if ~もしも霜月さんが『モブ』と出会わなかったら~ その6

 何度手を挙げても、タクシーは止まらない。

 原因は分かっている。手を挙げるのが明らかに遅いのだ。


(……タクシーすら拾えないのね)


 自分に落胆して、ため息が零れる。

 なるべく早く帰宅したい。でも、やっぱり人と接するのが怖くて、どうしてもタクシーを呼ぶことに気後れしてしまう自分がいる。


 いつもは、マネージャーの少女がタクシーを呼んでくれていた。


『霜月さんはなるべく一人にならないでね。梓が守ってあげられないから』


 小さな体ながらに、嬉しい言葉をかけてくれた少女。

 その優しさに甘えることができない自分に、しほは更に落胆した。


(あずにゃん、今からでも来てくれるのかしら……)


 ジッとスマホを見つめる。

 電話すれば、もちろんすぐに彼女はかけつけてくれるだろう。


 でも、その一歩が彼女には踏み出せない。

 マネージャーの少女が怖いわけじゃない。とにかく、他者が怖くて仕方ないのだ。


 他人が近くにいると緊張で表情が動かなくなってしまう。

 そういうふうに、なってしまっている。


(どうしよう……)


 このままだと、食事に誘ってきた男性モデルに見つかってしまうかもしれない。

 あるいは、一人でいるとよくナンパや勧誘目的で声をかけられることがあるので、それも嫌だった。


 タクシーは少し勇気がいるが、電車に乗ることくらいなら彼女でもできる。

 ここから駅まで1時間ほどの距離はある。でも、それくらいなら歩いてもいいかもしれない――と思って、歩き出す。


 しかし、その足は10分も歩かないうちに止まった。


「……なんでこんなことしないといけないの?」


 不意に、自分を客観視して、全てがバカバカしくなった。


「……なんで、人よりも色んな音が聞こえてしまうの?」


 うるさい。

 全てが、煩わしい。

 聞こえなくていい音が聞こえる日常が、億劫で仕方なかった。


 こんな特徴、要らない。


「……なんで、人よりも容姿がいいの?」


 自分で分かっている。

 容姿が優れていることなんて、物心ついた時から言われてきている。

 だからこそ、そんなことどうでも良かった。


 可愛いから、綺麗だから、見た目がいいから、彼女が得したことなんてない。

 むしろそのせいで注目を浴びてしまう上に、余計な感情を向けられてしまうことも多い。


 感受性の鋭いしほにとって、それはあまりにも辛いことだった。


「……こんなの、要らない」


 しほは疲れていた。

 望んでもいないものを背負わされて、重い足取りで歩き、その疲労感で倒れそうになっている自分を客観視して、泣きそうだった。


「もっと『普通』が良かった」


 特別になんてなりたくないのに、特別に生まれてしまった。

 それなのに、自分の人生はあまりにも苦しくて……この先もずっと孤独で、冷たいままの人生なのかと考えると、苦しくて仕方なかった。


「……助けて」


 無意識に、呟く。

 先程、カメラマンと男性モデルに話しかけられたときにも抱いた感情が、もう一度蘇る。


「誰か、助けてっ」


 小さな声で、救いを求める。

 道の端っこで、ぽつんと佇む自分に近づいてくれる『音』を探る。


 でも、こういう時に限って誰も現れない。

 みんな、しほを遠巻きに眺めるだけで、彼女を助けようとする人間は……救いの『音』は、現れなかった。







「――大丈夫?」






 音はない、はずだった。

 少なくとも彼女の耳には捉えられなかった。


 それなのに、そこにはあった。


「辛そうだけど、体調でも悪いの?」


 ハッとして顔を上げる。

 すぐ目の前に、人がいた。


 しかも、男性がそこに立っていた。


「――ありえない」


 彼女は自分の目を疑う。

 否、自分の耳を……疑った。


(いつ、どうやって、どんな方法で――彼はここに近づいたの?)


 人の感情さえも聞き分ける彼女の聴覚が、機能しない。

 そんな相手、初めてで……だからこそ、目の前の男性が信じられなくて。


「あ、ごめんね。急に話しかけられてびっくりしてるのかな……何事もないなら、それでいいんだけど」


 そして、明かに声を発している彼から何も『音』が聞こえないことに気付いて、しほは目を丸くしてしまうのだった――

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