四百九十四話 ようやくの水着回! その24

 今日一日に限り、梓はしほのことを『おねーちゃん』と呼ばなければならない。

 そういう約束を勝負前にしてしまった以上、梓にはどうしようもないようだった。


「うぅ~」


 唇を固く結んで、子犬みたいに唸っている。

 悔しそうな表情でしほを睨んでいるけれど、幼い顔立ちのせいかどうしても怖いとは全く思わなかった。


 むしろ、可愛いとさえ思ってしまう程だ。

 しほもどうやら、俺と似たようなことを考えているようで。


「あずにゃんったら、もう……仕方ないわね。よしよし」


 ゆるみきった笑みを浮かべながら、梓の頭をそっと撫でていた。

 もちろん、そんな行為を彼女は望んでいない。


「なんで!? 何が仕方ないの!?」


 梓はすぐにしほの手を振り払って、威嚇するように声を上げる。

 しかし、今は勝負を制したしほの方が立場が上なのだろう……いつもより梓の勢いは弱々しくて、逆にしほの方はすごく強気だった。


「だって今、なでなでされたそうな顔をしてたじゃない」


「してないよ! 霜月さんはどうしていつも自分に都合がいいように考えるのっ!?」


「あら、霜月さんって誰かしら?」


「……ぐぬぬっ」


 争いとは同格の者同士で繰り広げられる、とはネット上でよく見かける言葉である。

 その格言通り、立場が明確になっている今――梓としほの言い争いは喧嘩にならない。


「お、お……おねーちゃ、ん」


 梓は、しほに服従する。

 今、現在に限定されるだろうけど……二人の序列はハッキリとしていた。


「うん! いいわね。とても心地よい響きだわ……そうなの。私にとってあなたはあずにゃんであり、かわいい妹。そしてあなたにとって、私はおねーちゃんであり、至高の存在。つまりそういうことなのね」


「至高って何!? どういうことか分かんないよ! おにーちゃん、通訳してっ」


 ……ごめん、俺もよく分かんないや。

 まぁ、とりあえずしほの言っていることは理解できないけど、思っていることならなんとなく分かる。

 直訳はできないけど、意訳ならできた。


「とにかく、梓に『おねーちゃん』って呼ばれて嬉しいんだって」


「……別に、喜ぶことじゃないと思うけどっ」


 しほの想いを伝えると、梓はぷいっとそっぽを向いた。

 素っ気ない態度をとっているものの……その耳が微かに赤かったので、恐らく照れているのだろう。


 なんだかんだ、しほは梓に対してとても好意的である。

 梓も、しほに対して悪い感情は抱いていないのだ……それは俺も分かっているし、もちろんしほだって感じていることなので、わざわざ口にしなくてもいいだろう。


「もうっ。分かったよ……今日だけ、霜月さんのことは『おねーちゃん』って呼ぶ。きょ、今日だけなんだからねっ。勝負に負けたから仕方なくそうしているだけで、本当におねーちゃんとは思ってないから、勘違いしないで!」


 いつもより口数が多いのは、やっぱり照れているのだろう。


 分かりやすいツンデレに、俺もしほもついつい笑ってしまうのだった――。

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