四百九話 クラス対抗スポーツ大会 その14

 試合時間は残り十分。

 ルールでは、生徒全員が十分は必ず試合に出ないといけない。

 今、ベンチには伊倉が残っている。予定では彼と俺が交代になることになっていた。


「中山、悪いな。本当は俺が伊倉と交代しても良かったんだけどよ……他の連中にダメって言われちまった」


 現在、試合は0対0で硬直している。

 試合の中心となっている花岸が抜けると、こちらの分が悪くなることは容易に想像できる。


 帰宅部の俺と、文化部の伊倉が交代した方が試合に勝つ可能性が高いだろう。パスしか出さない俺の貢献度なんて、そんなに大したことはないのだから。


「……大丈夫だよ」


 そう言って、コートから出て行こうと歩みを足を進める。

 伊倉も億劫そうにベンチから立ち上がって、こちらにのろのろと歩み寄ってきた。


 このまま、交代になるのだろうか。


 本当に、それでいいのだろうか。


 答えが出ないまま歩いていると……不意に、竜崎がこちらに走ってきて、小声でこう囁いた。


「残念だったな」


 勝ち誇るように。

 哀れむように。


 ニヤニヤと笑いながら発せられた言葉に、思考が止まった。

 奥歯を噛みしめて、こぶしを握り締めて、俯いていた顔が自然と上がる。


 このままでいい?





 ――いいわけが、ないだろ。






 終わりたくない、

 負けたくない。


 この時初めて、熱さを感じた。

 勝利への渇きと飢えが、心に火をくべる。




 ――(勝つ)!




 この時初めて、心の声と思考が重なった。

 それは本当に一瞬のできごと。竜崎に対する反骨心が生んだ一時的な協力関係を、心の声と結ぶことができた。


 刹那、思考が鮮明になる。

 ぼやけていた『自分』が、初めてクリアに見えたのだ。


 竜崎に勝つために、どうすればいい?


(試合に出続ける必要がある)


 ルール上、俺が出場を続けるのは正攻法ではうまくいきそうにない。


(状況的にも、他の人が交代するのは厳しいだろう)


 使える物はないか?


(利用できるものがあるはずだ)


 そういえば、伊倉に元気がないな。


(試合前から疲れている様子だった)


 ……彼は試合に出たくないと言っていた。


(体調も万全には見えない)


 性格的にも、真面目というよりは皮肉屋で、物事を斜めに見る癖のある人間だ。


(だけど、伊倉は俺に好意的でもある)


 だったら……彼にこんな提案をするのはどうだろう?


 心の声が思考を補助する。

 答えを出してくれるわけではないけど、答えになりそう道を示してくれるので、いつもよりも簡単に行動を選択することができた。


「中山、お疲れ。後は僕に任せてくれ……適当に時間をやりすごしてやるさ。勝敗なんて気にせずのんびり散歩でもしてやるよ」


 いつも通りの皮肉にも、声に張りはない。

 疲労がにじみ出ていることを確認して、俺はこんな質問をした。


「……伊倉って、体調不良じゃないか?」


「体調不調? いや、まぁ……元気ではないが――」


「準備運動も不足していたし、足もちょっと痛そうだな。こんな状態で試合に出たら倒れちゃうと思うんだ」


 そう伝えると、伊倉はハッとしたように目を丸くした。

 俺が何を言いたいのか、なんとなく察したようだ。


「なるほど。君は、頑張れるのか?」


「俺は、できるならこのまま出続けたい」


「……なかなか、悪い奴だな。真面目で大人しいと思っていたが、そうでもないのか」


「こういうのは苦手か?」


「いいや、大好きだよ。僕は人生を斜めに歩くような人間だからね……楽できるのなら、それに勝ることはないさ」


 そんなやり取りをしていると、交代に手間取っているように見えたのか、花岸が歩み寄ってきた


「おい、二人とも何してんだ? 交代なら早めに……」


「花岸。伊倉、体調不良と怪我で休みたいみたいだ」


「ああ、そうなんだよ。熱射病なのかちょっとふらふらしていてね……あと、足が上がらない。無理したら十日後のテストに響きそうだから、交代はなしで中山に継続して出場してもらえないか?」


 そう伝えると、素直な花岸は俺たちを疑うことなく信じた。


「マジかよ! 中山までそう言うんだったら、ズル休みじゃないか……そういえばお前、準備運動サボってたな。だから怪我なんてするんだよっ」


「すまないな。それで、休んでもいいのかな?」


「ちょっと交渉してくる……たぶんいいと思うぞ。中山は帰宅部だし、戦力的に大きく変わるってわけでもないから」


 それから花岸は相手のクラスの人たちに交渉してくれた。

 もちろん、結果は良好。俺はそのまま継続して試合に出られることになったのである。


 絶対に、竜崎に勝つ。


 その意志が『中山幸太郎』に熱を宿してくれたのだ――

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