五百三十話 『緊張感を与えない』という性質

「霜月と梓はまだ寝てるの?」


「うん。ぐっすり寝てたよ」


 朝、リビングで胡桃沢さんと向き合いながら言葉を交わす。

 彼女とはあまり親交が深い関係ではないけれど、二人きりでも自然体でいられるから不思議なものだった。


 胡桃沢さんも俺も、決して人懐っこいタイプではない。

 むしろお互い、違う意味で関わりにくさのある人間だと思う。


 それでもこうしてぎこちなさを感じることなく話せるのは、たぶん相性が悪くないからだろう。


 恐らく俺と似たようなことを、胡桃沢さんも感じているようだ。


「あんたって、本当に緊張感を与えない人間なのね」


 唐突に紡がれた一言は、誉め言葉……かと思っていたけど、どうやら違ったらしい。


「なるほど……霜月がだらしなくなる理由も分かるかも。中山の感覚に慣れちゃったら、常識が麻痺しても仕方ないのかもね」


 胡桃沢さんは、しほの状態があまり良くないと判断している。

 その原因が、俺の性質にあるのだと分析していた。


「何を言っても許してくれそうな空気感にあてられて、このあたしでさえ和やかでいられる。自他ともに認める不愛想な人間の心さえ緩ませるなんて、なかなか面白いわ」


 腕を組んで、俺の心を見透かすように目を細める胡桃沢さん。

 その視線に俺は小さく肩をすくめることしかできなかった。


「いやいや……胡桃沢さんを不愛想な人間だと思ったことないよ」


「うん、あんたならそう言うと思ってた。あたしのことを肯定するだろうな、って」


 彼女はニヤリと相好を崩して、俺の真似をするように肩をすくめた。

 やっぱりなんだか、機嫌が良さそうだった。


「ま、だからって『人に緊張感を与えろ』と言いたいわけじゃない。それがあんたのいいところでもあるわけだから」


 昨夜、彼女は俺にこんなことを言った。


「――変わらないで。あんたはそのままでいて」


 そして今朝も同じことを言われてしまったようだ。

 この言葉は、胡桃沢さんにとって本心なのだろう。


「今のあんたじゃないと、中山は『中山』ではなくなるだろうし」


 そして、彼女の思いは……俺の想定よりも、少しばかり強いようだ。


「中山じゃないと、イヤなのよ。霜月も……それから、あたしも」


 俺のことを認めてくれている。それは素直にありがたい。

 でも、思った以上に強く思ってくれていて、そのせいで俺は返答の言葉が分からなくなった。


 いつも通り、肯定していいのだろうか。

 でも、なんだか……彼女の言葉には底知れない熱が宿っているような気がして、安易に触れられなかったのである。


 軽々しい言葉でいいとは思えなかった。

 とはいえ、何も答えないといいうのも、胡桃沢さんの思いを無碍に扱っていることになりそうで……おかげで結局、俺は曖昧な言葉しか返せなかった。


「そう思ってくれてるのは、嬉しいよ」


 はたしてこの返答は正解だったのか。


「そう……ふふっ」


 それは分からない。分からないけど……胡桃沢さんが微笑んだので、不正解ではなかったような気がする。


 …………。

 いや、微笑んだのは、不正解だから?


「さて、これくらいで雑談は終わりにしておいて……えっと、そういえば朝ごはんはどうすればいいのかしら? あのクソメイドに用意してもらう手筈にはなってたのだけれど」


 もう話題は終わってしまった。胡桃沢さんも、これ以上は何も言わないだろう。


 もっと芯を食った返答があったように思えてならない。

 だけどその言葉が思いつかなくて、もどかしかった――

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