第三百三十二話 放っておけないのは彼女の性分


 インターホンを押しても、反応はなかった。

 そういえば家の電気もついていないし、人がいる気配がない。


 もしかして留守なのだろうか。


「…………」


 せっかくここまで来たのだが、こればっかりはどうしようもないだろう。

 運が悪かった。そう思ってため息をつく。


 勢い余ってここまで来たが、相手の事情を考えられないあたり、俺もまだまだ自分勝手と言うことなのだろう。


 まぁ、今はまだその自覚があるだけマシか。


「――帰るか」


 彼女の家に背を向ける。

 しかし、自分の行動が徒労だったことに気付いた途端、急に寒さを思い出した。


「っ」


 くしゃみをして、無意識に自分の体をさすってしまう。

 ちょうど、そんなことをしている時だった。


『ガチャン!』


 ドアが開く音が聞こえた。

 荒々しい音は、乱雑に開け放たれたせいだろう。


「……そういうところが、ずるいんです」


 声が聞こえた。

 ハッとして振り向くと、結月の家の扉が開いていて……玄関に、彼女が立っていたのだ。


「結月、あの……」


 慌てて声をかけようとする。

 しかしその前に、彼女が飛び出してきて俺の腕を掴んだ。


「こんなに寒いのに、どうして厚着しないんですか?」


 握られた手は、暖かくて。

 その温もりが、身に染みた。


「ちょっと、気が抜けてて」


「そんな恰好でいつまでも外にいたら風邪をひいてしまうのに?」


 ……奇しくもそれは、先程俺が梓にかけた言葉と同一のもので。

 彼女の悲痛な表情を思い出して、心がズキッと傷んだ。


 俺なんかが、体を温めていいのだろうか。

 梓があんなに傷ついていたのに……俺だって、ちゃんと痛みを感じるべきではないだろうか。


 いや、痛みを感じていないと気が落ち着かない。

 そう思っているから、無意識に自傷めいた行動を選んでしまうのだ。


 大して防寒しなかったのも、そのせいかもしれない。


「風邪なんて、どうでもいいよ」


 ポツリとつぶやいて、結月の手をそっと振りほどく。

 彼女の家に入る寸前で、その場に立ち付きしてしまった。


「結月。俺は、お前に謝りたくて――」


「そんなこと今はどうでもいです」


 しかし、俺の決意を結月は乱雑に叩き切った。


「いいから、早く中に入ってください」


「いや、でも」


「――入ってください」


 有無を言わさず、俺に振り払われた手をもう一度掴んでくる。

 その表情には、彼女らしくない『怒り』がにじんでいた。


 その勢いに負けて、俺は彼女に引っ張られるままに家の中へと入った。

 ガチャン、と音が鳴った時にはもうドアが閉まっていて……冷気が遮断されると同時に、暖房のおかげで寒さはなくなった。


「……出るつもりなんて、なかったんです」


 そうしてやっと、結月は冷静になってくれたようで。


「会ったところで、どうせ妥協されるだけだ……と。わたくしなんて必要としていないくせにに、義理とか同情とか、そういうくだらない感情の消去法で選ぶんだから――って、思っています。でも、やっぱり龍馬さんはずるいんです」


「ずるいって……」


「はい、ずるいです。そうやって、辛そうな顔で寒さに身を震わせて……くしゃみをしている姿を見たら、何もせずにはいられませんでした」


「み、見てたのか?」


「見るつもりなんてなかったです。でも、つい気になって、カーテンの隙間から覗いたら……気付いた時のはもう、走り出していました」


 それから結月は、小さくため息をついた。

 呆れたように、それから……少しだけ、嬉しそうに。


「そうやって、放っておけないから――わたくしは、あなたを好きになってしまったんですね」


 ……未だに結月は、俺にそんな優しい言葉をかけてくれたのだ――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る