第二百八十話 回想その8


 ――入学式を終えて、クラスメイトとの顔合わせも終わった後。

 放課後の事だった。


「こーくん、ちょっといい?」


 帰宅しようかと準備をしていたら、キラリに声をかけられた。

 三つ編みの髪の毛を揺らしながら駆け寄ってくる彼女は、何か腑に落ちないような難しい顔をしていた。


「あのさ……えっと、ここじゃなんか話しにくいから、屋上行かない?」


「ああ、うん。分かった……けど、梓と結月に遅れるって言わないと」


 その時は、一緒に帰るのが当然と思っていた。だから一言だけ声をかけようとしたのに、キラリは首を横に振ってそれを拒んだ。


「その必要は、たぶんないかも。いいから、行こう?」


「え? そう? じゃあ、分かった」


 どこかいつもと様子が違うキラリが気になって、俺は言われた通りに大人しくついて行くことにした。


「あれ? そういえば、屋上ってカギが開いてるか? 中学の時は危険だからって施錠されていたけど」


「うーん、なんかここは解放されてるみたいよ。今時珍しいとは思うけど」


 階段を上がると、屋上の扉は開け放たれていた。

 外に出ると、まだ少し冷たい風が吹いていて……そのせいか、生徒は誰もいなかった。


 キラリはその状況を好都合と捉えたのか、すぐに本題に入る。


「あずちゃんとゆづちゃん、何かあった?」


 開口一番、聞いてきたのは二人について。


「様子がおかしいっていうか……中学までの二人じゃないみたいな気がするんだよね」


「そうかな?」


「……そうだよ。だって、二人ともあんなに恋愛に興味があるタイプだっけ? まぁ、かわいいから異性に好意を持たれることは度々あっただろうけど……今までは全部、無視してたように見えてた。だけど今日は、違った」


 中学時代、一人でいることを好んでいたキラリが、数少ない友人と認めたのが俺を含めた三人である。

 そのせいか、彼女は誰よりも俺たちのことを知っている人物でもあった。


「色ボケしてるっていうか……あの子たちって、積極的なタイプじゃないのに、なんで――竜崎竜馬っていう人にだけ、あんなに心を許してるの? おかしくない? あの二人が、目をハートにしてるんだよ?」


 キラリは気付いていた。

 その時から既に、二人の異変を察知していた。

 だから彼女は、俺に警告しようとしていたのかもしれない。


 だけど、当時の俺には彼女たちの変化に気付けなかった。


「別に、いつも通りに見えたけど……」


 率直に感想を告げた時だった。

 その時、キラリが露骨にうんざりしたような顔をしたのを、よく覚えている。


「こーくん……それ、本気で言ってるの? ありえないよ、だってずっと一緒にいるんだから、二人がおかしくなってることくらい分かるでしょ?」


「……ご、ごめん。いや、変化には気付いていないと言うか、別に変化していたところで、俺にとって二人が大切な存在なのは、変わらなくて……だから――」


「――だからって、何もしない選択肢を選んでいいの? あの二人が、別の異性に惹かれてるのに……まだ今までと変わらない関係でいられると、そう思ってるわけ? もっともっと、二人との関係を大切にしたいとか、そういうことは考えないの?」


 キラリは少し、悲しそうな顔をしていた。

 いや、その表現はちょっと違うかな。


「こーくんにとって、あの二人は……あたしたちは、その程度の存在なの?」


 ――失望、していた。

 キラリは、俺に対して呆れていたのだ。


「ふーん、そっか。そうなんだ……こーくんは結局、そうやって生きていくんだね」


 彼女は言う。

 今までずっと、俺に対して抱いていたであろう思いを、教えてくれた。


「こーくんって、本当に……よく分かんないよ。あんまり笑わないし、怒らないし、泣くこともない。楽しんでいるのか、辛いと思っているのかも、分かんない。受身ばっかりで、自分からは何もしようとしない。そのくせ、どんなことをしても受け入れるような人間で……どうせ今も、こんなことを言ってるあたしを受け入れてるんでしょ?」


 図星だった。

 何を言われても、どんなことをされても、俺にとってキラリが大切な存在だということは、変わらない事だったから。


 だけど彼女は、それを嫌がっていた。


「たまには、感情を見せてほしかった……友達なんだから、もっとわがままとか、願望を伝えてほしかった。そうすれば、もっと……違う関係になれたかもしれないのにね」


 自分の感情なんてどうでもいいと放棄していた結果が、これだ。


「あたしとこーくんは、永遠に友人でしかないんだね」


 そう言って、キラリは俺に背を向けた。

 もちろん、すぐにその背中を追いかけようとしたけれど……思ったよりも、キラリに失望されたことがショックで、すぐに動くことはできなかった。


 また、失望されてしまった。


 幼少期、母に出来損ないの子供だという烙印を押されてから、抱えていたトラウマに苛まれてしまったのである。


 そうやって……色々なことを言い訳にして、当時の俺はいつもいつも行動が遅かった。

 そのせいで、俺は大切な『繋がり』を失うことになったのである――

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