五百十話 物語とラブコメの境界線

 引っかかる。

 何かがおかしいような気がしてならない。


 頭の隅に生じている違和感に、ついつい気がとられる。

 でも、それはあまりにも形が曖昧で……言語化できるようなものではなかった。


 直感めいた、超常的な感覚。

 現実的な理由付けでは説明できない現象。


 ……これをかつては、物語として捉えて自らを納得させていた気がする。

 でも、今の俺にはそれができない。


 いや、それをやってはいけない。

 だからこそ、分からなくて困惑する。


 今の俺は、ちゃんと現実と向き合えているのだろうか。

 それとも、再び物語の鎖に囚われてしまっているのだろうか。


 物語と現実。俺の思考はどちら側にあるのかが、分からなかった。


(こういうとき、俺はどうしてただろう?)


 思考にかかった霧を、俺はどうやって晴らしていたのか。

 俺の心を照らしていた存在は、誰だったのか。


 ――それはもちろん、彼女しかいない。


『霜月しほ』


 いつだって彼女は、俺の進むべき道を照らしてくれた。

 悩んだのなら、彼女に相談すればいい。


 これは頼っているわけじゃない。

 依存しているわけでもない。


 ただ、ちょっとだけしほに手を差し伸べてもらうだけ……だからきっと、大丈夫。


 これは別に、自分の意思を彼女に決定してもらっているわけじゃないんだ。


 そう自分に言い訳して、俺はしほの後を追いかけた。


 数分程あるいて、胡桃沢さんの所有する別荘に到着。

 中に入ると、しほと梓の声が聞こえてきた。


「うひゃ~。おねーちゃん、日焼けしちゃったね」


「そうね。あーあ、赤くなっちゃったわ……日焼け止め、あんなに塗ったのに足りなかったのかしら?」


「お風呂入るとき、たいへんかも」


「うぅ、今から憂鬱だわ……でも、お風呂に入らないと幸太郎くんに抱き着けないし、困ったものね」


「おにーちゃんは普通に受け入れそうだけどね~」


 とかなんとか。奥の部屋から会話が聞こえてくる。

 どうやら雑談を交わしているようだ。俺もそれに混ぜてもらおうかなと思って、声の方向へと向かう。


「…………」


 無言で、歩く。

 不思議なことに、今の俺には冷静さがなかった。


 普段であれば、ここで二人に声をかけていたと思う。

 しほも梓も、内弁慶だけど普段は気弱な少女で……大きな音や不意の出来事にすごく驚いてしまうタイプなのだ。


 そのあたりに配慮して、なるべく驚かさないようにゆっくりと声をかけるよう意識していた。

 でも、今の俺にはすっかりそれが抜け落ちていた。


「――しほっ」


 しぃちゃん、とそう呼ぶ余裕すらなく。

 ましてや、扉をノックする余裕すらなかったようだ。


 ガチャリと、扉を開ける。

 そして見えたのは……想像をはるかに上回る『肌色』だった。


 着替え中、だった。






「――――」






 一瞬、空白が生まれる。

 無音が、空間を満たす。


 俺も、それから水着を脱ぎかけていた二人も……ぽかんと口を空けて、お互いに顔を見合わせていた。


 音が、生まれない。

 何も、聞こえない。


 視線をそらすことすら、できない。


 さ、さっきまで、ちょっとシリアスなことを考えていたのに。

 よりによって、この場面でこういうシーンに出くわすなんて。


 いわゆる、ラッキースケベである……こんなの、どう対処していいか分からなかった――

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