第三百三十四話 エゴ
結月は静かに佇む。
先程のようにもう怒ってはいない。
暖かい紅茶を飲む俺を見ながら、微笑んでいた。
決して、座ろうとせず。
まるでメイドみたいに、お行儀よく立っていた。
「いまいち、『自分のために』という言葉があまり理解できなかったんです」
それからゆっくりと、語り出す。
穏やかで、滑らかなその口調は、聞いていてとても心地よかった。
「自我が薄いわけではないのですが……自分が楽しむことよりも、他人が楽しんでいた方が嬉しい――そう思ってしまう性分なんです」
「それは、なんとなく分かってる……結月は面倒見がいいから」
「はい。お節介で世話焼きの自覚はあります。そうやって、誰かのために何かをすることが好きなんです」
「それは、すごいな。俺は自分のことしか考えられないから、素直に尊敬するよ」
結月みたいな性格を、いわゆる『できた人間』と呼ぶのかもしれない。
そんなことを思ったのだが。
「……尊敬されるほどのことではありません。だってこれは、わたくしの『エゴ』でしかなくて、結局は他人のためにではなく、自分のためにやっていることだと――最近、気付きました」
謙遜とか、遠慮でなく、彼女は本気でそう思っているみたいだ。
「わたくしは『ありがとう』と感謝されることを欲しています。その一言が、北条結月に価値をつけてくれる。自分で自分を評価できないから、他者の評価を貰うことで、自分という存在を肯定している……ただ、それだけのことなんです」
「…………」
結月の言葉に、俺は少し黙り込んでしまった。
でも、言われてみると確かに納得できる部分はある。
彼女が何かしてくれて、俺がお礼を言うと、いつも過剰に喜んでくれていたのは……そういう理由があったから、なのか。
「『誰かに必要とされること』が、わたくしの存在意義なのでしょうね。だから、必要とされないことがイヤなんです。頼られること、甘えられること、信じられることを、わたくしは欲しています。だから――龍馬さんに消去法で告白された時は、すごくイヤな気持ちになりました」
――守ってやる。
――選んでやる。
――俺が幸せにしてやる。
――好きにさせてしまった責任を取る。
そんな思考の果てに結月に告白したわけだが、それらの感情は彼女が欲しているものとは真逆に位置するものだったのだろう。
「まったく必要としていないくせに、義務や責任感で自分を押し殺してまで、好きになってほしいわけじゃないんです。わたくしは、別に――付き合わなくても、構わないんですから」
恋愛の結末が『付き合うこと』だと思っていた俺にとって、その発言は衝撃的だった。
「わたくしが必要だと、そう言ってくれるのであれば――喜んで、心も体も全てを捧げます。この結月と添い遂げることで、あなたに一番の幸せが訪れるのであれば、それそのものがわたくしを肯定する糧になりますから。でも、そうじゃないのであれば、意味がないんです」
つまり、それが結月の持つ俺への思いなのだろう。
「龍馬さんが好きな理由は、あなたがわたくしを一番に欲してくれそうだから――です。別に、人間性が素敵だとか、顔がいいとか、勉強ができるとか、そういうステータスに然程興味はないです。ごめんなさい」
彼女にとって、竜崎龍馬は自分を肯定するための手段なのだ。
「誰よりも他人のことを考えているように見えて、実はわたくしも自分のことしか考えていません……はい、龍馬さんと同じなんです。だから、そう自分を卑下しないでくださいね? 人間なんて、みんなエゴの塊なんです」
……その言葉で、少しだけ心が軽くなった気がした。
俺は醜い人間だという自覚があって、それが変わったわけじゃないが……少なからず、あの結月にもそういう一面があることを知って、安堵したのかもしれない。
「……わたくしの知っている限り、心から他人のために動ける人間なんて――幸太郎さんしかいませんね」
それから、彼女の口からその名前を耳にして……俺は、比較していた人間を間違えていたことに、気付くのだった。
てっきり、あいつを普通だと思っていた。
どこにでもいるような、ありふれた存在だと認識していた。
「エゴのない人間なんて、この世に彼しかいないと思います」
でも、それは違ったのである――。
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