if ~もしも霜月さんが『モブ』と出会わなかったら~ その3

 明るい髪色と、跳ねたくせっ毛が特徴的な男性カメラマン。

 話し方がハキハキとしていて、明るくて、人あたりが良い――そう見られることを知っている人間特有の『音』を耳にして、しほはため息をつく。


(悪い噂は聞いていたけれど、その通りみたいね)


 この撮影前、マネージャーの少女に言われたことがある。


『カメラマンと男性モデルには気を付けてねっ。なんか、良くないんだって!』


 ふわっとした言葉だが、彼女が本当にしほを心配しているということには気付いていた。

 とはいえ、別に彼女が注意していなかったとしても、しほは他人を警戒している。


 特に男性に関しては、誰だろうと相手にするつもりはない。今までの経験上、ろくなことがなかったからだ。


「…………」


 そのまま、無言で立ち去ろうとする。

 話しかけてきたカメラマンの横を抜き去ろうとしたのだが、しかしそれを遮るように彼が道を阻んできた。


「ああ、別に説教をしてるわけじゃないから安心してよ。しほちゃんは笑わなくても最高の作品になるからね」


 人あたりの柔らかい笑顔を、なおも継続している。

 その奥から響いてくる、欲望の軋みがしほの鼓膜を震わせる。


(…………うるさい)


 心の中でそう呻いて、仕方なく小さく頷いた。

 リアクションさえも億劫だったが、このままだとらちがあかないと思って口を開く。


「失礼します」


 小さな声。

 しかし、不思議と聞き取りやすい透明な音色。

 その音は、あらゆる男性をトリコにする。


「お、初めて喋ってくれて良かったよ。ねぇ、この後時間ある? ちょっといい感じのお店で他のモデルたちと一緒に飲むんだけど、しほちゃんもおいでよ」


 逃さない。

 この機会を、絶対に掴む。

 そう言わんばかりに、カメラマンが血相を変える。


 さっきまで取り繕っていた、善人の仮面が剥がれて……その下から、醜い欲望が露出していた。


「……っ」


 逃げようと、強引に足を踏み出す。

 そんな彼女に、カメラマンが手を伸ばす。


 彼の手が、しほの肩を掴もうと手を伸ばす。

 醜悪な音が、ボリュームを上げる。


 しほへと、徐々に迫ってくる。


(…………助けてっ)


 無意識に、叫んでいた。

 心の中で、誰かを求めていた。


 そんな彼女の手を、誰かが掴む。

 カメラマンじゃなくて、しほの肩を抱いた人間がいた。


「おい、嫌がってるじゃねぇか。やめろよ」


 カメラマンではない男性。

 頼りがいのある、力強い声。


 顔を上げて、そこにいたのは――先程、撮影を共にしていた男性モデル。


 その人物を見た瞬間…………しほは、喜んだ。

 彼女の窮地を救った彼こそが、しほの人生を変える存在となるはず。






 ――彼女の人生が、物語とするならばそうなってもおかしくはないだろう。







 そんな、物語的な何かが起きてくれたなら。

 彼女は今頃、笑うことができているに決まっている。


 でも、しほはまだ救われていない。

 誰も、彼女を救えない。


 いや、救えるほどの格がある人間がいない。


「しほ、ごめんな。こいつは昔っから強引なんだよ……まぁ、悪い奴じゃねぇから許してくれ」


 魅力的な快活な笑顔が向けられる。

 男性にしては長めの髪の毛は、中性的で良く似合っていた。

 彼は、将来を期待されている人気モデル。


 イケメンで、性格が良くて、優しい――そう思われている存在だ。

 そして同時に、マネージャーの少女が注意してきた存在の一人でもあった。


(結局……誰も、助けてくれないのね)


 しほは自分を恥じる。

 誰かに助けを求めた自分が、情けなかった。


(本当に、もう…………うるさいわ)


 まるで、白馬の王子様かのように窮地に現れた男性は、しかし彼女が求める存在ではない。

 なぜなら、彼もまた醜悪な音を発していたからだ――。

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