五百十二話 一夜目

 現在、俺たちは胡桃沢家が所持するプライベートビーチに遊びに来ていた。

 もうそろそろ高校二年生の夏休みが終わる。最後の思い出作りには絶好の機会である。


 しほはとても楽しそうだった。ついでに一緒に来た梓と一緒に終始はしゃいでいる。

 ここに連れてきた胡桃沢さんや、メイドになったメアリーさんとの関係性も良好だ。


 だから、今回の小旅行は良い思い出にしなければならない。


 たとえ、俺が『恋人になれていないこと』に不満を抱いていたとしても……それをしほにぶつけてしまったら、彼女は少なからずこの旅行に傷を残す。


 そんなことがあってはならない。

 しほの幸せが、俺にとっては全てなのだから。


 どうせ長い目で見たら、しほとを俺はちゃんと恋人になれるだろうし、その先にだって進んでいけるはずだ。


 それなら焦る必要なんてない。

 だから、慌てずに彼女のペースで進め。


『そうするべきなんだ』


 心の中で、そうやって自分に言い聞かせる。

 そうしないと、無意識に彼女を傷つけてしまいそうで怖かった。


(……本当にこれで当たってるのかな)


 でも、これが正解かどうかはわからない。

 もっと、正しい答えがあるような気がしてならない。


 でも、少なくとも『間違い』ではないはずだ。


 だって、しほがとても幸せそうな寝顔で『寝ている』のだ。


「んにゃ……うへへ~」


 まるで、だらけきった飼い猫のように無防備な姿。

 大の字で大きなベッドを占領している彼女を見ていると、力が抜けた。


 シャツの裾はめくれて、少しだけおなかも見えている。かけ布団はもちろん蹴とばしていて、ベッドの下に落ちていた。


「うぅ……っ」


 そして、しほの腕枕で眠るように丸くなって寝ている梓も、俺の気を緩める要因の一つである。


 普段はあんなにいがみあっているのに、仲良くお昼寝か……なんて微笑ましい光景なんだろう?


(音に敏感だったしほが、こうやって眠れるようになってるんだから……間違いなわけがない)


 かつて、周囲の音が聞こえすぎて困っていた少女は、他人を前にして眠るなんて到底できなかったはずだ。


 それなのにこうやって眠っているということは、つまりとても『安心』しているということなのである。


 何があっても、俺がいるから大丈夫。

 そう思ってくれているのだとしたら、本当に嬉しい。


 彼女の愛情を感じ取れないほど、俺は鈍感じゃない。

 愛してくれていることなんてちゃんと理解している。


 でも、だからこそ……その先に進みたいという、欲を抱いてしまうのかもしれない。


(ちゃんと、蓋をしておこう)


 我を出さないことが『中山幸太郎』のいいところである。

 俺というキャラクターの性質を考慮して、強引になるなんて似合わないし、求められてもいないだろう。


 しっかりと、隠す。

 そのうえで、しほに全力で楽しんでもらう。


 それを繰り返していれば、いずれ彼女の準備も整うはずだから。


(……あと何度、君への愛を抑えないといけないんだろうね)


 穏やかに眠るしほを見て、苦笑する。

 その感情にすら鍵をかけて、俺は彼女と梓にに布団をかけてあげるのだった――






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