五百十八話 一夜目 その8

 バルコニーの椅子に腰かける胡桃沢さんは、難しそうな表情で俺を見つめていた。

 足を組んでいても、決して偉そうには見えない。むしろ彼女によく似合っている姿勢だと思わせるから、不思議だ。


(やっぱり……違う)


 前々から、思っていたことがある。

 胡桃沢くるりという少女を見ていると、どうしてもこう思ってしまうのだ。


(彼女にも『特別』な何かがある)


 しほや竜崎に近い特性を、胡桃沢さんからも感じるのだ。

 俺にはないし、梓やキラリ、結月にもない。


 それから、あのメアリーさんにも感じない『何か』を、彼女は持っているような気がした。


「おかしい」


「おかしいって、何が?」


「あんたと霜月の関係性が」


「そんなことないと思うけど」


「そんなことないのなら、こんなこと言わない」


「……そうなんだ」


 だから、耳を傾けてしまう。

 彼女の言葉を、聞こうとしてしまう。


 俺としほの関係性は、結構特殊である。

 だから、他人にとやかく言われても、お互いに信じあっているから大丈夫――と、胡桃沢さん以外の人間であれば、そう言い返すことができるはずだ。


 でも、彼女にはそれができない。

 明言化できる理由があるわけじゃないけれど……とにかく、胡桃沢さんの言葉には力があって、無意識に聞き入ってしまうのだ。


「あんたたちは、お互いのことが好きなんでしょ?」


「うん。それはもちろん」


「じゃあ、恋人らしいことをしてる?」


「恋人らしいこと……たとえば? どんなことをすれば、恋人らしいことになるのかな」


 聞き返す。だって、胡桃沢さんの質問の意図がしっかりと理解できなかったから。

 もっと定義をしっかりしてくれないと、俺にはその質問に答えられない。


 だって、俺としほは『恋人』にはなれていないのだから。

 そのことが……胡桃沢さんにとっては、衝撃だったようだ。


「――それが分からないのは、ダメよ」


「いや、でも……キスなら、したことがある。これは恋人らしいこと、でいいの?」


「どうしてあんたがそれを理解してないのよ」


 静かな口調ではある。

 でも、背筋が自然と伸びるような圧があった。


 まるで、叱られているかのような気分になるから不思議だ。


「中山……優しくすることは、決して相手のためになることじゃないわよ」


 もちろん、彼女は説教をしているわけじゃない。

 ただ、忠告するかのように、厳しい口調になっていた。


「間違えていることは、ちゃんと指摘しなさいよ」


「……やっているつもりでは、あったよ」


「そうは見えない。あんたは、霜月が間違えていることを『間違い』だと認識できてないでしょ? 自分が間違っていると思い込んで、都合のいいように解釈して、自分を欺いているんだから」


「そんなこと――」


 そんなことない。

 俺はもう、そんな人間ではなくなっている。

 ちゃんと『中山幸太郎』として、自分の思いを表現できるようになった。


 そう、言いたかったのに……言葉を、遮られた。


「じゃあ、一回でもいいから……霜月に怒ったことがある?」


 質問が、俺の言葉をかきけした。


「あの子は、物語に出てくるような完璧な『ヒロイン』なんかじゃない。間違えていることだって多い、どこにでもいる……ありふれた女の子でしょう? ただ、他人よりもかわいいだけの、普通の女の子なんだから――間違えたときに、ちゃんと怒ってあげないダメよ」


 分かっている。

 いや、分かっているつもりだった。


 しほが普通の女の子だって、認識している……はずだった。

 だけど俺は、しほに怒ったことがない。


 怒る前に『俺が間違えている』と思って、思考を捻じ曲げていた。

 怒らないことが、俺のいいところだから……そうあるべきだと、思っていた。


 でも、それはもしかしたら、間違っていたのかもしれない――

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