if ~もしも霜月さんが『モブ』と出会わなかったら~ その7
彼女の耳は『個性』を聞く。
それぞれの性格に応じた音を聞き分ける。
異常なほどに鋭い聴覚は、彼女に第六感的な超感覚をもたらした。
初対面だろうと、相手の人間が発する音さえ聞けばどんな人間なのか把握することができる――はずだったのに。
「あ、あの……大丈夫?」
心配そうに声をかけてくる青年から、何も聞こえない。
『無』
彼は静かだった。
そのせいで、どんな感情を抱いているのか聞こえなくてしほは困惑した。
「……ナンパかしら?」
彼女は混乱していた。
そのせいで、頭の中の声がうっかり漏れてしまった。
「――――え?」
直後、再びしほは動揺を見せる。
だって、他者の前で『うっかり』するなんて、生まれて初めてのことだったのだ。
「な、ナンパじゃなくてっ……ごめんね、変な意味はないんだよ。なんとなく、様子が変だったから放っておけなかったんだ」
無音が続く。
もちろん、彼は声を出しているので厳密に言うと無音ではない。
だが、しほの鋭い聴覚が何も聞き取ってくれないのだ。
「えっと、気分が悪いわけじゃないんだよね?」
「……ええ、そうだけど」
戸惑いながらも、小さく頷く。
理由は分からない。しかし、聴覚に頼れない今、相手のことが分からなくてどうしてもしほは警戒を解けない。
青年の出方を探っていた。
何か不審な言動があれば、すぐに逃げ出そうとしていた。
それくらい、しほには彼が異様に見えて……否、聞こえていたのだ。
こうも不必要に警戒されたら、普通の人間ならあまり良い感情を抱かないだろう。
しかし、彼は相変わらず静かなままで。
「そっか。じゃあ、良かった……ごめんね、急に声をかけちゃって。大丈夫なら、それでいいんだ」
小さく、穏やかに微笑んでしほから視線をそらした。
そのまま彼はしほの横を通り抜けて、歩き去っていく。
そんな青年に、しほは息が止まった。
(……ナンパじゃ、ないの?)
自分に声をかけてくる異性の目的は、ほとんどが下心だった。
今回だって、それに近い感情を抱かれていると思っていた。
しかし、彼はしほの美貌を前にしても興味を抱いていなかった。
仮に、しほとお近づきになろうとしているのであれば、こんなにあっさり会話が終わることはなかっただろう。
何かしら、話題を続けようとしてくる……そう決めつけていた。
だけど彼は、しほが大丈夫と分かった瞬間に安堵の表情を見せただけだった。
それが意味することは、つまり――
(私のことを、心配していただけ?)
――表情通りの感情しか、抱いていなかった。
裏腹に、何かしらの欲望を持っているのかと危惧したが、そんなものはなかった。
ただ、通りすがりに様子がおかしいしほの様子が目に留まって、心配になって声をかけただけ。
そう気づくや否や――しほは反射的に、走り出していた。
(……だめっ)
直感した。
この出会いを逃すわけにはいかない、と。
(待って……)
慌てていた。でも、事務所にはかされたヒールのせいで、うまく足が動かない。
彼はまだ見える位置にいてくれた。だけど、その距離は決して近くない……このまま見失ったら再会はほぼ不可能。
そう思った瞬間、彼女は無意識に呟いていた。
「――助けて」
しほの耳にやっと届く程度の声量。
隣を歩く通行人にも聞こえていない、小さな声だ。
彼に届くわけがない……そう思って、懸命に追いかけようとした――その瞬間だった。
「…………ぁ」
彼が、こちらを振り向いた。
それから、何やら慌てた様子で駆け寄ってきて――しほに手を差し伸べた。
「だ、大丈夫!?」
そう言われてから、しほはようやく自分が転んでいたことに気付く。
手と膝が地面にこすれて、熱を持っていた。
だけど、痛みなんてなかった。
「よ、良かった……っ」
今はただ、彼を見失わずに済んだことが、嬉しかったのである――
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