お願い……いえ、あたしも手伝うわ。全部任せるのも申し訳ないから」


 それでも任せきりにしないのは、彼女の責任感が許さないのだろう。

 胡桃沢さんとしては、俺としほと梓は客人として思ってくれているのかもしれない。

 だから、朝ご飯を作らせることに気後れしているように見えた。


 それなら、お手伝いをお願いしようかな。

 これで胡桃沢さんの気持ちが楽になるのなら、それが一番である――

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