第三百二十五話 我慢なんていくらでもできるよ


「家でぼーっとしてたら、いきなり隣の家から梓の声が聞こえて来てさ……久しぶりに会いたいと思って、待ってたんだ」


 霜月しほと竜崎龍馬は幼なじみであり、家も隣り合わせである。

 だから、梓の声が彼の家に届いたとしても、おかしくはなかった。

 何せ、しほと一緒にいるときの梓は声が大きくなる。しほが突っ込ませるようなことばかり言うせいだ。


「こんなに寒いのに、待ってたんだ」


 二月真っ只中。手袋をしてマフラーをしてコートを着込んでも、わずかに露出した肌から冷たさが浸透してくるような寒さが残る季節。それなのに龍馬は、ずっと外にいたようだ。


「落ち着かなかったんだよ……二学期になってから、そういえば梓と喋ってないことを思い出したからな」


 ああ、そうだろう。

 何せ、宿泊学習の時に振られて以来、梓は龍馬を避けていたのだから、会話がなくて当然である。


(気付いてなかったなんて、やっぱり龍馬くんは梓のこと、何とも思ってないんだなぁ)


 ――そう思った直後である。


「いや、正確に言うなら――宿泊学習の時に、告白されて、それを断ってから……だよな」


 まさか、龍馬の方からその話題を出すとは思わなかったので、梓はびっくりしてしまった。


「覚えてたの?」


「もちろん。いや、違うか……思い出したのかもしれない。最近、今までのことをよく振り返っていたんだ。その中で、梓だけは『特別』だったことを、思い出したんだよ」


 ……以前までであれば、その一言でとても喜んでいただろう。

 しかし梓は、警戒するように一歩下がった。


「と、特別? そんなわけないよ……梓は、普通だよ」


「普通じゃねぇよ。だって梓は――俺に初めて告白してくれた人だから、な」


 龍馬が過去を懐かしむように目を細めている。

 その仕草に、梓はふと違和感を覚えた。


(なんか……龍馬くん、変わった?)


 雰囲気が前までと違っていた。

 あの、横暴なまでに自信満々だった性格に、陰があったのだ。


「今まで、なんとなく好意を匂わせる人は多かったけど、『俺がそんなに好かれるわけない』って否定していた。でも、あんなにハッキリ俺を『好き』と言ってくれたのは、梓が初めてだった。あの思いを否定することはできなかった」


「……な、何が言いたいの?」


「いや、別に大したことが言いたいわけじゃない。ただ、なんというか……あの時に、梓の気持ちを受け入れていたなら、どうなっていたんだろう――って、ふと思い出しただけだ」


「だから、なに?」


「それで、つまり……いや、ちょっと長くなりそうだな。寒いし、家に入っていかないか? 前みたいにゆっくり話そう」


 そう言われた瞬間、梓は無意識にこう言っていた。





「――もう、梓を惑わさないで」





 それは、明確な拒絶だった。

 勇気を振り絞って言ったわけではない。

 言おうと思って、言いたくて、ついつ口から零れだした思いではない。


 それは、感情の発露。

 衝動的ににじみ出た、梓の本心だった。


「『前みたいに』なんてできるわけないよ」


 ギュッと、ポケットの中で手を握る。

 その掌には――先程作ったチョコレートが握りしめられていた。


 自分で作ったチョコレートが、微かに砕けた感触がある。

 そのかげで、彼女は自分を見失わずにいられた。


「今更、もう遅いよ。『特別』なんて言われても、どう反応すればいいの? その言葉を待っていた梓は、もういないのに」


 ツインテールだった少女はもういない。

 おかっぱ頭というよりは、ショートボブの髪形に近い梓は、一学期の頃と比べて随分と大人びていた。


 それでも、見た目が小学生から中学生くらいになった程度の変化だが……彼女にとっては、大きな成長期でもあって


 だからこそ、発達を阻害しようとする龍馬に対して、梓は必死に抗っていたのだ。


「寒さなんていくらでも我慢できるよ。あの時の苦しさに比べたら、梓はなんだって耐えられる――龍馬おにーちゃんが、梓の告白を適当に断ったあの時よりも、辛いことなんてない」


 別に振られても良かった。

 仲良しという関係が壊れる覚悟もあった。

 嫌われることは残念だが、それは次につながる感情でもある。


 しかし、あの時の龍馬は梓の本気に対して、向き合うことすらしなかった。

 適当に振って、踏みにじり、ぞんざいな扱いをした。


 そのせいで梓はとても傷つき、しばらくはまともに立ち直ることすらできなかったのだ。


 それを彼女は、忘れていない――

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