第二百八十五話 回想その12
キラリとの離別を経た後のこと。
複雑な感情を抱えたまま帰宅すると、当時にしては珍しく家には誰もいなかった。
いつもなら、梓はもちろん、結月も毎日のように家に来てくれていたのに。
幼なじみの結月は、俺の両親が海外に行ってからは料理を作ってくれていた。だからこの日も、当たり前のように彼女が家にいると思い込んでいたのだ。
「ただいま……誰かいる?」
時刻は夕方を過ぎていて、家の中は真っ暗である。念のため声をかけて誰かいないか確認しても、やっぱり誰もいなかった。
「……どこに行ったんだ?」
一人呟いて、リビングの明かりをつけてみる。
すると、テーブルの上に手紙らしきものがあるのを見つけた。その隣には俺の家のカギが置いてあって……それが、結月に渡していて合鍵だと気付くと、慌てて俺は手紙を手に取った。
いったいどういうつもりなのか。
そこにはこんなことが書かれていた。
『幸太郎さんへ。今日からごはんを作ることはやめることにしました。いただいていた食材費などは後日改めて返したいと思います』
でも、その手紙には理由が書かれていなくて。
いても立ってもいられずに、俺は彼女の家を訪れてみることにした。
……別に、ごはんを作ってくれなくて困る、というわけではない。
単純に、結月の急な行動に驚いていたのである。
まるで、俺との関係性を煩わしく思っているかのような決断にも見えて、少し怖くなっていたのだ。
それは恐らく、キラリの件があったことも影響していたと思う。
この時の俺は変に焦っていた。
だから、考えもなしに結月の家に行ってしまったのだろう。
「……あら? 幸太郎さん、どうかしましたか?」
呼び鈴を鳴らすと、彼女はすぐに来てくれた。その表情は、まるで何事もなかったかのように平然としていた。
態度があまりにも普通だったので、逆に俺の方が困惑したくらいである。
「い、いや……手紙、読んだから、ちょっとびっくしてて……急にどうした? 俺、何か結月に悪いことしてたなら、謝りたいんだ」
そう伝えると、結月は小さく微笑んで首を横に振った。
「いいえ、別に何もしてないですよ? 謝る必要なんてありません」
「だ、だったら、なんでいきなり家に来ないなんて言うんだ? いや、来たくないならそれはいいんだけど……もし結月に負担とかかけてたなら、ちゃんと謝らせてほしいんだ。正直な気持ちを、教えてほしい」
分からなかった。
結月の心変わりが、理解できなかった。
知りたかった。
何が彼女にとって不快だったのかを探ってしまった。
だから俺は、傷つくことになってしまったのだ。
「……そういうところ、です」
俺の言葉に、結月は一瞬で笑顔を消した。
先程の微笑みは、もしかしたら愛想笑いだったのかもしれない。
俺の言葉をきっかけに、彼女は微かに苛立つような表情を浮かべてから、その本心を打ち明けてくれたのだ。
「何もしないから、イヤなんです」
「……え?」
まさかの言葉が、胸に突き刺さる。
そんな俺を見て、結月はうんざりしたようにため息をついた。
「はぁ……謝る必要がないほどに、幸太郎さんは何もしないんですよね……だから、わたくしなんて、いてもいなくても関係ないと思います。幼いころからずっと一緒にいるのに、喧嘩も、言い争いですらしたことないような関係性にしかなれませんでした」
それはやっぱり、キラリと同じような『失望』の感情だった。
「迷惑くらい、たくさんかけてほしかったんです。わがままを言っても受け入れてくれると、そう思ってほしかったなぁ……幸太郎さんは、何をしてあげても感情をあまり動かさない人ですよね。そういうところが、苦手でした……わたくしはもっと、自分を必要としてくれる人が好きなんです」
ハッキリと告げられた彼女の意思は、俺の胸を深く抉る言葉だった。
でも、これだけは言わせてほしい。
感情が動かなかったわけじゃない。
ちゃんと、喜んでいたし、感謝もしていた。
でも、それを表現する方法が、分からなかった。
だから結月は、何をしても俺がつまらなそうにしていると、そう思ったのかもしれない――
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