五百二十二話 一夜目 その12

『優しくすることは、決して相手のためになることじゃないわよ』


 彼女はそう言った。

 だから、しほとの関係があまりうまくいかない原因は、俺にあるものだとばかり思っていた。


 しかし、詳しく聞いてみると……どうやら違うようだ。


「優しすぎるところが中山の欠点よ。一緒にいると、すべてをあんたに委ねてしまいたくなる……油断すると人を堕落させてしまうところがあるわ」


 昔からの癖だった。

 他人のために尽くすことが、好き……というわけじゃない。

 そうしているほうが落ち着くので、自然と雑用や家事などは積極的に引き受けることになっていた。


「でも、それはいいところでもあるのよ。梓を見ていたら分かる……とても幸せそうだから。こういう『家族』の形は、とても素敵だと思える」


 でもそれは、恋人を相手にした場合は成り立たない。


「霜月もそうなのよ。あんたに堕落して、甘えて、あぐらをかいているだけ……そんな中山だから、霜月みたいな女の子でも好きになれた。普通なのに、かわいすぎるせいで他人に怯えるようになった繊細な少女は、中山みたいに穏やかで柔らかくないと好きになれるはずがないから」


 俺の特性は、しほが求めているものでもあって。

 ただ、それが原因で生じる問題も、あったのだろう。


「昼間、ずっと考えていたのよ……どうして霜月があんたを好きになったのか。そして、こんなに仲が良いのに、どうして二人が付き合えていないのか。その原因は、中山が優しすぎるからであり、霜月が……『普通』すぎるからよ」


 ただ、見た目がかわいいだけのありふれた少女。

 誰もが認める『特別』を有していながら、その内面はありふれた少女のうちの一人でしかない。


 故に、彼女は心が強くない。


「あんたの優しさの『意味』を、霜月は分かってないのよ。『なんとなく優しくしてくれて嬉しい!』程度にしか思ってないのでしょうね……だから、あんたに何も返さない。もらってばかりで満足してる」


 ……でも、俺だってしほからもらっているものはたくさんある。

 と、俺は思っているけれど。


 胡桃沢さんの言いたいことはわかる。

 つまりは、等価じゃないのだ。


 俺の気持ちと、しほの気持ちは、同等じゃない。

 だから、気持ちにすれ違いが生じているのだと断じた。


 まぁ、そうは言ってもしほにすべての原因があるわけじゃない。

 俺にだって悪いところはあるのだ。むしろ、甘やかしているだけの俺が悪いので、しほは悪くない。


 ……と、いう思考の独白が、彼女にはどうやら読めたらしい。


「ねぇ、あんた……あたしにこう言われてもまだ『しほは悪くない』って思ってない?」


「――っ」


 鋭い言葉に、心臓が跳ねた。

 心を見透かされてしまった気がして、なんだか情けなかった。


 そっか。

 胡桃沢さんは、本気で俺たちと向かい合っている。


 だから、軽い嘘は簡単に見破られてしまうのだろう。


「霜月が悪くないから、中山が何かを変えればいいと……そう思ってない? ねぇ、そういうのはもうやめなさい。相手に合わせて自分を捻じ曲げてばかりいたら、いつか本当の自分を見失うわよ」


「そ、それは……っ」


「それから……もし、今の中山が変わってしまったら、それはもう霜月が好きになれた『中山』じゃなくなると思う」


 ……そうか。

 もしかしたら、これを胡桃沢さんは一番に危惧しているのかもしれない。


 俺が、俺でなくなること――じゃない。

 俺が、しほの好きな俺でなくなることを、彼女は恐れている。


「あんたに振られて、やっと気持ちの整理もついたのに……うまくいかなくて、弱った姿を見せないで。また、心が揺らいでしまうから」


 ……その思いに、どんな言葉を返せば良かったのだろう?

 胡桃沢さんの思いは重くて、今の俺には何も言えなかった――

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