第三百十四話 ドーピングではなく『薬』として
『好き』
そう言われて、龍馬はいきなり床に崩れ落ちた。
「なんだよ、それ……」
足が動かない。体が動くことを拒絶しているようだ。
立ち上がって、何か言葉を返そうとしても、しかし言葉が思い浮かばない。
思考もまた、動いてくれそうにはなかった。
こんなこと、初めてだった。
今、彼は自分が抱いている感情を、理解できなくなっていた。
「キラリ……」
その名を呼んで、言葉を返そうと口を開く。
何も言えない自分が、酷く滑稽だと思った。
『ここまで言われて何も言い返さないなんて、かっこ悪い』
そう思って、返答しようとしたのだが。
「別にいいよ。無理しなくても」
しかし、そんな彼の努力を、キラリは優しく拒絶した。
「答えはまだ要らない……いや、今の竜崎龍馬の答えなんて、聞きたくない。ちゃんと、アタシの気持ちとか、自分の立場とか、未来のこととか……そういうことをしっかり考えた上で、アタシに告白の答えを聞かせてほしい」
龍馬の手を握って、穏やかに笑いかけるキラリ。
そんな彼女を見て、龍馬は再び不思議な感覚を覚えた。
――まただ。
キラリが優しく微笑んでくれるたびに。
彼女が優しく龍馬に触れるたびに。
体が、動かなくなる。
いや、それは違う。
体が動かなくなるわけじゃない。
「ははっ……ダメだ、腰が抜けてる」
それは、安心して力が抜けてしまっているだけだった。
要するに、気が抜けていたのである。
それに気付いて、龍馬は自分の状態をようやく理解した。
「そっか……俺、嬉しいのか」
さっきまでは、怒っていた。
悲しかったし、辛かったし、苦しかった。
でも、今は違ったのだ。
「キラリが、俺を嫌いにならないでくれて……ダメな俺を好きなままでいてくれていたことが、嬉しかったんだ」
言葉にして、ようやく自分の感情に腑に落ちた。
結局のところ、彼は嫌われることを恐れていただけだった。
「俺は、俺が思っているよりも……キラリたちに嫌われるのが、イヤなんだ」
そう言葉にして、彼は表情を緩める。
そんな、彼の安堵したような顔を見て、キラリも嬉しそうに笑っていた。
「意外と、りゅーくんは寂しがり屋だよね。嫌われるのがイヤって思ってくれているなら、まだ救いようがあるよ」
「……俺はまだ救いようがあるのか? もう、全部ダメだと思って……結月だけじゃなくて、キラリも、それから梓にも、嫌われているものだと思っていたから――」
だから、ふてくされていた。
言い方を変えるなら、諦めて自暴自棄になっていた。
どうせ俺は無理だから――と、自らのラブコメを投げ出そうとしていた。
いわゆる、打ち切られる寸前の作者が描くような主人公になっていた。
だけど、キラリの『愛情』が、腐れていく龍馬の心を癒したのだ。
「他の女の子たちのことは分かんない。でも、アタシはまだりゅーくんのことが好きだよ。大丈夫、安心して……間違えていてもいい。これから、一緒に直そう? その上でもう一回、考えてみようよ。『好き』ってどういうことか、誠実に向き合ってほしい」
見捨てない。
その思いに、龍馬は救われていた。
「そう、だな……って、あれ?」
頷いて、不意に彼は頬に生温かさを覚える。
それが『涙』だと気付いたのは、少し遅れた後だった。
「俺、泣いてるのか?」
「……うん、泣いてるね。そんなに、アタシの言葉が辛かったの?」
「ち、違う! 俺は……たぶん、嬉しかったんだ」
――かつてのことだ。
第一部の龍馬は梓(サブヒロイン)の告白を糧にして、覚醒を果たした。梓の愛情でドーピングをして、自尊心を肥大化させることで、霜月しほへの告白を実行した。
結局、幸太郎の活躍によって彼は主人公として羽化することはなかったが……過去、彼はサブヒロインの愛情を受け入れるのではなく、食いちぎっていた。そういう人間だったのである。
でも、今はもう違う。
前と同じく、キラリの愛情をドーピングとして使うのではなく。
きちんとした『薬』として摂取して、自分を癒すことを受け入れていたのだ――
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