第三百三十七話 選んで、傷つけて、苦しむ覚悟を


 一通り話し終えてスッキリしたのか、結月はとても清々しい顔をしていた。


「お話ができて良かったです。ずっと、悶々としていました。このままで本当にいいのか、何か違うことができないか、悩んでいたので……やっぱりわたくしにとって、誰かのお役に立つことは一番の喜びになります」


 穏やかに微笑んで、彼女は俺の手を優しく握る。


「龍馬さんの顔を見ていれば分かります。ここに来た当初より、とても表情が軽いですよ? 少しでも、わたくしの言葉であなたが元気になれたのなら、それだけでわたくしは十分ですから」


「……俺、表情が変わってるのか?」


「はい。わたくしの目には、明るくなったように見えますよ?」


 結月に言われて気付いた。

 自分の頬に手を当てると、なんとなく先程よりも感触が柔らかい気がした。

 もしかしたらただの気のせいかもしれないけど、少なくとも梓と別れた時よりは心が軽くなっているのは事実だろう。


「ありがとう。結月のおかげで、少しだけ救われた気がする」


 素直な思いを伝える。

 無意識の言葉だった。

 でもそれは、以前までの俺なら絶対に言えなかった『感謝』の想いだった。


「そのお言葉が、わたくしにとっては一番のご褒美です……久しぶりに、自分を肯定できた気がしました」


 献身的な結月の思いを、しっかりと受け止める。

 その上で、ちゃんと俺から答えを返した。


「……俺はまだ、『人を好きになる』という本当の意味が分からないみたいで……結月のことは好きだけど、たぶんこの想いは、恋愛的な感情とはちょっと違う気がしている」


 先程からずっと、彼女は俺のことを『好き』と言ってくれている。

 でも、俺はたぶん彼女と同じ温度で『好き』とは思っていない。


 いや、俺が思っている『好き』という感情は、恐らくは結月やキラリの抱いているものとは別物なのだ。


 だから、今の俺には……こう返すのが限界だった。


「今はまだ、答えを返すことができない……もし、結月が許してくてるなら、もうちょっと待っていてほしい――そう言うことしかできなくて、ごめん」


 それ以上に、何を言えばいいのか分からなかった。


「わがままな答えなのは分かっている。こんなに結月から暖かい言葉を貰っても、俺はまだ成長できていない……不甲斐ないよ。こんな俺に、幻滅してもおかしくないと思う。だから、待たなくてもいいんだ。結月は、俺のことを――」


 嫌いになってもいいんだ。

 そう言おうとして、でも彼女がそれを許さなかった。


「――嫌いになんて、なってあげませんよ?」


 静かに、だけど力強い言葉が、放たれる。


「今更、そう言われても遅いです……嫌いにもなっていなくせに、他に好きな人がいるわけでもないくせに、わたくしの思いを否定しないでくださいね?」


 回り込まれる。

 俺の逃げ道を防いで、彼女は俺を追い詰める。


「向き合ってください。別に、好きになれ――なんて言ってません。だけど、チャレンジくらいさせてください……それだけで、十分ですから」


 彼女が俺を嫌いになってくれたなら。

 あるいはその道は、今よりも楽だったかもしれない。


 キラリも俺は待ってくれている。彼女一人だけであれば、選ぶ必要なんてないから、気が楽だっただろう。

 だけど、結月も待つ――そうなってくると、俺としては難しい選択をしなければならない。


 だから結月に嫌いになってほしかった――と、そうやって俺は、無意識に逃げようとしていたのだろうか。


「わたくしの想いを拒絶するちゃんとした理由ができるまで、あなたを好きで居続けますから」


 そんな弱い俺を、結月は見抜いていたのだ。


(いいかげんに、逃げるなよ)


 自分に、言い聞かせる。

 結月を待たせるのは申し訳ないけれど。

 彼女に、ちゃんと自分の思いをぶつけられる時が来るまでは……その優しさに甘えることが、結月にとって一番いい選択なのだから。


 ちゃんと、覚悟を決めろ。


「――うん、分かった」


 誰かを傷つける覚悟を。

 誰かを好きになる覚悟を。


 そして、苦しい思いをする覚悟を……しっかりと心に刻むのだった――

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