三百八十四話 嫌い


 俺は、しほが傷つくことが何よりも辛い。

 同様に、しほだって俺が傷つくことが何よりも辛いと思ってくれている。


 だから彼女は、許さない。


「幸太郎くんだろうと、幸太郎くんを傷つけるのは見過ごせないわ」


 改めて、ハッキリと告げられる。

 そのまっすぐな言葉に、息がつまった。


「いや、でも――」


「また否定から入るの?」


「っ……」


 ハッとする。

 大分前に注意されたことだというのに、また同じことをしている自分がいた。


「素直な幸太郎くんは、ちゃんと私の言葉を聞いてくれていたはずだけれど……どうして今の『あなた』は、私の言葉を忘れてしまったのかしら?」


 少し前までは、完全に治ったと思っていたのに。

 またもや『卑屈なモブキャラ』が出てこようとしていた。


 どうしてこんなことになっているのだろう?

 もう竜崎の物語は終わっている。だから、これからちゃんと――


『しほとのラブコメを紡ごうとしたのに』


 ――って、あれ?

 思考が無意識に傾いた。


 俺、なんでラブコメを作ろうとしているんだ?

 おい、ちょっと待て。俺は……自分を主人公だと思っているのか?

 竜崎がいなくなったから、次は自分だと……そう考えているのかもしれない。


 だから幸太郎は『主人公の幸太郎』になろうとして……しかしそれがうまくいかないから、卑屈になってしまっているのだろうか。


 主人公として覚醒するには、試練が必要である。

 試練とは、痛みだ。つまり、傷つくような逆境を……苦難を乗り越えることが、主人公への道である。


 でも、状況があまりにも穏やかだから……俺は自ら痛みを付与して、強引に覚醒への流れを作ろうとしているのでは?


 ……そんな考察ができてしまうことが、なんだか不気味でさえあった。


「この一年、私は幸太郎くんのことがもっと大好きになったわ……だからこそ、あなたを愛しく思っているし、大切に思うし、傷つくことが許せなくなった」


 しほはどんな時でも俺の味方だった。

 でも、彼女は……俺の全てを肯定するわけではなかった。


「つまり、私は幸太郎くんを傷つける『幸太郎くん』にすごく怒っているの」


 中山幸太郎のことが大好き。

 それは逆説的に……中山幸太郎じゃなければ、受け入れられないのだ。






「だから、幸太郎くんを否定するあなたは――嫌い」






 ……初めてではないだろうか。

 しほからその言葉を……感情をぶつけられるのは、出会ってから初めてだった。


「私はね、とっても独占欲が強くて……わがままなのよ?」


 子供みたいに無邪気な性格の少女は、しかし……子供みたいな執着を持っている。


「あなたが考えるような『理想のメインヒロイン』ではないの。私の中身は、あなたが考えているような『綺麗な少女』ではない」


 ――しほが嫉妬するなんておかしい。


 綺麗な彼女が嫉妬することがおかしいと、他の女の子と話してそう認識したけれど。

 そもそも、その前提が間違っていたのかもしれない。


「私は、幸太郎くんが身の丈に合わないと思っているような、高嶺の花なんかじゃないわ」


 ……これが、俺としほが恋人になれていない、問題の根っこなのかもしれない。

 俺の認識が、ズレている。現実にも、自分自身にも……それから、しほに対しても。


「幸太郎くんを否定する幸太郎くんは嫌い。あなたにだって、あなたを傷つけられたくなんかないわ」


 そう告げて、しほは俺の頭に手を添えた。

 嫌いと言っているくせに、その手つきは優しくて……。


「でも、ありのままの幸太郎くんは大好き。そのまま、食べちゃいたいくらいに」


 それから不意にほっぺたに唇をつけられたから、もうしほの感情が分からなかった――

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