五百二十九話 犬派の胡桃沢さんと猫派の中山くん

「猫よりも犬が好きなのよ」


 胡桃沢さんは小さく笑いながら、そんなことを言った。

 リビングのソファに座ることもせずに、お互いになんとなく立ち尽くしたまま、雑談が続く。


「もっと言うと、大きな犬が好き。大人しくて、もふもふしてて、抱き心地が良くて……落ち着いている子が大好き」


「そうなんだ。犬、飼ってるの?」


「ええ。二匹いるわ」


 初耳だった。

 結構前に、彼女の家に行ったことはあるけど、犬は見てない。


 まぁ、わざわざ客人に見せることもないのか。

 胡桃沢さんはお嬢様でもあるので、家も広い。俺の目が届かないところにいたのだろう。


「もちろん、小型犬と猫が嫌いなわけじゃないわよ? どちらも可愛いから」


 動物が好きなのかな?

 胡桃沢さんの表情は、いつもより柔らかい。


 普段は少しツンツンしていて、近寄りがたい雰囲気もあるけれど、今の彼女は親しみやすい空気が醸し出ていた。


 だから無意識に、俺のほうの気持ちも緩んでいたのだろう。


「あんたは猫派でしょ? 霜月みたいな気まぐれにゃんこ、大好きだろうし」


「――っ」


 不意を突かれて、ドキッとした。

 そしてまさしく、図星だったので反論の言葉も出なかった。


 胡桃沢さんの言う通り、俺は完全に猫が好きだ。

 気まぐれで、飼い主のことを下僕かのように振る舞うくせに、構ってもらえないと拗ねる……そういう性質にすごく魅力を感じてしまう。


「分かりやすいわね。別にそこまで動揺することじゃないと思うけど……好みなんて人それぞれだし」


「そ、そうかな? なんか、心が読まれているみたいで」


「ふふっ……あんたのことなんて見ていれば分かるわよ。素直な性格だから」


 胡桃沢さんが、今度は声を出して笑った。

 こんなに朗らかな彼女を見たのは、なんだか初めてな気がする。


 今日の彼女は、とても機嫌が良さそうだ。


「ペットは飼ってないの?」


「うん。経験がない……母があまり好きじゃないらしくて」


「そう。ま、あんたの家だと梓がペットみたいなものね……あんなにお世話しがいのある女の子はなかなかいないだろうし」


「あはは」


 ペット扱いされていると知ったら、梓は怒るだろうけど。

 たしかに彼女にはいつも振り回されているので、あながち間違ってもいないかもしれない。


「そういえば、梓もどちらかと言えば猫っぽいかも」


「たしかに、気まぐれなところがあるからなぁ」


「……霜月といい、梓といい、あんたの周りには猫がいっぱいね」


「うん。あと、胡桃沢さんも、どちらかと言えば猫タイプだと思うけど」


 和やかな雑談の狭間。

 特に何も考えてない発言である。


 思ったことをそのまま口に出したのだけれど……その言葉に、胡桃沢さんが声を弾ませた。


「ふーん? じゃあ、あたしもあんたの好みってこと?」


 まるで、からかうように。

 微笑みながらそう呟いた胡桃沢さんに、俺は曖昧に返答することしかできなかった。


「あ、えっと。き、嫌いなタイプじゃないけど」


「ふふっ。分かってる……でも、今度からそういう発言はやめなさい? 思わせぶりなことを言われたら、女の子はドキッとするものだから」


 その言葉に、俺は思わず黙ってしまった。

 なんて返答していいか、分からなかったのだ。


「ましてや、振った相手にそんなこと言ったらダメよ。気持ちが再燃しちゃったらどうするの?」


 うん。それを今、反省していたのである。

 胡桃沢さんが冗談めかしてくれているから、場の空気が崩れないけれど……今のは本当に、反省しなければならないだろう。


 無責任に思わせぶりな態度をとるなんて、最低だと思う。

 そんな『主人公』みたいなことは、俺が何よりも嫌いな行為なのだから――。

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