五百三十二話 ヒロインらしい『かわいさ』
冷蔵庫の中には食材がたくさん用意されていた。
「……なんだかんだ、あのメイドも最低限の仕事はしていたようね」
「うん。夜のバーベキューの分もちゃんとありそう」
メアリーさんは性格こそ奔放だけど、仕事ぶりは結構丁寧である。
時折サボったり、主人である胡桃沢さんに反発したりすることを除けば、完璧なメイドさんなのだろう。
「はぁ……あれで無能だったら容赦なく解雇できるけど。変に有能で、彼女以上に便利なメイドがなかなかいないから、代えがきかないのよ」
隣の胡桃沢さんがため息交じりにそんなことを呟く。
メアリーさんのことで悩むことも多いのだろう。苦労しているようだ。
「とはいえ、今回みたいに客人まで巻き込んで迷惑をかけるのは許容できないわね。あたしに迷惑をかける分にはいいけど、あんたたちまで被害を受けるのはよろしくない」
「迷惑とは思ってないよ」
「その言葉はありがたいけど、やっぱり招いた客人に朝食を作らせるのはあんまり気持ちよくないのよ」
さっきから胡桃沢さんはこのことを気にしている。
ここでは俺たちをもてなそうとしていたから……それが満足にできてないことを不甲斐なく思っているようだ。
資産家の令嬢という立場だからこそ、こういう来客対応は徹底しているのかもしれない。
まぁ、俺としては客のつもりはないので、そこまで気にされるのも逆に申し訳ないけれど。
「とりあえず適当に作っちゃおうか」
謝られたり、気を遣われることは、あまり好きじゃない。
胡桃沢さんの気持ちを切り替えてあげるためにも、早速作業に入ることにした。
「何を作るの?」
「パンもあるし、簡単にサンドイッチにしようかなって」
冷蔵庫から必要な具材を取り出して、テーブルに並べてみる。
ソーセージ、ハム、卵、野菜諸々、パン……こんなものかな。
「サンドイッチって簡単なのね」
「具材を加熱したり切り分けたりするだけだから」
「そう言われると簡単そうだけれど……」
別に手の込んだことはやらない。
いや、俺の料理の腕前は一般的な家庭レベル……のちょっと下くらいなので、厳密に言うと手の込んだことができないと説明した方が正しいだろう。
「誰でもできるよ」
「じゃ、じゃあ、あたしもできる?」
「うん。もちろん」
……そういえば、胡桃沢さんも手伝うと言ってくれていた。
俺だけに任せるのは気が引けるらしい。正直、一人でも問題はないけれど、胡桃沢さんの気持ちが軽くなるのであれば、手伝ってもらおうかな。
「野菜を洗ってもらっていい? その間にソーセージ焼いちゃうから」
「ええ。分かった」
野菜を、洗う。
それでふと思い出したのは、しほのことだった。
そういえば彼女も、料理はできない。
だから、去年の調理実習の時に野菜を洗うために洗剤を使用していたなぁ……と、懐かしくなった。
そのせいだろう。つい、こんなことを口にしていた。
「野菜は洗剤で洗わなくてもいいからね」
「……っ!」
冗談のつもりだった。
しかし今、胡桃沢さんがスポンジを手に取ったのを見て、びっくりした。
「え」
「ち、違うっ……別に洗剤で洗おうとなんてしてなかったから!」
そう言いながらそっぽを向いたけれど、耳が真っ赤だったのでバレバレだった。
まさか、しほと同じミスをするなんて……そんな人間がいることに驚きである。
それと同時に、こう思ってしまった自分がいた。
『かわいい』
――と。
しほ以外の人間をそう感じてしまうことは滅多にない。
だから、胡桃沢さんにその感情を抱いたことに、また俺は驚くのだった――。
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