第二百八十九話 終想


 あんなにも急激に人間が変わるなんて、ありえない。

 そう考えてしまうくらいに、梓も、キラリも、結月も、一日前とはまったく違う人間になっていた。


 まるで、与えられたキャラクターの属性に従うように、彼女たちは自分を捻じ曲げた。


 梓は大人しい内弁慶なタイプだったのに、竜崎と出会って以降は『竜馬おにーちゃんってすごい!』とあいつを賞賛するだけの、妹キャラになってしまった。


 結月は物静かで消極的なタイプだったのに、竜崎の前ではまるで痴女のように自らの体を利用する積極的な、いわゆるお色気キャラになってしまった。


 キラリに関しては孤高の一匹狼だったくせに、竜崎と出会って以降は媚び媚びのギャル系キャラになってしまったのだ。


 こんなの、おかしすぎる。

 キャラクターを捻じ曲げられた少女たちは、与えられた役割通りに竜崎を気持ち良くするだけの存在になっていた。


 それを見て、心が痛まないわけがなかった。


 ……別に、恋をしていたわけじゃないと思う。

 もちろん、俺にとって彼女たちは特別な存在だったことは、変わりなかったけれど。


 しかし……もう、彼女たちとは会えなくなってしまった。

 竜崎龍馬のハーレムラブコメに巻き込まれ、元の人格を失った結果、俺と親しかった彼女たちは消えてしまったのである。


 だから、受け入れることがなかなかできなかった。

 入学式から約一ヵ月もの間、俺は彼女たちのことを引きずっていた。


 竜崎に妬んだ時期もあった。『俺なんてダメだ』と、自己否定ばかりして、卑屈にもなっていた。


 でも――




「あの時に……霜月が、俺を助けてくれた」





 ふと、出会ったころの呼び名を口に出してみる。

 そうすると、すぐ隣にいた彼女は不満そうに唇を尖らせた。


「他人行儀な呼び方は寂しいわ……いつもみたいに、しぃちゃんって甘い声で呼んで?」


「……まだその呼び方は早いよ」


 小さく笑いながら、肩をすくめた。

 過去のことを一気に話したせいか、少し喉が痛い。だけど静かに聞いてくれたしほのおかげで、どうにか話し切ることが出来た。


「それ以降は、君も知ってる通りだよ……色々あったけれど、今はこうして『しほ』って呼び捨てをしても、照れなくなった」


「そうね……初々しい幸太郎くんもかわいかったけれど、まぁ今みたいに私の名前を我が物顔で呼んでるところも、なかなか悪くないかしら?」


 そう言って、彼女は俺を労うように背中をポンっと叩く。

 それから、何を思ったのか。


「ぎゅーっ」


 後ろから思いっきり飛びついてきた。

 抱きしめる、というよりかはしがみつくような勢いである。


「ちょっ、しほ? どうかした?」


 前によろめきながらも辛うじて踏ん張る。しかし彼女は、それでもなお力を入れて俺を締め上げていた。


 おかげでちょっとだけ苦しい。

 何の使命感に駆られて、彼女はそんなことをしているのか。


「……私は、どこにもいかないからね?」


 ――どうやら、しほは俺を安心させるために、抱きしめてくれているようだった。


「変わらないまま、幸太郎くんのそばにいる。何が起きても、どんなことがあっても……あなたが言う、『物語』に巻き込まれたとしても――私は『霜月しほ』のまま、幸太郎くんを好きでいるから」


 ……彼女の言葉は、相変わらず俺を救ってくれるほどに、暖かくて。


「幸太郎くんに失望なんかしない……あなたをずっと、見守っているわ」


 その愛情が、俺の心を癒してくれた。


「うん……ありがとう」


 そう伝えて、俺の首元を締め上げる手に触れる。

 正直なところ、泣きそうなほどに嬉しい言葉だった。


 でも、感動的なシーンでこんなことを言うのもあれだけど……さすがにそろそろ限界だったので、言わざるを得ないだろう。


「しほ……息ができない」


 腕を首元に回して、ぶら下がる様に抱きしめられてしまっては、さすがにちょっと無理だった。


「――あ! ご、ごめんなさいっ」


 慌てて放してくれたしほは、おろおろとした様子で俺を見ている。

 シリアスな空気を一瞬で壊してしまったところも、ある意味ではしほのいいところなのかもしれない――

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