第三百十八話 自称おねーちゃんは話を聞かない
【中山梓視点】
――明日はバレンタイン。
そんなことは分かっている。だけど中山梓は、チョコレートを作るような気分になれなかった。
(龍馬おにーちゃん……じゃなかった。龍馬くんのこと、どうしよう?)
少し前のことだ。
メアリーの襲来によって彼女は龍馬が苦しんでいることを知った。
なんでも、北条結月に告白して彼は振られてしまったらしい。
(みんなに何が起きてるのかな……)
結月が告白を断るなんて梓には到底信じられなかったし、龍馬が拒絶されるなんてことも、やっぱり彼女にとってはおかしく思えた。
(あんなにみんな、好きだったのに)
梓も含めて――結月にとっても、それからキラリにとっても、龍馬は憧れの人だったから。
少し前であれば、告白なんてされたらきっと泣いて喜んでいたことだろう。
それなのに龍馬が振られるということは――すなわち『何か』が起きているということだった。
(梓の知らないところで、何が起きてるの?)
知りたいような、知りたくないような。
それを知ってしまえばもう後戻りできないような『事件』が起きている気がしてならない。
(あの龍馬くんが苦しんでいるなんて――)
梓はそのことをずっと引きずっていた。
キラリにその情報をもたらされて早一週間が経過している。
一応、まだ龍馬との会話はしていない。
彼は学校にも来ているのだが、少し昔とは雰囲気が違っていて、どう話しかけていいか分からなかったのだ。
(気になる……けどっ)
たまに、昔みたいに呼びかけそうになることがある。『龍馬おにーちゃん』と呼びかけたら、彼はまた梓を見てくれる――と、なんとなくそうなることも分かっている。
だけど、それをすることを梓はためらっていた。
「梓には、分かんないや……」
正解を見失っている。
自分が何を大切にするべきかを考えると、行動に自信が持てなくなる。
龍馬は初恋の相手だ。
だから、彼への思いが成就する可能性があるのなら、チャレンジする価値はあるだろう。仮に初恋が実れば、梓は幸せになれるはずだ。
論理ではそれを分かっている。
でも、感情がそれを制止していた。
とにかく気分が乗らなかった。
頭では分かっていても心がついてこないのだ。
そんなちぐはぐな状態だから、ここのところずっと膠着した状態が続いていたのである。
そうしてバレンタイン前日となり、まだ梓は悶々と悩んで部屋に閉じこもっていたというわけだ。
(……そういえば、前もこうやって閉じこもってたなぁ)
ふと、夏休みのことを思い出す。
宿泊学習が終わった後の事。彼女が龍馬に振られてふさぎ込んでいた。
そんな時に彼女を部屋の外に連れ出したのが、義兄の幸太郎であり……そして、
「ただいま! あずにゃん、おねーちゃんが帰ってきたから『おかえりなさい』のチューをしてくれる? ほら、アニメの妹ってそういう生き物じゃない? だからあずにゃんもそうするべきだと思うのだけれど、早くしてくれないかしら」
――ああ、そうだった。
この人も、なんだかんだで引きこもっていた梓が外に出た一つの要因だった。
(こいつ……おっと、口が悪くなっちゃった。この人もそういえば、梓にいっぱい話しかけてきたんだっけ……)
ゆっくりとベッドから体を起こす。
そして見えたのは、扉をあけ放って仁王立ちする女の子だった。
見た目だけは絶世の美女。同性の梓ですら息を止めてしまうほどの美を有しているが、口を開くと結構なポンコツと分かるので、息は止まらなかった
「ここは霜月さんの家じゃないよ。『ただいま』なんて言わないでっ……梓も『おかえり』って言うわけないよ」
「ええ、ただいま!」
「だから『おかえり』って言ってないもん!」
「うふふ♪ そんなに大声を出しちゃって……よっぽどおねーちゃんが帰ってきたことが嬉しいのね?」
「違う!!」
彼女――霜月しほに、梓はいつも振り回されていた。
とはいえ今は彼女とコミカルな会話をしている場合ではないので、梓はため息をついて彼女から目を背けた。
「勝手に部屋に入らないで。梓は今、考えることで忙しいから」
ぶっきらぼうに言葉を返す。
引きこもっていた時、彼女は梓が外に出る一つのきっかけではあった。しかしだからといって感謝はしてないし、むしろ彼女のことはちょっと苦手である。
「霜月さんなんかに構ってる暇はないの。あっちいって」
犬を追い払うみたいに手を振る。
だけどしほはどこにも行ってくれなかった。
「分かったわ。じゃあ、私の家でチョコでも作りましょう? ほら、おねーちゃんについてきなさい!」
……ほら、いつもそうなのだ。
彼女はいつも人の話を聞いてくれないのである――
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