if ~もしも霜月さんが『モブ』と出会わなかったら~ その5
倒れている人間を無理矢理立ち上がらせるような人間がしほは苦手である。
半歩先を歩いて『俺についてこい』と示すような独善的な人間がしほは嫌いである。
倒れている時は、立ち上がれるようになるまで一緒に待っていてほしい。
歩くときは、歩幅を揃えて並んでほしい。
ただそれだけでよかった。
イケメンじゃなくていい。
金持ちじゃなくていい。
人格者じゃなくていい。
ただ、同じ目線で、対等に接してくれる人でさえあればいい。
決して、彼女が求めるハードルは高くない。
しかし、生まれ持ってしまった飛びぬけた美貌のせいで、他者が勝手にハードルを上げてしまう。
そこを飛び越えようとする人間は、やっぱり目線が上にある人間ばかりで……しほとは人間性が合わないのだ。
「しほは大人数が嫌いなんだよな? だったら、俺と二人でこの後――」
先程、一緒に仕事をした男性モデルが何かを言っている。
しほの肩を抱きながら、まるで『俺に話しかけてられて嬉しいだろ?』と言わんばかりの態度で話しかけてくる。
それに対して、しほは表情を凍らせてひたすら耐えていた。
逃げることも、反論することも、何もできずに――ただただ自分の体温を下げて、感覚を鈍くして、苦痛に耐える。
「…………」
そうすることしか、できなかった――
結局、しほが解放されたのは30分も後だった。
あれから、延々と男性モデルの自慢めいた立ち話が続いて、それから一方的に食事の時間だけを告げて去るまで、彼女は解放されなかったのである。
もちろん、その間しほは一言も発することはなかったのだが……男性モデルはそんなこと意に介さず、自分だけで会話を進めていたから、彼女は恐怖さえも感じていた。
(どうして『俺の話を聞いて面白いだろ?』みたいな態度を取れるのかしら)
不思議に思いながらも、足早にスタジオを出る。
男性モデルとの食事会は当然のように無視することにして、通りを歩く。
そのあたりでタクシーに乗り込もうとしていたのだが、そういえば自分が人見知りであることを思い出して、ため息をついた。
(このままだと、彼に見つかっちゃうわ)
少し悩んで、それから何気なくスマホを取り出してみると……マネージャーの少女から何件も電話がかかってきていたことに、今更気付いた。
どうやら帰りを待っていてくれたのだろう。
そして、帰宅が遅いしほを心配してもいたようだ。
『大丈夫? 何かあったの?』
メッセージアプリで届いていたその一文を見て、少しだけしほは気持ちが温かくなった。
とりあえず、何か返信をしようと文章を考えていると……『ピコン♪』と音が鳴って、たった今メッセージが届いた。
『ってか、電話に出てよ! マネージャーなんだから、霜月さんの帰りまで見送らないといけないんだからねっ。今日は久しぶりにおにーちゃんが国外から帰って来るのに、霜月さんのせいで残業なんてイヤだよっ』
しびれを切らしたのだろうか。
お叱りのメッセージさえも、見た目通り愛くるしくて……しほは心の中で笑った。
表情はまだ動かないが、マネージャーの少女といると彼女の温度は少しだけ上がる。
しかし、芯まで凍りついたしほの心は、少女の優しさだけでは雪解けまでは至らない。
『ごめんなさい。何もなかったから安心して。一人で帰るわ』
結局、いつも通り事務的な文章を打つことしかできなかった。
いつからだろうか。心と連動して、性格まで冷たくなってしまったのは……もう随分と前から、しほは他者に優しくできなくなっている。
本当はもっと、素直になりたい。
マネージャーの少女とも仲良くなりたい。
あだ名で呼びたいと思っているくらいには、彼女に好意を抱いているのに。
それでも彼女は、自分の感情をうまく表現できずにいた。
(……ごめんね、あずにゃん)
心の中だけで読んでいる、マネージャーの少女のあだ名を呟く。
中山梓、と書かれた連絡先をジッと見つめて……それから、ギュッと目を閉じてスマホの電源を切るのだった――
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