第二百九十八話 おねーちゃんはいらないよっ!


 思ったよりも早く、雨が上がった。


「おお、晴れた……」


 コーヒーを飲む。まだ苦いかな?と顔をしかめた彼女は、席に用意されていた角砂糖とミルクを大量に投入した。


 苦いのは現実だけで十分。キラリは基本的に甘い物が好きだ。食べ物はもちろん、物語だって甘すぎて胸焼けするくらいのラブコメが丁度良いと思っている。


 ネット上の評価では『ただイチャイチャしているだけでつまらない』『物語がない』『テンプレのラブコメ』と揶揄されることもあるが、他者の感想なのでキラリにとってはどうでもいいことである。


 創作でくらい、夢が見たい。

 現実にないと分かっているからこそ、キラリは虚構に幸福を求めている。


 少し前は、現実と虚構の境目が曖昧になってしまい、自分を悲劇のヒロインと錯覚していたこともあったが……それを経て、彼女はようやく地に足を着けられるようになった。


 だから、いきなり幸太郎に連絡を取っても、喜ばれる可能性は低いことも理解している。

 もしキラリが創作のヒロインなら、過激に喜ばれる可能性もあるだろうが……もう現実に夢を見るほど未熟ではなかった。


(さて、どうしよう?)


 返事はすぐにこなかったので、さすがに待ちくたびれたキラリはライトノベルを読むことにした。


 読みながらも、気分が落ち着かなくて文章が滑る。

 なかなか内容が頭に入らないまま、しばらく読み進めていた時だった。


 梓にメッセージを送って一時間ほど経過しただろうか。

 それくらいになって、ようやく幸太郎の連絡先が添付されたメッセージがきた。


『おにーちゃんに何か用事?』


 ただし、梓からの疑問も一緒に付属していて、キラリはそれにどう返事をしていいか分からずにいた。


(あずちゃんがこーくんのこと気にしてるなんて、珍しいなぁ……中学生の時以来だね)


 高校に入学して以降、梓もキラリもしばらくの間は龍馬に夢中で幸太郎のことを気にもかけていなかった。

 だから、お互いに今更幸太郎のことに関心を寄せている状況に違和感を覚えているのだろう。


(『ビンタしたこと謝りたいから』――なんて言えるわけないか)


 事実をありのままに送るのは気が引ける。

 かといって、大した用事があるわけでもないので、しばらく悩んだのだが……結局は『ちょっと秘密』と、はぐらかしておいた。


『あんまり意地悪しないであげてね』


 梓からそう返信が返って来ると、キラリは目を丸くした。


(あずちゃん、昔からこーくんにだけはわがままで自分勝手だったのに……成長したんだなぁ)


 兄を思いやる妹はやっぱりかわいい。

 ラノベの中ではテンプレだが、そういうお約束のキャラクターがキラリは大好きである。


『もちろん。大丈夫、心配しないでいいからね? キラリおねーちゃんを警戒しなくても大丈夫だよ』


 ふとした出来心で、中学生の時みたいに軽口をたたいてみる。

 高校生になってからは、お互いのことを友達ではなくライバルのように思っていたせいか、こうやってあまり仲良くしなかった。


 懐かしさを覚えながらメッセージを送ってみると、今度は異常なくらいに素早く返信がきた。


『梓におねーちゃんなんていらない』


「おっと……」


 梓にしては冷たい一文に、キラリはついつい笑ってしまった。


(地雷でもふんじゃったかな? 最近、おねーちゃん関連で何かめんどくさいことが起きてたりして)


 これ以上からかうと、本格的に梓の機嫌を損ねそうだ。

 とりあえず当たり障りのないスタンプを返信して、梓とのやり取りを終える。


 そしてキラリは、現実逃避をやめて彼の連絡先と向き合うことにした。


(連絡先を教えてもらったのはいいけど……なんて書けばいいんだろ?)


 最初から『突然ごめんなさい。キラリです。謝りたいので連絡先をあずちゃんに教えてもらいました』は重すぎるような気がした。


 かといって、『やっほー☆ キラリだよー! ちょっといいかなぁ?』だと軽すぎる。反省の色がなさ過ぎて自分でもちょっと引いた。


 重すぎず、軽すぎず。

 ちょうどいい塩梅を探して文章を試行錯誤する。


 20分程経過して、やっと完成したのはこんな文章だった。


『突然ごめんね? キラリです。少し、いいかな?』


 やや重めだが、今の心情とはマッチしているので、キラリはこれを採用することにした。メッセージと一緒に、友達への登録を申請しておく。自動許可してないところが幸太郎らしいと考えながらも、若干の不安に苛まれていた。


(き、緊張する……っ!)


 異様な緊張感のせいか、ドキドキしていた。

 これが甘い恋の感情ならいいが、気分としては面接した企業からの返信を待つ就活生である。いや、キラリは短期のバイトしかやったことないが、なんとなく同じようなものだと思っていた。


(今日中には、返ってこなかったりして……)


 まだ一分しか経過してないが、反応のないスマホを眺めるプレッシャーに耐え切れなくて、思わず電源を切ってしまいそうになる。

 時間をかけてちゃんと覚悟を決めた後に、返信があるかどうか確認しようかな――と逃げそうになった時だった。


『♪』


 メッセージの到着を知らせる通知が画面に表示された。

 そこには『中山幸太郎が☆キラリ☆を登録しました』と表示されていて、キラリは心臓が飛び出そうになった。


『中山です。どうかした?』


 彼らしい簡素な一文を見て、キラリはスマホを落としそうになった。


(ど、どどどどうしよう!?)


 思ったよりも返信が早すぎて彼女はまだ心の準備ができていなかったのである――


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