第三百七話 主人公の毒が抜けたからこそ、彼女は本当の自分でいられる
扉を開けた竜崎龍馬の顔は、いつもと違ってとても歪んでいた。
「ちっ。キラリかよ……」
彼は期待した人間ではないと分かるや否や、露骨にうんざりとため息をついた。
(うわぁ、最悪じゃん)
それを見て、キラリは苦笑してしまう。
こんな龍馬を見るのは初めてだった。
こんなにも酷い表情の彼を見るのも、初めてである。
(メアリーさんの言った通り、めちゃくちゃふてくされてる……!)
ただ、キラリは『怖い』とは思わなかった。
こんな龍馬を目の当たりにしても、キラリは「やれやれ、仕方ないなぁ」という感情しか湧き出て来ないのである。
それくらい、彼女はちゃんと龍馬のことを思っている。
もう、恋に恋していた少女ではない。ちゃんと、竜崎龍馬に恋をした女の子として、彼と向き合っていた。
「まさかのアタシでごめんね。ちなみに誰を期待してたの?」
「……お前には関係ないだろ」
「うっわ、冷たーい。りゅーくんってばクール系にイメチェンしたの? でもそうやって冷たくされるのも悪くないかも~」
いつもの調子で。
いつものキラリで。
明るく、快活で、少し能天気なくらいにバカっぽく振る舞う。
幸太郎の前では見せたことのない姿だ。
でもそれは、演技でもなんでもない。
むしろ、こうやって何も考えずに自分をさらけ出せるのは、竜崎龍馬の前でだけだ。
「ねぇ、とりあえず入っていい? 寒いんだけど」
キラリは迷惑そうにされても気にせず、押しかけるように龍馬の家に入ろうとする。
扉の前に立ち尽くす龍馬を押しのけようとして……しかし彼は、動いてくれなかった。
「いや、帰れよ。今はお前と話す気分じゃないからな」
「え~。ダメなの? アタシ、お腹空いたんだけど……前みたいに夕食とか食べさせてくれない? どうせゆづちゃんが作ってくれてるでしょ?」
「……あいつはいねぇよ」
ああ、知っている。
今の龍馬と向き合えるほど、結月は強くないだろう。
中学の時からの付き合いだから、キラリはそれを分かっている。
その上で、あえて結月の名前を口にしたのだ。
(おっと。やっぱり、色々と悩んでそうだなぁ)
彼女が見ていたのは、龍馬の表情。
結月の名前を出した瞬間――彼は、ものすごく辛そうな顔になったのだ。
「え、いないの? じゃあ、あずちゃんは? あの子はもちろんいるでしょ? なんて言ったって、りゅーくんの妹みたいなものなんだから!」
「……だから、誰もいねぇって言ってるだろ!!」
苛立ちを隠さずに怒鳴る龍馬。
女の子に対してはいつも優しかった彼らしからぬ行動である。
(これもまた、りゅーくんの本質か)
しかし、それすらもキラリは受け入れた。
失望なんてしない。
どんな竜崎龍馬だろうと、受け入れてしまえる。
それくらいキラリは、彼を好きになっている。
(我ながら、都合のいい女の子だ)
自分の愛情が歪んでいることは自覚していた。
こんなかっこ悪い人間を好きで居続けられることは、ある意味で異常なことだって分かっている。
でも、それでも良かった。
(これは、『アタシ』の気持ちだから)
何者でもなかったキャラクターの、作り物の恋心ではなく。
浅倉キラリという少女の抱く、愛情だ。
だから彼女は、臆さなかった。
「誰もいないの? じゃあ、りゅーくんはアタシたちとこーくん――中山幸太郎とのこと、誰からも聞いてないんだ」
躊躇いなく、中山幸太郎という単語を口にする。
その瞬間、龍馬が目を丸くした。
「なっ――!?」
いきなりキラリからその名を聞くとは予想していなかったのだろう。
「そういうわけで、アタシが話してあげるよ」
でも、キラリは退かない。
むしろ、畳みかけるように言葉を重ねた。
「気になってるんでしょ? 知りたいんでしょ? ……あと、怒ってるんでしょ? だったら、聞いたらいいよ。どうしてアタシたちがこーくんとの関係を内緒にしていたのか……ちゃんと、話してあげるから」
キラリはかつて、文化祭の時は告白すらできなかった。
あんなにも弱く、繊細だったというのに……今はまるで別人のように凛としている。
歪んだ龍馬を前にしても、彼女は動じない。
とはいっても、キラリが変わったわけじゃない。むしろ、本来のキラリはこういう女の子なのだ。
これこそが、幸太郎が憧れた本当の浅倉キラリなのだから――
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