第二百九十話 運命ではなく、奇跡

 ふと空を見上げると、太陽が顔をのぞかせていた。

 長いこと話をしていたおかげで雨がやんでいたらしい。


「しほ、そろそろ帰ろうか」


 過去の話はもう終わった。

 もうこれ以上、俺のくだらない昔話に彼女を付き合わせるのは気が引けた。


 だって……しほは俺が傷ついた話をすると、すごく辛そうな顔をするのだ。

 それでも、ちゃんと向き合って俺の話を聞いてくれた彼女の前向きな姿勢は、すごく尊敬する。


 だけど、その態度は……まるで俺を庇って、代わりに傷ついているようにも見えるので、それはやめてほしかった。


 俺が傷つくと、君が傷つくように。

 君が傷つくと、俺だって傷つくのである。


 だから、早々に話を切り上げた方がいい――と、そう判断したのだが。

 でもそれは、やっぱり『逃げている』だけなのかもしれない。


 痛みから目を背けることは、必ずしも良いことではない。

 辛ければ逃げたらいいと俺は思っている。しかし、時には立ち向かわなければならない時だって、あるのだ。


 それが、今なのだ――と、しほは教えてくれた。


「待って。最後に一つだけ、聞かせてほしいことがあるの」


 そう言って、しほは自分の胸元をギュッと握りしめた。

 微かに表情が強張っているように見えるのは……たぶん、緊張しているせいだろう。


 でも、彼女は逃げない。

 俺を理解するために、覚悟を決めて俺を凝視する。


 その瞳には、強い意志が宿っていて……眩しいほどに、爛々と輝いていた。


「もし、幸太郎くんにとって大切な彼女たちが、高校生になっても変わらないままだったら……中学生までと同じように、今もあなたの隣にいたとするなら――私は、幸太郎くんの特別になれたかしら?」


 ――それは『もしも』の話。

 簡単に言うと……仮に、竜崎龍馬だけがこの学校にいなかったとして、梓たち三人が変わらないまま俺と親しかったとしよう。


 その可能性の先に、しほと俺は今のような関係になっていたのか。


「正直に答えて。私とあなたは、こうやって二人きりでいられたと思う?」


 ……改めて、考えてみた。


 もし、梓がかつてと同じまま、俺を『本物のおにーちゃん』の代替として見たままだったら。


 もし、キラリがかつてと同じまま、俺に失望することなく『友人』であり続けられたなら。


 もし、結月がかつてと同じまま、俺に依存した『幼馴染』として今も付き合いがあったなら。





 その物語の先に――しほの姿は、なかった。





「……たぶん、話すこともなかったと思う」


 正直な気持ちを、伝える。

 しほの前で嘘は意味をなさない。

 だって彼女は、聴覚が鋭いのだ……俺の一挙手一投足から、感情を読み取るような感受性の鋭い少女である。


 だから、思ったことをそのまま口にした。


 傷つけないだろうか。

 辛い気持ちにならないだろうか。

 期待外れのことを言ってしまっただろうか。


 そんな不安がなかったと言えば、ウソになるだろう。

 しほの反応を見ることが、怖くて……思わず、俯きそうになる。


 だけど彼女は、臆病な俺を安心させるかのように、嬉しそうに笑った。


「うふふ♪ ええ、まさしくその通りだわ……たぶん、竜崎くんがいなかったら、私とあなたはこうして特別な関係になれなかった」


 それは、しほにとって悪い言葉ではなかったらしい。


「だからこそ、この運命が奇跡だと思うのっ。幸太郎くんはいっぱい傷ついてしまったけれど……それ以上に、私がたくさんの幸せをあげられるもの」



 運命ではなく、奇跡。



 それはとても……素敵な言葉だった――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る