四百二十七話 借りてきた猫ちゃん

 しほが恋の病にかかってしまった!


「え? 私が恋の病? そんなわけないじゃない。だいたい、恋は病気じゃないのよ? あずにゃんったら、寝言は寝て言ってくれないかしら」


 しかし当人には自覚がないようである。

 発作が直ると、まるで何事もなかったかのように涼しい顔で起き上がった。


「おにーちゃん、笑って」


「なんで?」


「……こちょこちょ~」


「あ、こら……ははっ」


 いきなり脇腹をくすぐられて、思わず声が漏れてしまう。

 その瞬間だった。


「うぐっ……く、くるしぃっ。おみず、ちょーだい……しぬぅ」


 しほが胸を押さえて再び倒れ込んだ。

 それを見て梓がため息をついている。


「ほら~。おにーちゃんが笑うだけでドキドキしすぎちゃうくせに、恋の病にかかってないって言えるの?」


「……ぐぬぬっ。あずにゃんにしては正論ね」


「『梓にしては』ってどういうこと!? 梓はいつも論理的だよっ」


 そうでもないような気がするけど、まぁいいや。

 とにかく、しほの成績が落ちた原因がようやく分かった。


 対策は……どうしようもないので、時間をかけて彼女が慣れるのを待つしかないだろう。


「しほ、苦しいか? ベッドで休むか?」


「ベッド!? こ、幸太郎くんのベッド……!」


「あ、ダメでーす。おにーちゃんのベッドなんて、今の霜月さんには毒にしかなりませ~ん。おにーちゃんの匂いが強いので禁止で~す」


「そんなに臭くない……と、思ってるけど」


「そういう意味じゃなくて! 霜月さんはね、おにーちゃん成分を過剰摂取しすぎている状態なのっ。だから、ちょっとずつおにーちゃん成分を抜かないといけないわけ。分かる?」


 ごめん、分からない。

 症状が面白すぎて、理解が難しかった。


「そういえば、腕と足が丸いパワフルなプロ野球ゲームのサクセスモードに似たような症状があったわね……恋の病にかかると練習ができなくなるの。でも、後悔はなかったわ。女の子キャラが可愛すぎて毎回デートばっかりしちゃうもの。でも、みずきちゃんとあおいちゃんを攻略できないって知った時はすごく絶望したわ」


「ごめん、それも分からない……」


 ゲーム好きのしほしか分からない例えだった。

 梓もキョトンとしている。彼女は自称カジュアルゲーマーで、アプリゲームとパーティーゲームしかやらないので、微妙にしほと好みが異なるのだ。


「とりあえず、霜月さんは梓の部屋で寝かしとくね。緊急会議もこれで終わりでーす」


「だ、大丈夫よっ。だから幸太郎くんのベッドでいいわ」


「ダメー。ほら、行くよ?」


「ぐぇ~」


 梓に首根っこを掴まれて、しほは面白い声を発しながらとぼとぼと二階に上がっていく。

 仲良しは相変わらず継続していた。梓も、自分のベッドを使わせてあげられるくらいには、親しくなったようである。


 とはいえ……俺としては、少しもどかしい気持ちもあったけれど。


(せっかく、自分の気持ちに素直になれたのに……しほの方が準備中だったとは)


 彼女は結構、臆病なタイプだ。

 内弁慶なので俺や梓の前では積極的に見えるけれど、外に出ると借りてきた猫のように大人しくなる。

 根が慎重なタイプなのだろう。

 今まで、ぐいぐいと来ているように見えたのは……俺がへたれだったから、どうせ踏み込んでこないと思っていたからかもしれない。


 まぁ、それでも少しずつ俺としほの関係性は全身している。

 この穏やかなラブコメを繰り返していくことで……いつか、しほもきっと受け入れてくれるだろう。


 それまでは、のんびりと毎日を楽しもうと思っていた――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る