第三百二十九話 『家族』


 何も聞かないつもりではあったのだけど。

 しかし、さすがに梓の様子がおかしかったので、少し心配になった。


「もしかして、体調でも悪いのか?」


 目が虚ろというか……焦点が定まっていない。

 でも、目の奥にはちゃんと光があって、別に困っている様子には見えないんだよなぁ。


 何かあったわけじゃなくて、単純に体調が悪いとか?


「ううん、梓は元気だよ」


 ……違うのか。

 だとしたら、どうしたんだろうか。


 いや、でも詮索するのは梓も迷惑かなぁ……と、悩んでいると、彼女の方から今度は話をしてくれた。


「――明日はね、おにーちゃんがいなくなった日なの」


 唐突に語り出したのは――梓の実兄についてだった。


「梓はね、幼い頃はあんまり人とお話できない性格だったから……いつもおにーちゃんについていってたの」


 彼女の口からその話がされるとは、思っていなかった。


「でもね、その日だけは梓に『ついてくるな』って言ったんだよ? 寒いし、風邪をひいたらダメだから――って」


「梓……」


「後で聞いた話なんだけど、おにーちゃんはお友達の家に遊びに行こうとしてたんだって。でも、前日がとても寒い日で……雪が積もってて、車がスリップしやすくて、それで……おにーちゃんは――」


 事故に巻き込まれて、二度と帰ってこなかった。

 その日を、梓は今……思い出しているようだ。


「もしかしたら、梓が一緒にいてあげたら――おにーちゃんは元気でいてくれたのかな。それとも、梓も一緒に、帰ってこれなくなってたのかな?」


「梓……自分を責めても意味はないよ」


「分かってる。でも、梓は連れて行ってほしかった――って、ずっと思ってた。おにーちゃんがいない世界に取り残されるのは、とっても寂しいから。だけどね、最近やっと分かったことがあるの」


 梓が気付いたこと。

 それは、彼女にとって大切なことだった。


「おにーちゃんは、梓を守ってくれたんだ――って」


 偶然かもしれないけど、彼は梓の身を案じてその日は連れ出さなかった。

 それが結果的に梓の命を助けたことは、変わりない。もし、彼女も一緒に兄といたら……最悪の未来では、彼女もまたいなくなってしまっているのだから。


「だから、梓は……おにーちゃんの分まで、幸せにならなくちゃいけない」


「……ああ、そうだな」


「それなのに梓は、ずっとおにーちゃんを探してばっかりで……挙句の果てには、『おにーちゃん』を演じてくれた幸太郎おにーちゃんを傷つけて、迷惑をかけちゃった」


 珍しいな。

 梓が俺の名前を呼ぶなんて、めったにないのに。

 それが意味することとは、つまり――彼女はもう、いなくなった『おにーちゃん』に甘えるのを、やめたということ。


「こんな梓を見たら、きっとおにーちゃんは怒るよね。梓はずっと間違ってたし……幸太郎おにーちゃんの優しさに、甘えてばっかりだったよね」


 それから彼女は、涙をこらえるように目元をこする。

 泣いて同情を誘いたくない――と、そんな強い意志を持って、梓はこう言ったのだ。




「もう、大丈夫だよ。『おにーちゃん』のふりをしなくても、梓は元気だからっ」




 ……梓はちゃんと、大人になっている。

 自分の足で立って、未来へ向かって歩み出している。


「もう、迷惑はかけない。傷つけるようなこともしない。自分のことはちゃんとやるし、おにーちゃんの物は奪わないし、甘えないし、頼らないからっ」


 俺の手を借りなくても大丈夫――と、そう言っている。


 だけど、梓。

 一つ、君は間違えていることがある。


 それは、とても単純なことで。


「……何言ってるんだ? 俺は別に『おにーちゃん』を演じてなんかないぞ?」


 それだけは、きちんと訂正しておきたかった。


「正真正銘、梓の『兄』だから……家族だからそう接しているだけなのに、演技と思われているのはちょっとショックだな」


 笑って、軽く梓の背中を叩く。

 元気出せ、と励ますように。


「前にも言った気がするんだけどな……迷惑はかけていいんだ。傷つけてもいいし、甘えてもいいし、頼ってもいい。何をされても、俺は梓の味方でいるよ。それは別に、おにーちゃんを演じているから言っていたわけじゃない」


 自分の気持ちにウソなんてない。


「だって俺は、梓の……二人目の『おにーちゃん』だから」


 俺は俺だ。

 梓にとっての『おにーちゃん』であって、『おにーちゃん』じゃないのだ。


 俺は梓の実兄ではないけれど、義兄であることに変わりはない。

 だから、俺に何もしないなんて、寂しいこと言わないでほしい。


「梓が心配しなくても、俺は大丈夫だから」


 大丈夫の言葉を、逆に返してあげる。

 そうすると梓は、ぐちゃっと表情を崩した。

 もう、耐え切れなくなったようだ。


「……うんっ」


 頷き、そのまま倒れ込んできたので、優しく受け止めてあげる。

 梓も俺に身を任せて、声を押し殺して泣き始めた。


 いいよ、泣いても。

 辛くなったら、支える。

 一人で立ち上がれなくなったら、手を差し伸べる。


 それをありがたく思う必要も、申し訳ないと思う必要もないんだ。

 家族って、そういうものだと思うから――

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