四百三十八話 今度は結月の出番

 夏休みに入って二週間が経過していた。

 相変わらずしほは中山家でダラダラしている。


 この前、図書館に連れて行ってみたけれど、オシャベリばっかりになって本を借りることはできなかった。


 この傾向は良くない気がする。

 でも、のんびりしているしほがあまりにも幸せそうだから、強く言うことはできずにいた。


「幸太郎くん、今日の夕ご飯はこっちで食べてきなさいってママに言われたわ」


 ……あ、そうそう。俺のあだ名は結局決まらなかった。

 しほとしては『ダーリン』が一番しっくりきていたみたいだけど、俺の反応が芳しくないのを見たのか、とりあえず保留にしてくれたのである。


 他方、しほのあだ名はもちろん採用されているわけで。


「いいよ。じゃあ、今夜はしほの好きな――」


「しほって誰? そんな女の子知らないわ」


 まだ口に馴染んでいないせいで、たまに間違えることがある。

 そうなると彼女は即座に訂正してきた。


 あだな、かなり気に入っているらしい。


「ごめんね、しぃちゃん?」


「はーい。しぃちゃんですっ。それで、何を言いかけたの?」


「えっと、今夜はしぃちゃんが好きなオムライスでも作ろっか?」


「いいの? わーい、やったー!」


 両手を上げて無邪気に喜ぶしほ。

 それを見ているとこっちまで笑顔になってきた。


 相変わらず、幸せを周囲に伝播させる子である。


「今日はね、パパとママがデートに行くんですって! 私を幸太郎くんに預けられてすごく助かってる、ってママが言ってたわ」


「そうなんだ……しぃちゃん、なんか幼い子供みたいに扱われてない?」


「過保護なのよ。でも、幸太郎くんに面倒をみられるのは大好きだから、別に構わないわ」


 しほのご両親は今もなお仲良しみたいである。

 ああやって、何年経っても愛し合えるような関係性を築けていきたいなぁ。


 俺としては、しほのご両親は憧れでもあった。

 うちの家庭がドロドロというか……あまり笑い話に出来ないくらいにグチャグチャなので、余計にそう見えてしまうのかもしれない。


 ……さて、しほのためにもオムライスの仕込みでもしようかな?

 そう思って、まだ午後の四時だけど夕食の準備を始めようとした、その瞬間だった。


『ピンポーン』


 インターホンが鳴った。


「幸太郎くん、誰かきたー」


「うん、そうみたいだね」


 そう言ってしほはゴロンとソファに寝っ転がる。

 ダラダラモードに突入したらしい。それを横目で眺めながら、ゆっくりと立ち上がった。


 俺の家に来る人間なんて配送屋さんかしほくらいである。彼女は家にいるので、配送屋さんかな?と思ってカメラを確認することもなく玄関の方に向かった。


「はいはい、今出ます」


 ガチャリと扉を開ける。

 そして現れたのは――配送屋さんではなかった。


「あ、急にごめんなさい。えっと……」


 まさかいきなり扉が開けられるとは思ってなかったのだろう。

 インターホンのマイクに顔を近づけていた彼女が、慌てた様子で姿勢を直している。


 その姿は、やっぱり……ご近所さんの、北条結月だった。


「結月?」


「は、はい。北条結月です」


「いや、自己紹介しなくても分かるけど……急にどうかした?」


 彼女から話しかけられることも最近はめったになくなった。

 だから、来訪なんて本当に予想してなかったので、こっちも驚いている。


「いえ、たいした用事ではないのですが、その……えっと!」


「……とりあえず落ち着いて」


 でも、結月の方がかなり焦っているように見えたので、逆にこっちが冷静になった。


 うーん、どういうことだろう?

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