四百二十四話 にしてようやくの『はじめまして』



 しほが、俺の胸に耳を当てている。


「ドキドキしてる……」


「しほに抱きしめられたら、そうなるよ」


「表情は普通なのに?」


「これからはもっと余裕のある人間になりたくて」


「おっかなびっくりな幸太郎くんも可愛かったのに」


「抱きしめられるたびに、いちいち挙動不審になるのは申し訳ないから。いい加減、しほとのスキンシップにも慣れたい」


「……それもそうね。幸太郎くんがすごく驚くから、遠慮しちゃうこともあったわ」


「もう、遠慮させない」


 そっと、彼女の頭を抱き寄せる。

 この気温なので密着していると暑いのだが……やっぱり、離れたいとは思わなかった。


 それだけ、彼女を好きになっているのだろう。


「もう大丈夫だよ。ちょっとだけ重たい、しほの愛情を受け止められるから」


 今まで遠慮させてしまっていたけれど。

 これからは、しほに我慢なんてさせたくない。


「本当に? 幸太郎くん、私のことを『メインヒロイン』と思っているんでしょう? そんなに特別な女の子に見えてるんだったら、幻滅させちゃいそうで怖いわ」


「そういう考えは、ちゃんと整理したんだ」


 メタ的な視点で現実を考えることはもう終わった。

 周囲の人間をキャラクターに当てはめて、理解したつもりになるのもやめた。


「しほは俺にとってはすごく『特別』な人であることは間違いない。でも、ちゃんと普通の女の子だって理解している」


「じゃあ、嫉妬しちゃうところも理解してくれる? 私ね、心がすごく狭いのよ?」


「うーん……嫉妬しちゃうのは仕方ないけど、たぶんこれからはそういう感情も減ると思うよ。しほは心が狭いわけじゃなくて、不安になっているだけだから」


 これからは、しほをちゃんと安心させてあげる。

 彼女に俺の『好き』という気持ちを、しっかりと見せる。


 そうしていれば、自然としほの『やきもち』はなくなると思っていた。


「――やっぱり、幸太郎くんだ」


 会話の間、しほはずっと俺の鼓動を聞いていた。

 何かを確かめるように、ずっと耳を当てていて……恐らく、その『何か』が分かったのだろう。


「違う誰かの『演技』をしていない……本物の、幸太郎くんだわ」


 今までであれば、こうやって思いを伝えるときは常に違う『キャラクター』として振る舞うことが多かった。


 そのせいでしほは、俺と付き合うことをためらっていたのだろう。

 中山幸太郎の言葉ではない『好き』に対して、ちゃんと向き合えなかったのかもしれない。


 しかし……今の俺は『中山幸太郎』である。

 俺が、俺として、しほに話しかけているのだ。


「私が大好きな、幸太郎くんだっ」


 それから、しほは幸せそうに目を細めた。

 俺の手をギュッと握って……今度は自分の胸に俺の手を当てる。


 ――ドクン、ドクン。


 大きな鼓動が、響いていた。

 俺のドキドキと同じくらいの早さで、彼女もドキドキしていた。


「感じる? 私も、ちゃんとドキドキしてるって」


「うん。感じてる」


「……どう?」


「どうって? うーん……かわいいなぁ、としか」


「……胸、小さくても気にしてないの?」


「そこは考えていなかったよ」


 そう言って、笑いかけると……しほも真似するように、笑い返してくれた。


 別に、今までもこういうやり取りは何度も交わしている。

 特別な場面、というわけじゃない。


 しかし、なんとなく……今までで一番、この瞬間に幸せを覚えていた。


(やっと、本当の自分でしほと接しているからだろうな)


 ……ああ、その通りだ。

 心の声に頷いて、小さく息を吐き出す。


 出会ってから、一年以上が経過しているけれど。

 なんとなく……『はじめまして』のような気分だった――。

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