if ~もしも霜月さんが『モブ』と出会わなかったら~ その12


 生まれて初めてかもしれない。

 赤の他人の前で、こんなにも無防備に笑えたのは。


「…………」


 その笑顔を前に、青年はポカンと口を開ける。

 まるで幽霊でも見たかのような反応に、しほは少しだけ納得がいかなかった。


「そ、その顔は、どういうリアクションなのかしら」


「いや……君って、感情が分かりやすいね」


「え?」


 そんなわけがない。

 心が凍ったしほは、いつだって感情を隠してきた。


 氷の仮面をかぶることで、感覚を鈍くして自らを守っていたのである。

 でも、彼を前にすると……どうしても、しほの温度が上がってしまう。


 仮面が、溶けてしまう。


「……ごめんね。こんなこと、後付けの言い訳にしか聞こえないだろうけど――」


 青年は意を決したように一息、間を空ける。

 それから、静かに……しかしハッキリと聞こえる声で、こんなことを囁いた。


「君……じゃない。霜月さんが、寂しそうだったんだ」


 彼の囁きは、微かな『痛み』を宿していた。


「……どういうこと?」


 無音の青年が紡ぐ言葉を、しほは懸命に理解しようと努力する。

 いつも、聞きたくなくても聞こえてしまう音に耳を塞いでばかりいた少女が、今は必死に耳を傾けていた。


「霜月さんを見た時に、心がギュッてしめつけられた。すごく、悲しくなって、思わず声をかけたんだ……俺は、誰にだってこういうことができる人間じゃないのに」


 彼がどうやら、しほに声をかけた理由を説明しているらしい。


「助けて――って、聞こえた気がした」


 その一言で――しほは更に、ほっぺたが緩みそうになった。


(聞いてくれてたんだ……!)


 いや、厳密に言うとしほの声が彼の鼓膜に届いたわけではないだろう。

 なぜならしほは、誰かに聞こえるほどの音量で声を発していない。


 しかし、それでも届いたと言うことは――青年が、しほの気持ちをしっかりと『読み取っていた』ということである。


「俺なんかが、おこがましいことは分かってる。でも、やっぱり……無視できなくて」


「ううん――あなたで良かった」


 申し訳なさそうにする青年に、しほは首を振る。


「あなただから、良かった」


 出会って間もないのに、こんなことを言うのはおかしいかもしれない。

 でも、言わずにはいられなかった。


「助けてくれて、ありがとう」


 そう呟いて、もう一度笑いかける。

 しほらしくない、あどけない笑顔。


「……う、うん」


 思わず、青年が赤面するほどに、今のしほは素敵な表情を浮かべていた。

 そんなリアクションが面白くて、しほは更に楽しくなっていた。


「それで、あなたのお名前はなに?」


「俺? 俺は……俺の、名前は――」


 それから、青年は少しためらうように口をつぐむ。

 しかし、それは一瞬のこと。


 すぐに彼は、勇気を振り絞るかのように小さな声で、自分の名前を教えてくれた


「中山幸太郎」


 その言い方は、とても儚くて。

 まるで、自分が誰かよく分かっていない……そう感じてしまうほどに、あやふやな自己紹介。


 しかし、それでも彼は自らを教えてくれた。


「――中山くん」


 たったそれだけで、しほは十分に嬉しかった――


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