if ~もしも霜月さんが『モブ』と出会わなかったら~ その2
霜月しほは耳がいい。
先天的に聴覚が鋭く、普通の人間には感知できないような音を聞き分けることができる。
彼女にとって『音』とは『個』である。
人間は一人一人音が違う。その違いが『個性』であり、人間性だ。
その人が発する音を耳にしただけで、彼女は相手の性格を感じ取ることができる。
聴覚ではない。最早『第六感』とも呼べるほどに、彼女の感覚は発達している。
そして、そのせいでしほは――苦しんでいた。
「…………っ」
とある撮影スタジオ。そこには十数人ほどのスタッフやモデルが集まっている
決して人数は少ないわけじゃない。しかし、かといって喧噪と表現できるほど音は出ていない。
だが、しほはスタジオに入った途端、息をのみ込んだ。
彼女の鋭い聴覚は、耳を塞ぎたくなるほどの『異音』を感じ取ってしまっていたのである。
「おはようございます、霜月さん!」
「今日もいいね、仕上がってるね~」
「あ、遅刻は気にしないでいいからね。ゆっくり準備してきてくれ」
もう1時間も前に集合するはずだった。
本来であれば、しほは怒られてもおかしくない。
しかし、周囲の大人は彼女にへらへらとした笑顔を浮かべる。
ご機嫌をとるように、腰を低くして、媚びを売る。
その『音』が彼女を苦しめていた。
大人の人間特有の、上っ面だけの音が彼女の気分を害する。
それに耐えながら、彼女は無言で頷いた。
「…………」
遅刻したことの謝罪もない、無礼な態度。
それでもなお現場の人間は、しほを悪く言わない。
彼女の機嫌を損なって、撮影がなくなることを恐れているからだ。
『霜月しほがモデルとして広告塔になる』
その条件で、多くのファッションブランドがこの撮影に協力的になったらしい。
だからこそ彼女は全てが許される立場にいる。
霜月しほは、存在することに価値がある存在だ。
生まれながらに、揺るがない『特別』を所持している。
故に、誰からも嫌われない。
どんな存在からも、肯定される。
そして、あらゆる人間から、欲望を抱かれる。
だからこそ、様々な人間から悪意を向けられる。
(今日も本当に……うるさいわ)
そのことが、しほは煩わしくて仕方なかった――。
言われるがままに、洋服を着る。
されるがままに、メイクを施される。
指示通りに、ポーズを取って撮影を行う。
うんざりするくらいに、退屈な時間が終わる。
「しほちゃん、今日もいい作品に仕上がりそうだよ~」
カメラマンの男性が、馴れ馴れしく声をかけてくる。
それに無表情の顔を向けると、彼はニヤリと笑いかけてきた。
「でも、もうちょっと笑った方がしほちゃんの魅力が伝わると思うんだけどな~」
「…………」
その言葉に、彼女は何も言わない。
ただ、無反応で視線をそらす。
(笑えるなら、笑ってるわ)
そう。霜月しほは、笑えない。
別に、笑いたくなくて、笑っていないわけじゃない。
一人でいるときや、家族とだけいるときは、自然な笑顔を浮かべることができる。
しかし、他人を前にすると――どうしても笑えないのだ――。
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